部落学序説

<常・民>の視点・視角・視座から見た<非常・民>である<穢多・非人>の歴史的真実の探求

歴史学者の「まなざし」理解・・・

2008年10月06日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(6.歴史学者の「まなざし」理解

『部落学序説』第5章水平社宣言批判の執筆を再開しましたら、この問題、多々言及することになりますので、今回は、省略します。

歴史学者の「まなざし」理解については、ひろとまさき著『差別の視線・近代日本の意識構造』(吉川弘文堂)に依拠して論述することになりますが、その巻末に、《差別の視線と歴史学》という「インタヴュー」が掲載されています。

岩波近代思想史全集の『差別の諸相』という史料集を編纂されたのが1990年、このインタヴューがなされたのが1997年、7年が経過しています。

ひろたまさき氏、成田龍一氏に、「1990年に『差別の諸相』という史料集・・編集の意図を聞かせていただけますか」と問われて、このように答えています。「弱りましたね。自分の仕事は自分で評価できなし、7年も前の仕事について語るのは面映ゆい気がします」。

筆者、『部落学序説』の付論(あとで執筆予定であったテーマを先取りして論述したもの・・・)で、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講師・藤田孝志氏の講演録を批判検証してきましたが、7年も前の講演録、しかも、2002年は、すべての国の同和対策事業・同和教育事業が終了宣言を出され、学校同和教育も学校人権教育へ移行していった年の前年ですから、藤田孝志氏にとってはさぞ、迷惑だったことでしょう。

その講演から7年、研究熱心・教育熱心な、岡山の中学校教師・藤田孝志氏にとっては、無為の日々を過ごして来られたのではなく、常に、同和教育・人権教育の先端をはしるべく研鑽に研鑽を重ねられ、2001年の講演は、すでに、時代遅れの過去のもとになっているのかもしれません。

ひろたまさき氏は、7年前の「自分の仕事は自分では評価できない」と発言しておられますが、岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、常に、「自分の仕事は自分で評価」しておられるようです。

そのインタヴューの最後で、ひろたまさき氏、「最後にお伺いしたいのですが、新しく、いま、二〇世紀末に『差別の諸相』を編集されるとすれば、どのような論点と現象を提示されるでしょうか」と問われて、「むつかしいですね。7年前とそんなに現実は変わっていませんからね・・・、数カ所は変えるとしても全体としては同じものになりそうですね。」と答えておられます。

それは、ひろたまさき氏が、その研究計画の長期展望に立って話をされているからでしょう。「日本人論そのものがどういう差別の構造を生みだすかを明示しうる史料・・・、被差別者が差別者の視線を内面化していく過程や、それにあがらう過程を示せるものを集めたいですね」。

そして、こう言われます。「つまり、被差別者の解放が差別者と同化することによって果たせるのか。私はそれは絶望的であって、差別者も被差別者も変わっていかねばならない第3の道をさぐるしかないのではないかと思っているのですが、そういうことをさぐれる史料がほしいですね」。

そして、そのインタヴューをこのよなことばで締めくくられます。「研究者としての私自身のあり方も問い直されることになるでしょうね」。

筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、ひろたまさき氏の<歴史学>的研究を、<部落学>的研究として、研究対象を<史料>に限定せず、<伝承>まで含めて、先取りした<試論>です。

時代の流れを見つめながら、時代に翻弄されることなく、歴史学者として、ねらいさだめた研究目標に向かって、着実に邁進されるひろたまさき氏の姿勢・・・、無学歴・無資格、すべての学問において門外漢でしかない筆者でも、信頼感と尊敬心を持つことができる学者・研究者・教育者のあり様です。

同じ7年でも、その受けとめ方は様々です。


周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

2008年10月06日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(5.心理学者・教育学者の「まなざし」理解 4

<4>周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

周囲のまなざしと自己概念との矛盾葛藤・・・

この表現は、心理学者・梶田叡一氏の論文、《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》から借用したものです。

その論文の第3章の見出し「周囲の”まなざし”と自己概念との矛盾葛藤」は、その論文の中核部分になります。

梶田叡一氏、その冒頭でこのように綴ります。

「周囲からの”まなざし”によって、いつでも必ず、自らに対する”まなざし”が決められてしまう、というわけではない。当然のことながら、時には、周囲の人からの”まなざし”と自己概念との間に乖離や矛盾を感じざるを得ない場合がある・・・」。

「周囲からのまなざし」・・・、それは実に多種多樣なものがあります。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏から受けた誹謗中傷・罵詈雑言も、その「周囲からのまなざし」のひとつでしょうが、筆者、インターネットのブログで『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆をはじめて、いろいろな方々から「まなざし」を受けるようになりました。多くの場合、肯定的ないし中立的立場からの「まなざし」ですが、時として、岡山の中学校教師・藤田孝志氏からの「まなざし」のように、筆者そのものではなく、そのひとが<筆者>と想定するところのものに対する「まなざし」である場合が少なくありません。

最近、2ちゃんねるで、筆者の『部落学序説』の各章・項・節を3行論文化している方がおられますが、筆者、その方の<意図>が読めませんので、傍観しているだけですが、そのいとなみを、2ちゃんねるの読者の方は、筆者の「自作自演」と断定して、そのいとなみを<狂気のなせるわざ>と解釈されているようですが、筆者のあずかりしらないところです。

つまり、梶田叡一氏がいう「周囲からのまなざし」と筆者の「自己概念」(自己理解・・・)との間に「乖離」が発生しています。

梶田叡一氏、「周囲の人からの”まなざし”と自己概念との間に乖離や矛盾を感じざるを得ない場合」として、次のような場合を列挙します。

1.”自己宣言”としての強いアイデンティティを持ち、周囲からの”位置づけ”としての社会的アイデンティティに対抗しようとする場合、
2.身におぼえのない情報が広まったり、自分自身では重きをおかない何かが生じたりして周囲の”まなざし”が自己概念にそぐわない形で一変する場合、
3.周囲の”まなざし”は変わらないのに、自らについての何かを自分自身で位置づけし直す、といった形で自己概念の変化が生じた場合など・・・。

心理学者の梶田叡一氏、「このようなとき、人は一般に、次の四つのタイプのいずれかによって、周囲からの”まなざし”と自己概念との乖離や矛盾に解決を与えようとする・・・」といいます。

梶田叡一氏は、心理学者としての研究成果として、<一般的>には、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決は、例外なく、次の4パターンのいずれかに属するといいます。

心理学者・梶田叡一氏の論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》は、非常に短い論文なので、筆者の文章の中で、この論文のことばを引用するに、その論文の数十パーセントに及んでしまいます。

しかし、それは、単なる梶田叡一氏の論文の引用ではなく、筆者独自の視点・視角・視座からの批判検証なので、著作権に違背する可能性はほとんどありません。

しかし、その4パターン・・・、そのまま引用させていただくことにしましょう。

①自己概念に合うような形で周囲の”まなざし”を変化させるべく、周囲への働きかけをする。たとえば、「わかってください、私はそんな人間じゃあないのです。私は本当に、○○なのです」といった類の反応。

②主我の全体的なあり方を変化させ(自己変革を行い)、周囲の”まなざし”に調和するものにする。たとえば、「周りの人があのように考えているのも一理あるかもしれない。その線にそって努力してみよう。そうれすれば、周囲の人が考えている面が自分にも見えてくるかもしれない」といった類の反応。

③自己概念を周囲の”まなざし”に同調するような形で、自らの意識の中で自閉的変化させる。たとえば、「よくよく考えてみれば、本当の私というのは、周囲の人の考えている通り、○○なのであろう」といった類の反応。

④自己概念と周囲の”まなざし”との間の心理的関係を断ち切ることによって、両者の乖離や矛盾を意識しないですむようにする。たとえば、「周りの人の見方はそれとして仕方がない。しかし自分は自分である。誤解や食い違いはよくあることだから気にしないでおこう」といった類の反応。

梶田叡一氏は、<一般的>には、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決は、例外なく、次の4パターンのいずれかに属すると言っているだけで、<一般的>でない場合、つまり<特別的>・<特殊的>な場合は、この4パターン以外のパターンが存在する可能性を否定していません。筆者、この<一般的>な4パターン以外を、<特別的>・<特殊的>な例外的パターンとして認識することにしましょう。

筆者、この心理学者・梶田叡一氏の、「周囲からのまなざしと自己概念の乖離や矛盾」に対する解決の4パターンを、部落差別問題に適用することにしましょう。

<被差別者>が<差別者>から差別的な<まなざし>でみられるとき、<被差別者>はその<まなざし>をどのように受けとめるのか・・・?

梶田叡一氏のことばを、一部置き換えて、その問題解決の4パターンを部落差別に転換してみましょう。

①被差別者の自己概念に合うような形で差別者の”まなざし”を変化させるべく、差別者への働きかけをする。たとえば、「わかってください、被差別者はそんな人間じゃあないのです。被差別者は本当に、○○なのです」といった類の反応。

②被差別者の主我の全体的なあり方を変化させ(自己変革を行い)、差別者の”まなざし”に調和するものにする。たとえば、「差別者があのように考えているのも一理あるかもしれない。その線にそって努力してみよう。そうれすれば、差別者が考えている面が被差別者にも見えてくるかもしれない」といった類の反応。

③被差別者の自己概念を差別者の”まなざし”に同調するような形で、被差別者自らの意識の中で自閉的変化させる。たとえば、「よくよく考えてみれば、本当の被差別者というのは、差別者が考えている通り、○○なのであろう」といった類の反応。

④被差別者の自己概念と差別者の”まなざし”との間の心理的関係を断ち切ることによって、両者の乖離や矛盾を意識しないですむようにする。たとえば、「差別者としての見方はそれとして仕方がない。しかし被差別者は被差別者の見方・考え方がある。誤解や食い違いはよくあることだから気にしないでおこう」といった類の反応。

<被差別者>が、<差別者>から、差別的な<まなざし>を向けられたときに、<被差別者>がとりうる可能性があるのは、<一般的>には、この4パターンに尽きるということになりますが、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、④は、<差別者のまなざしから読み取った被差別者自身の像(鏡映自己像)の取り入れの全面的拒否、逆に、③は、<差別者のまなざしから読み取った被差別者自身の像(鏡映自己像)の全面的受容、①と②は、全面的拒否と全面的受容の中間領域で、①は、被差別者に差別的<まなざし>の修正を要求、②は、差別者の<まなざし>を受け入れ自己概念の修正を受容・・・、することであると理解されます。

被差別部落の人々が、差別者から差別的なまなざしを注がれたとき、被差別部落の人々がとりうる可能性のある<反応>は、全面的拒否と全面的受容を両極として、その間にさまざまなグラデーション段階があるということです。

心理学者・梶田叡一氏の論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》からを、《部落研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》と読み替えますと、梶田叡一氏の論文の結論はこのようになります。

「要は、部落問題を客観的な面から、すなわち被差別部落の人々の社会的地位や収入等々の面から吟味していくだけでは不十分であって、人々の共有する差別的な”まなざし”の面から、そしてそれによって形成される被差別部落の人々の自己への”まなざし”の面からも吟味していく必要があるのではないか・・・こういった意味での部落差別における心理構造を理解していくことによって部落問題研究・部落差別研究は新しい地平を切り開いていけるのではないだろうか」。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、2001年佐賀市同和教育夏期講座で、「差別の眼差し・・・と闘っていく立場に立つことはできる」と豪語します。そして、藤田孝志氏、そのような立場を「被差別の立場」として認識、「<差別と闘う位置に立つ>」と宣言しておられますが、「差別の眼差し」に対する、全面的拒否と全面的受容、そしてその両極の間にあるさまざまな折衷的立場・・・、藤田孝志氏は、被差別部落のひとびとの差別者に対する対応の多様性をどのように認識しておられるのやら・・・。

<差別者>でありながら、<被差別者>の立場に立つことができると豪語する、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、真の「部落解放」・「人間解放」の担い手になるのやら、それとも、いつか論理的に破綻して、「部落解放」・「人間解放」の似非担い手に堕するのやら・・・。それとも、「部落解放」・「人間解放」の高邁な精神を捨てて、またぞろ、被差別部落の人々を卑しめ貶める「賤民史観」の担い手に身を埋めることになるのやら・・・。

筆者、これで、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録に対する批判を終了しますが、2001年から5年後の2006年、さらに5年後の2011年・・・、藤田孝志氏がどのように、中学校教師として、歴史の教師として、「部落解放」・「人間解放」のために、「被差別の立場」に立ち尽くしているのか・・・、追跡し、検証し、もういちど文章化したいと思います。


差別をめぐる心理構造・・・

2008年10月05日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(5.心理学者・教育学者の「まなざし」理解 3

<3>差別をめぐる心理構造・・・

前回、《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》の著者、心理学者・梶田叡一氏のことばを借りながら、「まなざし」の一般的な心理構造についてとりあげました。

「まなざし」は、それ自体、差別的なものではありません。

たとえば、一般的には、母親が幼児に向ける「まなざし」は、やさしさとあたたかさに満ちています。母親のふところに抱かれた乳飲み子が、母親の目を見つめながらお乳を吸う光景は、なにかほっとするようなところがあります。

母親は、その乳飲み子に、やさしさとあたたかさをもったまなざしを向け、その乳飲み子は、母親に対して、信頼と期待に満ちたまなざしを向けます。

母親とこどもの間には、梶田叡一氏がいう「互いにかわしあう”まなざし”」があります。

しかし、昨今、マスコミのよって報道される事件を見ていますと、母親がその子どもを見る、やさしさとあたたかさに満ちた「まなざし」を失って、その子どもを捨てたり、その命を奪う・・・、そういう事例が多々存在していることに気付かされます。

例外的な、法的逸脱行為はともかく、一般的には、母と乳飲み子や幼児の間には、まだまだ、複雑な心理構造はなさそうです。

しかし、こどもが成長するに従って、母親に育てられるこどもの側に、「鏡映自己像」が形成されるようになります。

こどもにとって母親は、自分を庇護してくれる特別な存在、少々失敗しても、それすらあたたかく抱擁して、受け入れてくれる存在です。そして、その母親、<母親>として「権威」すら持っているのです。

こどもは、母親が自分にむける「まなざし」を、「徐々に内面化していき、それによって自己概念と内的規範とを形成していく」ことになります。それは、こどもが、<母親のまなざしから読み取った自分自身の像>「鏡映自己像」を受容することであり、<母親のまなざしに反映された期待の体系>を摂取することを意味します。

そのこどもは、幼児期の、母親との「互いにかわしあう”まなざし”」によって、母親から自立して歩みはじめるときにも、それまで培われ育まれてきた、母と子の合作である「鏡映自己像」に忠実であろうとし、母の期待にかなう道を歩もうとします。

それは、「まなざし」の社会生理学的側面であるといえましょう。

しかし、「まなざし」には、社会生理学的側面だけでなく、社会病理学的側面も存在しているのです。

人間関係が崩れ、「まなざし」が病んだとき、本来人間の結びつきを強めるための「まなざし」にどのような社会病理学的側面が発症するのか・・・、この世の中に存在する部落差別・性差別・障害者差別・人種差別・民族差別などの差別も社会病理現象ですが、そこでくりひろげられる差別・被差別の間でかわされる「まなざし」は、本来の「まなざし」から逸脱した、病んだ「まなざし」であるといえましょう。

「まなざし」の本質を理解するためには、社会生理学的側面だけでなく、社会病理学的側面も視野にいれることで、「まなざし」の本質をさらに深く・広く理解することができるようになると思われます。

心理学者・梶田叡一氏が、論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》の中で取り上げる、「まなざし」の社会病理学的側面は、<学歴差別>です。

梶田叡一氏、この<学歴差別>は、人生において、<さまざまな悲喜劇を生じさせる>といいます。<学歴を持っているか、持っていないか>によって、「周囲の人からの、”まなざし”は大きく変わってくる」といいます。

しかし、<学歴差別>は、学歴の有無だけが問題にされるのではありません。「最終的に卒業した学校が、東京大学なのか、有名私立大学なのか、それとも地方の無名の大学なのか・・・、といった情報に接するだけで、周囲の人からの”まなざし”は大きく変わってくる」といいます。

<学歴差別>をめぐる「まなざし」は重層的に存在していることになります。

その<学歴差別>から自由になるために、「こどもたちは有名高校、有名大学を目指す」ことになるといいます。「周囲の人の”まなざし”に対応する形での自己のイメージ」・「鏡映自己像」を形成することになるというのです。梶田叡一氏、「有名大学を卒業していることは、自他の”まなざし”の中で、人間としての基本的価値が高いことを、社会的な毛なみの良いことを、つまり現代社会においてその人が”貴種”であることを意味する・・・」といいます。

筆者、梶田叡一氏のことばを前にして考えるのですが、「貴種」になりそこねた人は、なんと呼ばれるのでしょうか・・・。梶田叡一氏、ひとこともそのことについては触れてはいませんが、「貴種」の対極は「賤種」でしょう。

<学歴差別>社会において、「貴種」になりそこねたひとは「賤種」になる・・・?

心理学者・梶田叡一氏、その「社会的”貴種”コースを断念せざるを得ない子どもたち」、つまり「賤種」に身を置くことになった子どもたちの例として、「ツッパリや暴走、非行に走り、裏文化の中で自らの価値と意味を追究していこうとする・・・」といいます。

筆者、心理学者・梶田叡一氏の論文を読みながら、梶田叡一氏が、<学歴差別>社会の底辺、梶田叡一氏が示唆する「賤種」として生きざるを得なくなったひとびと、こどもたちに対して向ける、心理学者としての<まなざし>にドキリとさせられます。

国立・兵庫教育大学の学長プロフィールの中にこのような紹介がありました。

梶田叡一 兵庫教育大学長
文学博士
中央教育審議会委員(副会長・初等中等教育分科会長・教育制度分科会長・教員養成部会長・教育課程部会長など) ・全国学力・学習状況調査分析活用専門家会議座長を歴任。

いわば、小中高の教育にたずさわる教職を育成する教育大学の長である梶田叡一氏の、教育者としての「まなざし」・・・、筆者大いに違和感を感じます。なぜなら、「貴種」という概念自体、日本の歴史上、特別な概念であって、戦前の国民国家思想において、天皇と皇族を限りなく「貴種」として、一般を限りなく<賤種・劣種>としておとしめる教説である優性思想の基本的概念だからです。

「学歴差別」を論じるときに、なぜ、そのような概念をあえて使用されるのか・・・?

少し脱線しましたが、この<貴種>に関する問題は保留して、 心理学者・梶田叡一氏の語ることばに耳を傾けていきましょう。

梶田叡一氏、「有名大学を卒業していることは・・・その人が貴種であることを意味する」といいますが、「鏡映自己像」「貴種」であることは、「周囲の”まなざし”によってプライド等が日常的に支えられ、強化される・・・」といいます。

<学歴>があるということは、その人の周囲が、「その人に大きな価値を認め、重視し、暖かく受容し、支持するといった態度でその人に接する、ということを意味する・・・」といいます。しかし、<学歴>をもっていない人に対しては、そのひとの周囲が、「どこの馬の骨なのか、という”まなざし”で見る・・・、その人に価値を認めないだけでなく、軽視したり無視したりし、さらに冷たく拒絶し、支持しない、という態度をとりがちになることを意味する・・・」といいます。

「周囲の人からの”まなざし”が、自らの存在やあり方に対して受容的的で支持的なものである場合、人は自らにポジティブな”まなざし”を投げかけるようになるのに対し、他の人からの”まなざし”が非受容的拒否的なものであれば、自らの”まなざし”もネガティブなものにならざるをえない、という一般的傾向がある。したがって、プライドや自信、自己受容といった自己評価的意識や感情の基礎は、このような他者の”まなざし”によって、基本的に強化されたり、あるいは脆弱化したりするのである」。

心理学者の梶田叡一氏、この<学歴差別>の社会にあっては、<高学歴>を持つものだけが、「プライドや自信、自己受容を高い水準に維持できている時にのみ精神的な健康が確保される・・・」といいます。

そうでない場合、つまり<低学歴>・<無学歴>の場合、「精神的な健康」は維持されず、あえて、「精神的な健康」を維持しようとすると、「大変な緊張と努力を必要とする」といいます。

現兵庫教育学長である梶田叡一氏、今も同じようなことを考えておられるのでしょうか・・・?

そうでないことを祈りつつ、心理学者・梶田叡一氏が語る、「周囲からの”まなざし”と自己概念との乖離や矛盾・・・」に直面した場合、心理学的にはどのような解決方法があるのか、「まなざし」の社会病理的側面を、梶田叡一の論文を参考にして追跡してみることにしましょう。


「まなざし」と「鏡映自己像」・・・

2008年10月04日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(5.心理学者・教育学者の「まなざし」理解 2

<2>「まなざし」「鏡映自己像」・・・

筆者、無学歴・無資格、大学等の高等教育の門外漢なので、心理学に関する知識はほとんど皆無です。

筆者の書棚から心理学関係の書籍を探しても、あるのは、わずか1冊のみ・・・。相良守次著『心理学概論』(岩波書店・1968)・・・。

筆者が心理学的な知識を得るために、ひもとく本は、昔も今もこの『心理学概論』のみ・・・。

その第16章は、「問題に当面して」・・・。

その小見出しを拾い上げてみますと、「問題事態・問題事態の分析・情報の蒐集・手段と目標・道具手段の発見・道具の制作・仮説と試み・仮説の功罪・仮説の偏り・解決のための戦略・概念の形成・関係把握・生産的思考」等が論じられています。

この小見出し・・・、アトランダムに列挙されているのではなく、問題解決の心理学的道筋を順を追って説明・解明したものです。

筆者、まったくの無学歴・無資格、大学等の高等教育には無縁な存在故、筆者の<独学>の質は、筆者自身で保障しなければなりません。高等教育を受ける機会にめぐまれた人は、大学の教授・助教授・講師の方々から、問題解決について、豊富な知識と技術、そして実践的訓練を受けることになるでしょうが、<独学>の場合、それすら、自分で身につけなければなりません。

それで、無学歴・無資格の筆者、自分の問題解決能力を向上させるため、相良守次著『心理学概論』の第16章・「問題に当面して」を問題解決の心理学として、筆者の人生の様々な場面で応用してきました。

問題解決のための、「問題事態・問題事態の分析・情報の蒐集・手段と目標・道具手段の発見・道具の制作・仮説と試み・仮説の功罪・仮説の偏り・解決のための戦略・概念の形成・関係把握・生産的思考」の各段階における自己批判と自己検証を積み重ねてきました。

筆者の<独学>を、心理学的に客観的なものにするために、筆者が採用したのが、相良守次著『心理学概論』だったのです。

最近、問題解決の方法を知らず、「問題事態」からいきなり「非生産的思考」と行動に堕してしまうような事件が相次いでいます。無学歴・無資格の筆者と違って、学歴・資格をもち、高等教育を受けることにめぐまれてきた人にして・・・です。

筆者、相良守次著『心理学概論』を通して、心理学的に自己をコントロールする方法を習熟したが故に、それ以降、心理学的な書籍・・・、特に、みーちゃん、はーちゃんのための通俗的心理学に関する本を読むことはありません(そういえば、歴史に関しても、みーちゃん、はーちゃんのために書かれた歴史の本をひもとくことはありません・・・。)。

それなら、なぜ、今回、相良守次著『心理学概論』に依拠しないで、梶田叡一著《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》に依拠して、論をすすめるのか・・・。

それは、梶田叡一氏の論文が、学歴差別における「まなざし」の心理構造を客観的に、無学歴・無資格の筆者にも理解でき納得できる形で説明しておられるからです。

梶田叡一氏、「まなざし」について多樣な側面を紹介しておられますが、「まなざし」が問題にされるのは、<自己に対する他者のまなざし>です。梶田叡一氏、「他の人が自己に対しどのよな”まなざし”を向けているか、について、人は無関心であることができない。」といいます。

しかし、その「程度」は、「大きな個人差がある」といいます。

「一方の極に、どういう”まなざし”で見られようとも平然としている傍若無人な人がいるのに対し、他方の極に、周囲からの”まなざし”に敏感で、いつでもピリピリしているといった対人恐怖症的な人がいるのは確かな事実である」。

筆者、「傍若無人な人」に属するのか、それとも「対人恐怖症的な人」に属するのか・・・、あえて言わずとも知れたこと・・・。「部落差別問題に熱心にかかわるものは、被差別部落出身者に違いない・・・」という暗黙の了解が一般化している世の中で、そのような偏見が一向に気にならないように、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆し続ける筆者、明らかに、「傍若無人な人」に属します。まかり間違っても、「対人恐怖症的な人」に列することにはなりません。

梶田叡一氏、「しかし、いずれにせよ、他の人の”まなざし”の中で、自分自身がどのように位置づけられ、意味づけられ、値ぶみされているか、をキャッチしないなら、人は社会的な場でいかなる活動をすることもできない。人は、社会的な場においては、他の人からの”まなざし”によって常に自らを吟味し、コントロールしているといってもよいのである」。

しかし、梶田叡一氏、<他者のまなざし>の持っている影響力は、決して一様ではないといいます。

同じ<他者のまなざし>であったとしても、その他者が、「自らにとって特に重要な人、権威を持つ人」である場合、その「まなざし」は、その人の内に「徐々に内面化」され、やがて、その人の「自己概念と内的規範とを形成していく」ことになるというのです。

梶田叡一氏、さらにこのように語ります。「これは、他の人の”まなざし”から読み取った自分自身の像(鏡映自己像)の取り入れであり、また”まなざし”に反映された一般的な期待の体系の取り入れである」。

梶田叡一氏、<鏡映自己像の受容>・<他者のまなざしに反映された一般的な期待の体系の摂取>、「これによって人は、一人っきりでいる場合には、自らに対して一定の概念を持ち、その場での自らのあり方を吟味し、コントロールしていくことになるのである。」といいます。

以上が、心理学者・梶田叡一氏が説く、「まなざし」の一般的な「心理構造」のようですが、この「まなざし」理解・・・、すべての社会事象に適用することができそうです。特に、いろいろな差別問題についても・・・。梶田叡一氏が、このあと、それを適用して解明する学歴差別だけでなく、部落差別・民族差別・性差別・障害者差別など、いろいろな差別に対しても適用することできます。

梶田叡一氏の語る<鏡映自己像の受容>に関する教説・・・。差別問題における差別・被差別の関係性における双方向の「まなざし」を解明するためのツールになります。

この<鏡映自己像の受容>に関する教説との出会いは、筆者にとって、相沢守次氏が記している、問題解決の心理学の一連の過程、「問題事態・問題事態の分析・情報の蒐集・手段と目標・道具手段の発見・道具の制作・仮説と試み・仮説の功罪・仮説の偏り・解決のための戦略・概念の形成・関係把握・生産的思考」の諸段階における「道具の発見」に該当します。

無学歴・無資格、高等教育とは無縁な筆者の<独学>は、常に、グローバルな学問的枠組みの中に、個々の論説を位置づけていくことによって遂行されます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者に対する誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返しておられたのは、筆者の論説が、部落差別に関する「公衆便所の落書き」ではなく、書き下ろしであるにもかかわらず、最初から最後まで、首尾一貫して、体系的に論述されていることに対する拒否<反応>だったのでしょう。

そういう意味では、藤田孝志氏とそのグループの筆者に対する「まなざし」・・・、梶田叡一氏の語る<鏡映自己像の受容>に到ることのない「まなざし」・・・、に他なりません。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群に対して、<反応>しているだけであって、筆者に影響を与え、『部落学序説』とその関連ブログ群の執筆内容に影響を与えるような「まなざし」ではありえないのです。かなり無駄な時間は費やさせられましたが・・・。

筆者、岡山の中学校教師・藤田孝志氏と違って、デジタル社会の新しい人間ではなく、アナログ社会の古き人間に属しているに過ぎませんから・・・。

次回、心理学者・梶田叡一氏の論文を手がかりに、<学歴差別における貴賤>について検証することにしましょう。


心理学者・教育学者の「まなざし」理解・・・

2008年10月03日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(5.心理学者・教育学者の「まなざし」理解 1

<1>心理学者・教育学者の「まなざし」理解・・・

筆者、何度も繰り返しますが、無学歴・無資格です。

大学という名の高等教育機関で、大学教授という肩書を持った方から一度も講義を受けた経験がありません。

2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録である、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて』を批判・検証するときにも、教育学・歴史学・心理学のプロである藤田孝志氏の言説を充分理解・消化するための学問的な前提がありません。

藤田孝志氏の口癖に、「・・・はそんな単純なものではありません」ということばがありますが、「人間の心理はそんな単純なものではありません・・・」という、藤田孝志氏のことばを前にしますと、心理学の門外漢である筆者、そこで立ち往生してしまいます。

藤田孝志氏、<人間の心理は複雑である・・・>と言っておられるのですが、<人間の心理は複雑である・・・>ということばは、藤田孝志氏の研究や教育の出発点であるのか終着点であるのか・・・、筆者、いずれとも判断することはできません。

<人間の心理は複雑である・・・>ので、そこから、人間の心理の探究がはじまるのか、それとも、同じ<人間の心理は複雑である・・・>という理由で、人間の心理についてのすべての言及は相対化され、複雑さは複雑さのまま捨ておかれるのか・・・。

筆者、おのれの限界を認識しつつ、心理学者・梶田叡一の論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》(『教育社会学研究』第38集・1983年)に依拠しながら、<人間の心理は複雑である・・・>と信じてやまない藤田孝志氏の<まなざし>理解について少しく言及していきたいと思います。

梶田叡一氏、2008年9月現在、兵庫教育大学の学長をされているようです。

この論文は、その梶田叡一氏の学歴差別に関する論文です。筆者、学歴差別について、昔から関心を持っています。そして、学歴を持つことなく、学歴について考察を続けてきましたが、あるときから、筆者、無学歴・無資格を標榜するようになりました。

しかし、筆者の無学歴・無資格の主張、ほとんどの人には理解されることはなさそうです。現在の日本の社会、学歴差別に対して批判的な意見は多々あるものの、学歴そのものについては肯定的に受けとめられている場合がほとんどです。

低学歴を脱して高学歴に移行することは、多くの人々にとって、人生の課題です。苦学して、学歴を取得することで、低学歴から高学歴に脱皮したとして、喜びの感涙にむせぶ人は決して少なくありません。

学歴だけを求めるなら、旧制大学をはじめとする国立の4年制大学にこだわらず、全国に散在する私立大学で学べば充分ですし、それに、通信教育で大卒の資格をとることも、放送大学で学歴をつむことも可能です。芥川龍之介の詳説『蜘蛛の糸』ではありませんが、学歴を取得して、低学歴から脱出する、その瞬間、低学歴に生きる人々を足蹴にして、ひとり高みに達する快感を味わうことができるのでしょう。

「全入時代」と言われる今日にあっては、その気になれば、誰でも大学を卒業し、高学歴を身につけることができる・・・、そんな時代に、なぜ、学歴を積む努力をしないで、「無学歴・無資格」を標榜してもの申すのか・・・、ほとんどの人は理解することが難しいようです。

筆者が、「無学歴・無資格」を標榜していることで、何を錯覚されたのか、筆者を学歴のコンプレックスの持ち主として、はげしく非難してこられる方がおられます。

特に、戦後の部落解放運動に関与してこられた方々の中に、そういう人々を見かけます。

学歴を身につけることは、戦後の部落解放運動の闘争目標のひとつでした。被差別部落の学歴保持者数と一般地区の学歴保持者数を比較して、その是正を求める運動を展開してきました。戦後の部落解放運動においては、学歴についての歴史的研究・批判的研究は、すっかり影をひそめてしまいました。学歴の<社会生理>・<社会病理>について一考だにすることなく、学歴社会を前提・容認して、その学歴社会での位置の向上を追究していきました。

戦後の部落解放運動にとって、「無学歴・無資格」は、克服されるべきマイナスの価値でしかなかったのです。

筆者、学歴差別は、近代中央集権国家・明治天皇制国家によって、民衆支配のために作られた装置・システムであると思っていますが、戦後の部落解放運動においては、そのような発想が組み込まれることはありませんでした。そのため、戦後の部落解放運動、それなりの成果を残してきたとは思いますが、学歴差別を撃つ視点を内包することはほとんどありえなかったように思われます。

心理学者・梶田叡一氏、その論文《学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から》において、学歴差別社会における<貴・賤>について論じられています。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「・・・の貴賤がないのは現代の価値観」といいますが、心理学者・梶田叡一氏、現代の学歴差別社会を理解するに、この貴賤概念をもってします。貴と賤・・・、それは、藤田孝志氏が指摘するような、近世幕藩体制下に固有の価値観に封じ込められるものではなく、現代社会においても支配的な有力な価値観となっていると指摘されています。

心理学者・梶田叡一氏、このように記しています。「明治以降、現代に到るまでの日本の社会において、個人にとっての学歴が、また組織や社会にとっての学歴構成が、どのような意味と機能を担ってきたかについて、これまでさまざまの優れた研究がなされてきた。・・・しかし、学歴の客観的かつ社会的な意義をその根底において支えている心理構造に関しては・・・まだまだ研究が手薄のように見受けられる」。

心理学者・梶田叡一氏、その学歴をめぐる「心理構造」を、「まなざし」の観点から、「若干の検討を試みることにしたい」といいます。

その内容は、以下の通り。

1.”まなざし”と学歴
2.”まなざし”と自己評価的意義
3.周囲の”まなざし”と自己概念との矛盾葛藤
4.学歴追究を心理的な面から考えたい

『部落学序説』の筆者が、「わがこと」として語ることができる「被差別」は、部落差別・民族差別・性差別・障害者差別などではなく、学歴差別においてです。それは、『部落学序説』とその関連ブログ群において何度も言及してきた通りです。

差別問題を論じるときの、筆者の視点・視角・視座に対する、部落解放運動家や、部落史研究の学者・研究者・教育者の<違和感>は、筆者が、差別問題を理解するときの根底に、明治以降の、民衆支配のシステムとしての学歴差別を据えているところに由来すると思われます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「人間の心理はそんな単純なものではありません・・・」と力説する、差別の心理的メカニズム(心理構造)・・・、同和教育・部落史学習において理解・把握することに困難さを覚える問題も、部落差別ではなく、学歴差別になりますと、心理学者としての梶田叡一氏の論理が冴えわたります。

心理学者・梶田叡一氏の語る「まなざし」、それは、一方向のまなざしではなく、最初から双方向のまなざしです。梶田叡一氏、「まなざし」の属性として、「人々が互いにかわしあう」ことをとりあげます。学歴差別における、差別と被差別の関係、その両者の間で交わされる「まなざし」の心理学的分析、少しく、詳細に検証していくことにしましょう。

筆者、梶田叡一氏がその論文の中で語られる「鏡映自己像」・・・、近代部落差別構築の過程を理解するに、重要なキーワードになると思っています。部落史研究の世界では、この「鏡映自己像」を踏まえて、「国民国家の論理から生みだされる社会的諸規範の意志とか感情とか、感受性を肉体化した「視線」」を明らかにした、ひろたまさき氏の先行研究(ひろたまさき著『差別の視線・近代日本の意識構造』吉川弘文堂)が存在しますが、『部落学序説』の解釈原理である「非常民論」・「新けがれ論」の文脈の中で、ひろたまさき氏の研究成果を後追いすることも、ひろたまさき説の正しいことを追認することも意味のないことではなないと考えています。

(執筆中・・・)


藤田孝志氏の<まなざし>理解・・・

2008年10月02日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(4.偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解 2

<2>藤田孝志氏の<まなざし>理解・・・

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、部落「差別というのは関係性の中で生まれてくる・・・」といいます。その「関係性」とは、「部落外」「部落」「関係性」のことです。ことばを変えますと、<差別者>と<被差別者>の「関係性」のことです。

藤田孝志氏が指摘する「関係性」を考慮するとき、藤田孝志氏によって、二極化された「部落外」「部落」、<差別者>と<被差別者>の間には、一般的に2通りの「まなざし」が存在すると考えられます。

ひとつは、<差別者>が<被差別者>に向ける「まなざし」、もうひとつは、<被差別者>が<差別者>に向ける「まなざし」・・・。

部落差別における<まなざし>を研究するとき、できる限り客観的・体系的に研究しようとしますと、部落差別における「まなざし」は、この2通りの「まなざし」を的確に検証しなければなりません。

<差別者>が<被差別者>をどのような視点・視角・視座で見ているか・・・、それとともに、<被差別者>が<差別者>をどのような視点・視角・視座で見ているか・・・、少なくとも、<差別者>と<被差別者>との「関係性」を論じるときには、一方向の「まなざし」だけでなく、双方向の「まなざし」に着目しなければなりません。

藤田孝志氏は、このように語っています。

「今までのわれわれの同和教育・部落問題学習というのは、どちらの方向を見て授業をしてきたのでしょうか。われわれは部落を見つめ授業をしてきたのです。しかし、ここで問うべきは、部落がどうであるかではないのです。部落を見ている私たちがどうなのかを問われなければならないのです」。

藤田孝志氏は、「同和教育・部落問題学習」に際して、従来は、<差別者>が<被差別者>に向ける「まなざし」に力点を置いて進めてきたけれど、今は、<差別者>は、<被差別者>が<差別者>に向ける「まなざし」を、自分の「まなざし」として共有化しなければならないと力説していると考えられます。

藤田孝志氏、<差別者>が<被差別者>に向ける「まなざし」を「差別の眼差し」と呼んでいます。あるいは、歴史上の事例から「蔑みの眼差し」と呼んでいます。

藤田孝志氏、学校同和教育における「部落史学習」の目的を、「差別解消の主体者を育てる」ことにおいていますが、「差別解消の主体者」になるためには、<差別者>が<被差別者>に向ける「まなざし」ではなく、<被差別者>が<差別者>に向ける「まなざし」・「差別の視線に対して真正面から受けとめて、そしてそしてその差別と闘って」いかなければならないといいます。

藤田孝志氏にとって、「差別解消の主体者」になることは、<差別者>が、<差別者>が<被差別者>に向けてきた「差別の眼差し」・「蔑みの眼差し」を放棄して、<被差別者>が<差別者>に向けた「まなざし」、「差別と闘って・・・差別をなくしていく」ときの「まなざし」、<差別者>・<被差別者>両方を生かすことができるような「まなざし」を自分のものにしていくことを訴えておられるようです。

藤田孝志氏固有の表現を使用すれば、「被差別の立場」(<差別者>であるにもかかわらず<被差別者>の立場に身を置き、<被差別者>と共闘して「部落解放」・「人間解放」に資する)から必然的に出てくる「まなざし」ということでしょうか・・・?

藤田孝志氏・・・、『部落学序説』の筆者が、部落解放運動家がいう、「被差別者でなければ差別者である」という2分法を受け入れ、その論説の最初から最後まで「差別者」の立場から論究していくのと違って、藤田孝志氏、「差別はしていない」、つまり、藤田孝志氏は、「被差別者でなければ差別者である」という2分法にはなじまない、<差別者>であるけれど「差別はしていない」ので<差別者>と同じではない、むしろ、<被差別者>の側に身を置いて、「部落解放」・「人間解放」に従事していると宣言されているのです。

筆者、山口の地に棲息するようになって、四半世紀が過ぎますが、その間に遭遇した、山口県の学校同和教育・社会同和教育に従事している小中高の教師の方々、大学の教授・助教授の方々の中に、岡山の中学校教師・藤田孝志氏ほど、「部落解放」・「人間解放」について、熱と力を込めて力説する教師の存在を知りません。

筆者が出会った山口の教師のほとんどは、よくもわるくも<教師>として、この問題に関わっている方々ばかりでした。被差別部落出身の教師ですら、あくまで<教師>として、<教師>の職務をまっとうする方ばかりで、岡山の中学校教師・藤田孝志氏ほど、「部落解放」・「人間解放」「わがこと」として受けとめ、「部落解放」・「人間解放」の伝道師として全国に布教活動をされる方は、ほとんどいませんでした。

ほとんど・・・、というのは、筆者が知らないだけかもしれませんので、留保の意を込めて・・・。

筆者が出会った山口の、同和教育・部落史学習に関与する教師のほとんどの方、自分に与えられた職務、教室での授業を離れて、講師として全国行脚されることを選択されることはありませんでした。

しかし、筆者、筆者が出会った山口の、同和教育・部落史学習に関与する教師のこのありようを批判的に見ることはありませんでした。筆者同様、たとえ、同和教育・部落史学習の専門家である小中高の学校教師、大学の教授・助教授の方々であったとしても、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のように、自分は「差別していない」、差別意識から自由にされているとして、「被差別の立場」に立っていると自負することなど、毛頭考えることができなかったのではないかと思われます。

山口の、同和教育・部落史学習の多くは、岡山の中学校教師・藤田孝志氏が指摘される、「客観的」な立場に立って授業実践していたと思われます。もちろん、山口の同和教育・部落史学習における実践活動において、過去においても現在においても、多々問題が発生していますが、それは、「客観的」な立場そのものが間違っていたからではなく、「客観的」な立場に立つことに徹することができなかったが故の問題発生であると思っています。

しかし、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、中学校の同和教育の授業実践における、「客観的」な立場をこのように語っています。<被差別>の立場に立つ生徒も<差別>の立場に立つ生徒も「両方を平等」に見ることは、同和教育を担う教師の「悪しき弊害」であると。

岡山の中学校教師の藤田孝志氏、その同和教育・部落史学習の実践においては、<被差別>の立場に立つ生徒の側に意図的に身を置き、藤田孝志氏、それを「被差別の立場」と呼びますが、<主観的>な「被差別の立場」から授業を実践されてこられたようです。

「学校教師は、その授業実践において、いかなる生徒に対しても平等に、客観的な価値判断のもとに指導しなければならない・・・」と考える筆者にとっては、藤田孝志氏の授業実践、それが、たとえ、藤田孝志氏の高邁な「部落解放」・「人間解放」にかかわるものであったとしても、<被差別>の立場にある生徒に対する<偏愛>でしかないと思われます。

筆者の目からしますと、被差別部落の生徒の側に立つと宣言する中学校教師は、本来の教師のありようから大きく逸脱した存在であると思われます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏に、そのような逸脱を強いるもの・・・、それは、藤田孝志氏の中にある、「部落になりたいのに、なれない。でも、なんとかして部落になりたい・・・」という思いにまで発展する、中学校教師・藤田孝志氏の「部落解放」・「人間解放」に対する熱い思いが、あえて、同和教育・部落史学習における被差別部落の生徒を<偏愛>する教育へと駆り立てたのでしょうか・・・?

藤田孝志氏、講演録の最後で、藤田孝志氏が、その父親に投げかけていた「まなざし」について触れておられます。小学生の頃、藤田孝志氏がその父親に投げかける「まなざし」は、このようなものでした。

「生ゴミの袋を手に持ち、破れた袋から流れ出た汚い液体を体に浴び、黙々とゴミを片付けている父・・・その父を汚いものでも見るように遠ざけ・・・」、その場から逃亡をはかるような「まなざし」でした。その、藤田孝志氏の父親に対する、そのような「まなざし」・・・、「教師になった後も・・・父の仕事を軽蔑し、人にゴミ取りの子と思われるのが嫌で、ひた隠しに生きてきました。父を見下し蔑んでいた・・・」、藤田孝志氏がいう「蔑みの眼差し」でした。

この話し・・・、藤田孝志氏は、作り話しではなく、「私自身のこと」(本当の話し)であるといいます。

藤田孝志氏の中にあった、「差別意識やこだわり」・・・、小中高の学校教育においても、大学でに高等教育においても、払拭したり乗り越えたりすることができなかった「差別意識やこだわり」から、藤田孝志氏を解放してくれたもの、藤田孝志氏から、人を「蔑む眼差し」を取り除いてくれたものは、「部落解放」・「人間解放」であった、「同和教育との出会い」であった・・・、といわれます。

藤田孝志氏、その講演の末尾で、<同和教育にかかわってきたこと、そして今かかわっていること、そしてこれからもかかわっていくことを私は誇りに思います。>と語ります。

筆者、岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、熱心な同和教育・部落史学習の実践者であることを否定するものではありません。藤田孝志氏、その人生における「差別意識やこだわり」をとりのぞいてくれた「部落解放」・「人間解放」のいとなみへの報恩から、被差別部落出身の生徒を偏愛し、一般的な教師道から逸脱しても、その愛を実践しようとされてきたし、されているし、これからもされるであろうことを否定するものでも、批判・中傷するものでもありません。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の同和教育・部落史学習、それは希有な実践事例だったのでしょう。

しかし、『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者である私は、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のように、自らの中に、「被差別の立場」という、自己欺瞞的な精神的・論理的回路を作りだすことができません。往年の部落解放運動が、「被差別者でなければ差別者である」と宣言し、闘争を挑んでいったときの「差別者」に属する筆者は、昔も今も、そしてこれからも「差別者」として自らを認識し続け、「差別者」の側から、「被差別部落」の人々を差別し続けてきた原因とその歴史を解明しようとしています。

筆者、心理学者と歴史学者の論文を参考にして、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の、同和教育・部落史学習の中で絶対化されはじめていた「被差別の立場」からくる「まなざし」を相対化するこころみを実践してみたいと思います。


まなざしの字義的解釈・・・

2008年09月30日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(4.偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解 1

<1><まなざし>の字義的解釈・・・

「まなざし」とは何か・・・?

2001年佐賀市同和教育夏期講座における、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録によりますと、藤田孝志氏にとって、「眼差し」「視線」と同格です。「差別の眼差し」「差別の視線」は相互に入れ換え可能なことばとして使用されています。

『広辞苑』によりますと、「視線」「目で見る方向」をさすことばです。「まなざし」は、「【目差・眼指】目の表情・目つき。まなこざし。」のことです。

『広辞苑』の説明では、わかったようでわからないので、「まなざし」ということばが、何を意味しているのか、少しく検証してみることにしましょう。

前田勇編『江戸語の辞典』をひもときますと、「まなざし」という見出し語はありません。その代わりに、次の見出し語があります。

まなこ【眼】目。
まなこざし【眼差】物を見る目つき。まなざし。

江戸時代においては、「眼差し」は、「まなざし」ではなく「まなこざし」と読まれていたようです。

現代において一般的に用いられている「まなざし」ということばは、「まなこざし」ということばから、その一部「こ」が欠落したことばなのでしょうか・・・?

「まなざし」ということば、本来は、「まなこ」ということばと「さす」ということばが結合されて作られたことばのようです。

森田良行著『基礎日本語』(角川小辞典)によりますと、「さす」ということば、漢字で「差・射・指・刺・挿・注」という字があてられるそうですが、和語の「さす」ということばが多義的に使用されていたことを物語っています。

森田良行氏、漢字の「差・射・指・刺・挿・注」の意に拘束されないで、和語の「さす」ということばのもっている意味をこのように説明しています。

「ある事物を他の領域へ入っていくように向ける。向けて進ませる。その”事物”と、向かっていく”領域”とによって「さす」の内容が細かく分かれる」。

森田良行氏、「さす」の意味を大きく4つに分類しています。

しかし、「まなこざし」ということばの意味を考える上で、もっとも適切な意味は、3番目の意味です。

「・・・ハ・・・デ・・・ヲさす」(他動詞、意識的)

「さされる対象を「を」格で示し、さす手段・道具を「で」格で示す。「AハCデBヲさす」形式。さす主体はあくまでAで、Cは、特に言う必要がなければ文面に表さない。・・・ある目的達成のため、・・・もの(C)で相手(B)の中に強く食い込ませる行為であるから、さす行為に目的があるのではなく、さした結果に目的が置かれる。さすことによってBの状態に変化が生じるのである」。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、その講演で使用している「眼差し」ということばは、この用法で使用されています。

藤田孝志氏によりますと、「眼差し」とは、「部落外」(A)に属するひとびとが、その「眼」(C)で、「部落」(B)に属するひとびとを、「蔑む」ために、「さす」行為を意味します。藤田孝志氏の表現では、「蔑みの眼差し」ということになります。

藤田孝志氏によりますと、その「蔑みの眼差し」の背景に、「500年間」、昔も今も存在し続け、「500年間、何ひとつとして変わっていない・・・差別意識」が存在しているのです。その「差別意識」「500年経ってもまだ変」わることなく、日本の社会・民衆の精神や文化の「底流」に流れ、それぞれの時代にそれぞれの時代の「差別の表出形態」をとって噴出してきた・・・、というのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「500年間」と言い切ったわりには、その講演の中で、なぜ、500年前に、日本の社会・民衆の中に「差別意識」が芽生えたのか・・・、説明は一切されていません。藤田孝志氏をはじめ、日本の小・中・高の学校教師の方々にとっては、この「500年間・・・」という表現は、あえて説明する必要がないほど、自明の理なのでしょうか・・・?

無学歴・無資格、教育学・歴史学、同和教育・部落史学習の門外漢である筆者にとっては、藤田孝志氏のこの表現、とても違和感を抱いてしまいます。

500年前は、日本の社会や民衆の中には、とりあげていうほど、「差別意識」は存在していなかったのでしょうか・・・? ある日、ある時、500年前に、突如として発生した「差別意識」、それは、日本人の精神文化を蝕み、今日に到るまで、「蔑みの眼差し」を生み続けている・・・。

藤田孝志氏によりますと、「部落外」の一般のひとびとは、「部落」の被差別部落の人々に対して、「蔑みの眼差し」を向け続け、被差別部落の人々のこころの中に、深く・強く被差別意識を「食い込ませる行為」をしていることになります。差別者は、眼でもって、被差別者のひとみの奥にあるそのこころを傷つけている・・・。

藤田孝志氏が指摘する、「部落外」「部落」に対して「眼」でもって「さす」行為・・・、無学歴・無資格、民衆のひとり、近世幕藩体制下の百姓の末裔でしかない筆者の目からみますと、その「まなざし」は、あまりにも、「部落外」・「加差別者」に重心を移し過ぎた<偏狭>な解釈ではないかと思われます。

なぜなら、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「眼差し」理解には、藤田孝志氏が力説する、差別と被差別の間の関係性が、中途半端にしか反映されていないからです。

次回、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のその個人史における「差別意識」「まなざし」について検証してみることにしましょう。


偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解 はじめに

2008年09月30日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(4.偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解

はじめに

2001年佐賀市同和教育夏期講座に於ける、岡山の中学校教師・藤田孝志氏野講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』に対するクリティーク(批判)を開始するとき、その批判の構想全体を次のように予告していました。

1.人生と差別
2.部落史学習と政治起源説
3.差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について
4.偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解
5.まとめ

今回、4番目の<偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解>について言及を開始しようと思っていますが、藤田孝志氏の講演録、他の部落史の学者・研究者・教育者のように、その講演の中で使用する諸概念について、明確な定義を施したあとで使用されているわけではなさそうで、ほとんどの概念がアドホック的に使用されています。

おそらく、藤田孝志氏の講演・論文等は、それらの諸概念を明確にしなくても、その主張が通じる、仲間内の世界、同和教育・部落史学習にたずさわる教職員の世界の内側に向けてのみ語られ、記されているのでしょう。

そのため、無学歴・無資格、同和教育・部落史学習の門外漢である筆者にとっては、藤田孝志氏の使用される言葉は、多義的な解釈を許す結果につながり、藤田孝志氏の講演における意図を確定することに、思わぬ時間がかかってしまいます。

藤田孝志氏は、筆者に対して誹謗中傷・罵詈雑言をあびせるときは、ほとんど何も考えないで、それまでの同和教育・部落史学習の実践においてパターン化された知識と経験を用いて、言葉を羅列すればすむことなので簡単な作業になるかもしれませんが、筆者が、学歴・資格をもつ、同和教育・部落史学習に関する専門家である藤田孝志氏の講演録・論文を批判するには、用意周到な分析と批判が必要になります。

時間と労力がかかります。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録に対するクリティーク(批判)、それだけの価値があるのかどうか、筆者、大いに迷うところがありますが、<岡山の中学校教師・藤田孝志氏の教説≒日本の同和教育・部落史学習に携わる学校教師の一般的教説>を視野に入れながら、なんとか、藤田孝志氏に対する批判を継続しているところです。

今回、<4.偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解>について言及するに先立って、その内容をあらかじめ項目で紹介しておきます。

1.<まなざし>の字義的解釈
2.藤田孝志氏の「まなざし」理解
3.心理学者・教育学者の「まなざし」理解
4.歴史学者の「まなざし」理解

そのために使用する資料は、筆者の手元にある、筆者が棲息している地域にある書店や図書館で入手した書籍や論文のみです。1については、『広辞苑』・『基礎日本語』(角川小辞典)、2については、講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』、3については、梶田叡一著『学歴研究のひとつの課題-<まなざしと自己概念>の視点から』(「教育社会学研究」第38集1983年)、4については、ひろたまさき著『差別の視線・近代日本の意識構造』(吉川弘文館)を参考にします。

「まなざし」と同種の表現に、<視点・視線・・・>、<視点・視角・視座・・・>などのことばがありますが、この<視点・視角・視座・・・>という言葉、学者・研究者・教育者の間でも多種多様に用いられています。A・B・Cという学者が<視点・視角・視座>という概念を恣意的に使用されていることは、証明に難くありません。<視点>ということば、Aにとっては<視点>であったとしても、B・Cにとっては、<視角・視座>である場合も少なくないのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、こういう場合にも、無学歴・無資格である筆者の責任を追究されてきますので、一応、<視点・視角・視座・・・>の用法の区別を説明しておきます。

筆者は、まず<視座>ということばを<Points of View>、<視点>を<Viewpoint>、<視角>を<angle of view>として認識しています。学者・研究者・教育者が拠って立つところの基盤を<視座>として認識、その<視座>から具体的な主題について学者・研究者・教育者が批判検証するときの方向性を<視点>、その<視点>をどのような角度から研究対象に光りをあてるかを<視角>と呼んでいます。無学歴・無資格の筆者の恣意的な用法に過ぎませんが・・・。

日常生活に存在する<まなざし>を、学問的・批判的・観念的に表現されたものが<視点・視角・視座>であると認識しています。


差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について 4

2008年09月25日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その3 差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について

<4>

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で語る、その「部落史学習」の目的は、「差別解消の主体者を育てる」こと・・・。

藤田孝志氏にとって、その「差別解消の主体者に育てる」という教育目標は、被差別部落出身の生徒ではなく、一般の生徒を対象に向けられます。「部落外」の生徒が、「部落」出身の生徒と同じ「被差別の立場」に立ち、「部落」出身の生徒に向けられた差別をみずから引き受け、「部落」出身の生徒に代わって、その差別に抗議・批判をしていくことができる主体を育てることを意味します。

藤田孝志氏の考えでは、<「部落外」の生徒は、「部落」出身の生徒になることはできない>けれども、「部落」出身の生徒と同じ「被差別の立場」に立つことによって、「部落外」の生徒を限りなく「部落」の生徒と同じ立場に立たせることができ、その結果として、「部落外」の生徒を「部落差別解消の主体者」に育てることができる・・・、ようです。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、藤田孝志氏の論法は、極めて粗雑で荒っぽい論法に見えます。

岡山の中学校の教師・藤田孝志氏自身が、どこまで、そのことを信じているやら・・・。

藤田孝志氏の論法に、一般性・正当性があるかどうかは、藤田孝志氏が、学校同和教育・社会同和教育を離れた家庭の中で、どのような「同和教育」・「部落史学習」を実践されているかどうかで決まります。つまり、藤田孝志氏が、その息子さんや娘さんに対して、「おまえは、部落外の人間であるけれども、部落の人間と同じ被差別の立場に立って、部落差別と闘わなければならない・・・」と教えているかどうかによって決まります。

筆者、岡山の中学校教師・藤田孝志氏については、インターネット上で藤田孝志氏が自ら語ることばを通してしか知りません。人権感覚にとんでおられる藤田孝志氏は、たとえ実の子のことであっても、その個人情報を外部にもらすことはしないでしょうから、藤田孝志氏が、家庭教育において、どのように「同和教育」・「部落史学習」を実践されているのか、藤田孝志氏のHP/BBS/ブログを通じて知ることはできません。

しかし、筆者がいままでであった学校教師は、小学校・中学校・高校・大学の教師の区別なく、ダブルスタンダードで指導されている場合がほとんどです。教室で、学歴差別や学歴主義に対して批判的な指導をされている教師であっても、いざ、自分のこどものについては、学校教師として演じているパフォーマンスを中断し、突然、世間一般の親に戻る教師が少なくありません。幼いときから、英才教育を施し、中高一貫の有名私立や、国公立の進学校や大学に進学させるために、なりふりかまわずそのために奔走する教師の方々も少なくありません。

筆者、同和教育・部落史学習の第一人者を自負する、岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、そのようなだダブルスタンダードでじぶんのこどもを育てているとは思えませんので、やはり、藤田孝志氏、自分のこどもを、「被差別の立場」に立たせ、「差別解消の主体者」としてはぐくみ育ててこられたのでしょうか・・・?

しかし、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、藤田孝志氏が、学校同和教育・社会同和教育だけでなく、家庭教育においても、自分のこどもを「差別解消の主体者」として育てておられたとしても、藤田孝志氏の「同和教育」・「部落史学習」のありかたそのものに疑問を感じてしまいます。

「部落外」の生徒を、「部落」の生徒と同じ、「被差別の立場」に立たせることは、学校教師として、その権威・権力を背景に、そのクラスの生徒に押し付ける精神的抑圧・精神的暴力となるのではないでしょうか・・・? そのような、小学校・中学校の生徒に対して、「部落外」の生徒であるにもかかわらず、「部落」の生徒と同じ「被差別の立場」に立たせられ、「差別解消の主体者」になるべく、そのクラスの生徒を仕立てることは、精神的抑圧・精神的暴力・・・、他のことばに言い換えますと、教師の側からなされる組織的<いじめ>に他なりません。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「同和教育」・「部落史学習」の理論と技術は、「詐欺師」のそれに他なりません。

『広辞苑』で「詐欺」ということばをひきますと、このような説明があります。

さぎ【詐欺】①いつわりあざむくこと。②[法]他人をだまして錯誤におとしいれ、財物などをだましとったり、瑕疵ある意志表示をさせたりする行為。

『部落学序説』の筆者の目からみますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「差別解消の主体者を育てる部落史学習」の実践は、その中学校教師という、社会的権威・権力をもってする、そのクラスの生徒を<だまして錯誤におとしれ>、「部落外」の生徒であるにもかかわらず、「部落」の生徒と同じ「被差別の立場」にたたせ、その生徒に「被差別の立場」からの「瑕疵ある意志表示をさせたりする行為」の実践に他なりません。

岡山の教育界が、藤田孝志氏の「差別解消の主体者を育てる部落史学習」を承認し、全国の小学校・中学校の教師として送り込み、その詐欺的同和教育・詐欺的部落史学習を<流布>させてことについては、筆者、大いに疑問と失望を感じます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、「文献の時代背景や社会状況、社会通念なども十分に考慮して読解していくことが何よりも重要である・・・。」と指摘されるかもしれませんが、藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座で、『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』と題して講演されたその講演についても、「時代背景」・「社会状況」・「社会通念」が存在し、藤田孝志氏のその講演は、それらから強い影響を受けたものであり、藤田孝志氏、一学校教師にその責任を押し付けられるものではないと主張されるかもしれません。

しかし、『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、生徒の主体性を育てる教育者は、みずから主体性を体現していなければならないと考えます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座で講演したときも、教育者としての主体性をかけて講演しなければならなかったのであり、安易に、「時代背景」・「社会状況」・「社会通念」を前提すべきではありませんでした。

その当時の、部落解放運動の基本方針・基本テーゼに暗黙裡に依拠したり、「部落民とそうでない者を分ける境界線が曖昧になってきた・・・」として、「部落民」概念の再編をはかり、部落解放運動を恒常化しようとする勢力に追従し、あらたな「部落民」概念としての「被差別市民」(33年間15兆円の同和対策事業・同和教育事業で解放されなかった<遅れた意識>の部落民と、部落出身ではないけれども、部落差別・部落解放と闘う人々で構成される)の担い手を養成すべく、「差別解消の主体者を育てる部落史学習」の普及を目指して音頭をとること、そのこと自体が大きな問題をはらんでいたのではないかと思われます(参考:野口道彦著『部落問題のパラダイム転換』)。

筆者、<詐欺師の弁>と思われるような「被差別の立場」という概念的装置を持ち出すべきではなかったと思われます。それは、結局、「差別するひと」・「差別されるひと」、「差別」・「被差別」の社会的関係をあいまいにすることによって、「被差別民」・「部落民」という概念の外延の拡大にもに奉仕することであり、その存在をあいまいにし、被差別部落のこどもたちから、語るべき先祖の歴史を奪い、過去・現在・未来におけるその歴史的レーゾンデートル(存在理由)・アイデンティティ(歴史的自己同一性)を剥奪することに他なりません。

戦前の学校教育・・・、大日本帝国憲法下のこどもたち(日本と樺太・朝鮮半島・台湾・満州などの植民地)を「皇軍」として戦場へ送り出していった当時の学校教師たち・・・、それは、一教師としてのいとなみではなく、それは、当時の「時代背景」・「社会状況」・「社会通念」に基づくものであった・・・、それらを無視して、一教師個人の責任を問うことは、学校教育の現場に立つ教師に対する不当な批判・介入である・・・、そんな、雰囲気が漂う、<教育界>は、教師としての主体性を自ら放棄して、国家・権力に忠実な<走狗>としてのありようを明言しているのではないでしょうか・・・?

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演にみられる問題性と、最近マスコミを賑わしている大分県の教職員不正採用事件・汚職事件の闇と、深く、広く、どこかで通底しているように思われます。

『部落学序説』の筆者の「差別」・「被差別」についての認識は、『部落学序説』が「序説」であることを反映して、すでに言明してひさしくなります。『部落学序説』のまえがきの以下の文章をお読みくださればさいさいです。

 ・部落学序説の課題
 ・部落学とは何か
 ・部落学の研究主体
 ・差別・被差別の類型化

筆者の視点・視角・視座からしますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「差別解消の主体者」という概念、「差別(真)」(従来の部落解放運動で「差別者」とラベリングされてきた一般の民衆)に「被差別の立場」をとらせることは、「被差別(偽)」(被差別部落出身ではないのに、被差別部落出身者であるかのような言動をとる人々のこと)をすすめることであり、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のいとなみは、自ら、<精神的的似非同和>を実践するとともに、その指導に服する生徒をも<精神的似非同和>行為者にしたてあげることに他ならないと思われます。

岡山県の戦後の学校同和教育・・・、最初から、根本的・本質的に間違っていたのではないでしょうか・・・?

藤田孝志氏が、「渋染一揆」をとりあげた「部落史学習」の授業実践で、被差別部落の生徒が、「えた身分の人たちがケガレていることは大きな間違いだと思う。間違っているのは百姓だと思う。」と書いた感想を高く評価して、その問題性に気付かないところに、藤田孝志氏の「同和教育」・「部落史学習」の限界が存在しているように思われます。

藤田孝志氏が、岡山の中学校でそのような、差別的な授業実践をされていたとき、教育界の一般的通念としては、「差別するひと」・「差別されるひと」という二分化的発想を補正すべく、「差別させるひと」・「差別をゆるすひと」・・・などの概念的視野が拡大されてひさしかったのではないでしょうか・・・?

近世にあっては、「百姓が間違い・・・」、近代・現代にあっては、「部落外の人間が間違い・・・」、そこに収斂する、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「同和教育」・「部落史学習」の理論・実践は、最初から、瑕疵ある理論・実践でしかなかったのではないでしょうか・・・?

次回、<偏狭な「差別意識」と「まなざし」理解>を論じて、藤田孝志氏の講演録に対する批判・検証をj継続します。


差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について 3

2008年09月24日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その3 差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について

<3>

2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で、その講師の岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、「被差別の立場に立つことは自分にはできないのかと悩んだことがあります。」と語っています。

この場合の、藤田孝志氏が使用する「被差別の立場」ということばは、部落差別を受けて、こころに痛みを感じている被差別部落の人々が置かれている立場・・・、という意味で使用されています。いわゆる「被差別の立場」ということばが持っている一般的・通俗的な意味合いで使用されているのですが、藤田孝志氏、この「被差別の立場」ということばを、その講演録の中で括弧付のことば(「被差別の立場」)を使用することがあります。

そのときは、この「被差別の立場」ということばは、藤田孝志氏固有の意味合いをもってきます。

藤田孝志氏固有の同和教育・部落史学習に関する論説の中で使用される括弧付の「被差別の立場」というのは、藤田孝志氏が、かって「被差別の立場に立つことは自分にはできないのかと悩んだ・・・」、その苦悩と戦いの中から紡ぎだしたことばです。

藤田孝志氏は、「われわれは・・・部落の人間になることはできない」といいます。

藤田孝志氏、「そんなことを部落の人間は求めていません・・・」といいますが、それは、被差別部落の一部の人々の見解であって、被差別部落の人々の中には、学歴・資格を持ち、中学校の教師をされ、しかも、部落解放を人間解放を受けとめ、熱い思いをもって、「差別解消の主体者」たらんとする藤田孝志氏のような存在が、「部落の人間」になり、反差別の戦いに共闘してくれることを望む人々も少なくありません。

戦後の部落解放運動においては、「われわれは・・・部落の人間になることはできない」のではなく、熱心に同和教育・部落史学習を実践している、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のような人は、是非、「部落の人間」になってほしいと、被差別部落の人々からあつい視線・まなざしをなげかけられているのではないでしょうか・・・。

講演の中で、藤田孝志氏は、かって「被差別の立場に立つことは自分にはできないのかと悩んだ・・・」と語っておられますが、その悩み、少し考えすぎでなかったのではないでしょうか・・・? そこまで、悩んでおられるなら、それを、被差別部落の人々、とくに、岡山で部落解放運動をされている方々に申し出れば、彼らは、よろこんで、藤田孝志氏を、「部落の人間」同様に、それにとどまらず、「部落民」として受け入れてくれたのではないでしょうか・・・?

しかし、藤田孝志氏、「部落外の人間」「部落の人間」になることはできないと堅く信じて、「部落外の人間」のまま、「部落の人間」が立たされている「被差別の立場」を共有しようとします。

この段階で使用されている「被差別の立場」は、一般的・通俗的に使用されている意味としてではなく、藤田孝志氏固有の同和教育・部落史学習の指導理念が反映されたことばになっています。

藤田孝志氏、この「被差別の立場」をこのように、自己了解します。

「被差別の立場」に立つということは、「部落外の人間」である「われわれは・・・部落の人間になることはできない」という現実を受容しつつ、「部落の人間」が置かれている「被差別」と同じ立場に身をおいて、「部落外の人間」「部落の人間」に対して向ける「差別の眼差し、差別の視線」「真正面から受けとめ、そしてその差別と闘っていく」ことと同義である・・・、と。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏にとって、被差別部落出身ではないものが「被差別の立場」に立つということは、差別者が、「差別の立場」から「被差別の立場」に身を移し、被差別部落の人々にかわって、被差別部落の人々に対する差別と闘っていくこと、差別者の「糾弾」に参画していくことのようです。

筆者のものの見方・考え方からしますと、藤田孝志氏がイメージされている「被差別の立場」とは、人権派の弁護士が、被差別者の側にたって、差別者の差別の不合理性・不法性を指摘・糾弾する様に似ています。弁護士が被差別者に代わって、その代理人として、差別者と弁論を交わし、その非を認めさせる様に似ています。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「被差別の立場」に立つことは、「差別をなくしていく主体者に自分がなる」ことを意味するといいます。

藤田孝志氏にとって、「部落史学習」の目的は、「差別解消の主体者を育てる」ということですが、「差別解消の主体者」とは、まさに、「被差別の立場」に立つことができる人のことであり、被差別部落の人々に代わって、<代理人>として、被差別部落の人々に対する差別と闘う、「部落解放」にかかわることであるといいます。

藤田孝志氏の、「部落史学習」の目的は、いたって、単純明快です。

藤田孝志氏が、岡山の中学校で教えるクラスの生徒を、「部落外の人間」から、藤田孝志氏がいう「被差別の立場」に身を置く「部落解放」の担い手に仕立てあげることです。藤田孝志氏、「部落差別をなくすということは、すなわち部落解放ということ」であるといいます。

岡山の中学校で実施されている同和教育・部落史学習は、<恐るべき>同和教育・部落史学習のようです。

藤田孝志氏によると、被差別部落出身者ではない一般の生徒を、「被差別の立場」に立つことができる、明日の「部落解放」の担い手として育成しようとするのですから・・・。筆者、藤田孝志氏が、被差別部落の生徒を対象に、明日の「部落解放」の担い手として育てることについては何の問題も感じないのですが、被差別部落出身ではない一般の生徒を、その教育・指導、同和教育・部落史学習によって、部落解放の担い手に育てることについては、非常に大きな違和感を覚えます。

筆者の息子や娘が、中学校教師・藤田孝志氏からそのような教説を吹き込まれますと、<親>として、その<偏向教育>に対して、激しく抗議することになるでしょう。<生徒に差別解消の大切さを教えることは当然であるとしても、被差別部落出身ではない、一般の生徒に、被差別の立場に立ち、部落解放の担い手になることを指導することは、行き過ぎであり、公教育の逸脱行為・背信行為である>・・・、と。


差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について 2

2008年09月22日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その3 差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について

<2>

数日前、『部落学序説』の読者の方からお電話をいただきました。

その方曰く、「吉田向学さんは、岡山の中学校教師・藤田孝志さんを批判しているようで、ずいぶん、彼にヒントを与えているんですね・・・。吉田向学さんの論調は概ね支持できます・・・」。

筆者の書く文章が、『部落学序説』とその関連ブログ群の読者の方にそのような印象を与えていることについて、藤田孝志氏にとって、ヒントとなる可能性はほとんどないのではないかと思わされます。ヒントとなる可能性があるようでしたら、藤田孝志氏、筆者に対して、1年半にも渡って、<女々しい>誹謗中傷・罵詈雑言を繰り返されることはなかったでしょう。

筆者、インターネット上での筆者に対する藤田孝志氏による誹謗中傷・罵詈雑言は別にして、藤田孝志氏が2001年佐賀市同和教育夏期講座で講演されたときの講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』をひとつの<文献>として、テキスト批判を展開しているのみです。

<批判>は、<非難>ではありませんので、その講演録の是・非を両面から追究していくことになります。

さて、前回予告していた、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「差別」理解ですが、藤田孝志氏は、その講演の中で、その中学校の「社会科教員」、部落史の学習を指導する教師に相応しく、「差別」というものを時間的文脈の中で認識します。

歴史のなかのすべてのできごとと同じように、「差別」にも、生成・発展・衰退の歴史があります。

藤田孝志氏、「部落の起源」については、その部落史学習に際して、生徒に指導しない・・・、といわれます。その理由は、「わからないから・・・」です。「わからないことを語ることはできません。」と言い切ります。

しかし、その藤田孝志氏が、「差別」の生成・発展・衰退の過程については、多弁・雄弁になります。

「差別」の生成については、「差別というのは関係性の中に生まれてくると力説します。

岡山の中学校教師の藤田孝志氏、2001年の佐賀市同和教育夏期講座に集まってきた小学校・中学校の教師の方々に対して、「このことをしっかりとつかんでおいてほしい」と語りかけています。藤田孝志氏にとって、「関係性」とは、「差別」が生まれてくる、「差別」が生成する場所のことをもさしているようです。

一端生成された「差別」・・・、藤田孝志氏によりますと、「部落」「部落外」「間」に存在するようになるようです。もっとやさしいことばで表現しますと、<差別は、差別されている人々と差別する人々の間に存在する>ということになるでしょうか・・・。

藤田孝志氏、「部落」「部落外」、そしてその両者の中間にある「間」の三つの要素の関連を、<差別の関係性>と呼んでいるようです。藤田孝志氏、「差別というのはどちらか一方だけが存在している時は起こり得ません。必ず差別というのは、部落外と部落、この間に存在する・・・」といわれます。

昔、加藤登紀子が歌っていた「黒の舟唄」という歌がありますが、その歌、とても暗い歌のように思いましたが、確か、こんなことばではじまります。

男と女の 間には
深くて暗い 川がある
誰も渡れぬ 川なれど
エンヤコラ 今夜も 舟を出す
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row

「部落」「部落外」だけでなく、およそこの世の中に対で存在している、あるいはしていると想定されているものには、「間」が存在します。その「間」をどのように認識することができるのか・・・、「深くて暗い川・・・」を前に脱線したついでに、この「間」を少しく考察してみましょう。

「間」を『広辞苑』で引きますと、この「間」には、大きく分けて2種類の意味があります。

ひとつは、「あれとこれと二つのものにはさまれた部分」をさす「間」・・・。これには、「①物と物とにはさまれた空間・部分。②事と事との時間的な隔たり。絶え間。③ここからあそこまで一続きのものとしてとらえた部分。④この人とあの人のどちらとも関係し得る立場。」があります。

もうひとつは、「2つ以上のものを一まとめにして、そこに(抽象的に)考えられるかかわりあい、結びつき」をさす「間」・・・。これには、「①(主に人と人との)関係。仲。」があります。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「部落」「部落外」の、両者の中間領域に想定する、「差別」が存在する場所としての「間」は、どのように認識されているのでしょうか・・・?

『広辞苑』の「間」に関する説明は多義的ですので、もう一冊、角川小辞典『基礎日本語』をひもといてみました。

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角川小辞典『基礎日本語』の最初のページに、この間についての説明があります。

「間」とは、「二つの基準となる場所・時点・事物ABに挟まれた部分。またはABを結ぶ部分。地理的にも、空間的にも、時間的にも、また、人物・事物同士の関係にも用いられる。・・・基準となるABの質によって「あいだ」の意味に差が出てくる。また、A・Bの関係によっても違いが出てくる。」とあります。

「基準となるA・Bは、空間的・時間的・心理的に隔たっている(図1)のが普通であるが、互いに接して(図2)いてもかまわない。また、結ばれている(図3)場合もある」。

角川小辞典の著者・森田良行氏は、その「間」を、分かりやすく図示しています。

元の図は、A・Bという記号のみで表現されていますが、ここでは、藤田孝志氏の、<「差別」は「部落」と「部落外」の「間」に存在する>という命題を検証するのが目的ですから、Aを「部落」(差別されている人々)、Bを「部落外」(差別している人々)として、図示し直しています。

「部落」「部落外」との関係は、図1のように、「部落」「部落外」が完全に隔絶された状態にあるのか、図2のように、「部落」「部落外」は境界をはさんで一体化している状態にあるのか、それとも、図3のように、「部落」「部落外」の間には、両方の要素を含んだグラデーション的階層が存在しているのか・・・。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、その講演の中で、「部落外」の人間は、「もちろん部落の人間になることはできない」と力説していますので、図3の、「部落」「部落外」との間に両方の要素を含む様々な状態を容認することを排除していると推測しても間違いではないでしょう。藤田孝志氏にとって、「部落」「部落外」とは相互に排他的な概念です。「部落」「部落外」になることはできないし、「部落外」「部落」になることはできない・・・。藤田孝志氏は、「差別されている人々」と「差別する人々」を二分法で厳格に分類されているようです。<部落か?そうでなければあなたは部落外だ!>、<あなたは被差別者か? そうでなければ、あなたは差別者である!>・・・、よく耳にしたことがある、<差別・被差別の二分法的発想>です。

藤田孝志氏、自らを、「部落」・「部落外」・「間」の関係性のどこに自分自身を位置づけるのかといいますと、藤田孝志氏の講演の中のことばを借りれば、「部落外」です。藤田孝志氏は、「部落」「部落外」との関係において、「部落外」に立っていると宣言したあとで、同和教育・部落史学習の担い手として、ある「悩み」に陥った・・・、といいます。

ひとつは、藤田孝志氏は、「部落外」(差別する人々の側)に立っているとはいっても、藤田孝志氏、「部落」(差別される人々の側)を「確かに差別していない」といいます。藤田孝志氏は、「部落外」の範疇にはいっていても、「部落」に対して、「差別意識」をもっていないといいます。

藤田孝志氏の講演でいわれている、「500年間、何ひとつとして変わ」ることなく、「部落外」に受け継がれててきた「差別意識」は、「部落」「部落外」との関係において、あるべき姿を追い求める藤田孝志氏にとっては、その取り組みの中で、終止符が打たれ、もはや「部落」に対して「差別意識」を持っていない存在になっているということです。

そのような自覚を持つ藤田孝志氏にとって、「部落」・「部落外」という二分法的発想では、藤田孝志氏自身を認識することができなくなっているというのです。

藤田孝志氏のもうひとつの「悩み」は、「被差別の立場に立つことは自分にはできないのか・・・」という「悩み」です。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「部落」(「差別された人々」)に<恋>をして、加藤登紀子が、「・・・間には、深くて暗い川がある。誰も渡れぬ川なれど、エンヤコラ、今夜も舟を出す・・・」と歌うように、越えるに越えることができない、どんなにがんばっても「部落」になることはできない、「部落」「部落外」との間にある川・淵を越えようとするのです。

藤田孝志氏の「悩み」というのは、「部落になりたいのに、なれない。でも、なんとかして部落になりたい・・・」という悩みなのでしょう。

筆者、山口の小さな教会に赴任してきて26年が経過します。山口の地において、いろいろな小学校・中学校・高校・大学の教師の方々に遭遇しましたが、藤田孝志氏のように、「部落」に憧憬を持ち、「部落」と同じ立場に立ちたい・・・、と宣言する教師ははじめてです。

藤田孝志氏の人生ですから、藤田孝志氏がどのように生きられようと<勝手>だと思いますが、藤田孝志氏、それを個人的経験にとどめることなく、部落史学習を通じて、小学校・中学校の教師に対して、また、部落史学習を受ける生徒に対して、藤田孝志氏が経験したのと同じように、「部落外」であったとしても、「部落」を差別する側に立たず、差別される側・「被差別の側」に共に立とう・・・、と呼びかけるのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏・・・、<ハーメルンの笛吹き男>のように、岡山の中学校の同和教育・部落史学習において、そのクラスの生徒を、「部落外」から「部落」の側へ、「被差別の側」へ笛を吹いてつれだすのです。「部落」を差別する世の中に決別して、「差別を僕といっしょになくしていこうや!」と。

藤田孝志氏は、「部落史学習」の目的を、「差別解消の主体者を育てる」ことにおいていますが、無学歴・無資格、極めて常識的な見解しかもっていない、学校同和教育・社会同和教育の悪しき罠におちていない筆者の目からみますと、藤田孝志氏の、藤田孝志氏とおなじように、「被差別の立場」に立って、「差別をなくしていく主体者」になっていこうと、<ハーメルンの笛吹き男>のように笛を吹いて、その子どもたちを「被差別の立場」にいざなうことは、<ハーメルンの笛吹き男>が、自分を評価することがなかったハーメルの人々のこどもたちを、<洞窟>の中に誘い、その内側から封印、自分だけでなく、一緒に洞窟に入った子どもたちも、この世から隔離してしまういとなみと同類であると見えてしまいます。

岡山の中学校における同和教育・・・、藤田孝志氏がしているような同和教育を、ほんとうに<放任>されているのでしょうか・・・。

藤田孝志氏、その講演の中で、「差別解消の主体者を育てる」「部落史学習」の成果を、藤田孝志氏の「渋染一揆」に関する授業のあと、そのクラスの生徒が書いた感想文を載せています。

「部落外」の生徒の感想:「私たちは渋染一揆を起こして、差別を強めるような法令をなくしてくれた人たちにすごく感謝しなければならないと思う」。

「部落」の生徒の感想:「えた身分の人たちがケガレていることは大きな間違いだと思う。間違っているのは百姓の方だと思う」。

藤田孝志氏、「このような生徒の感想をもとに、またそれを生徒に返していく授業を大切にしています。」といい、「これが私の求め続けている部落史学習です。」と講演の本論を結んでいます。藤田孝志氏・・・、<これが私が中学校の教師をしている岡山県の部落史学習です>といわないで、「これが私の求め続けている部落史学習です。」と言い切ります。岡山の中学校での同和教育・部落史学習、それを実践する教師の個人的思想・信条を生徒に植え付ける場として容認されているのでしょうか・・・?

「差別というのは関係性の中に生まれてくる」という岡山の中学校教師・藤田孝志氏の同和教育・部落史学習の指導を受けた、「部落」(被差別にある人々)出身の生徒が、部落差別の原因を「百姓」に求め、「間違っているのは百姓の方」と叫ぶ姿は、『部落学序説』の筆者の視点・視覚・視座からしますと、完全に間違った同和教育・部落史学習の指導結果です。

筆者の目からみますと、それは、「部落差別解消」へのいとなみではなく、「部落」「部落外」のあらたな葛藤を引き起こす「憎悪の福音」、<憎悪の教説>、<憎悪の歴史解釈>、<憎悪の部落史学習の実践>に他なりません・・・。


差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について 1

2008年09月18日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その3 差別解消の主体者を育てる部落史学習の欺瞞性について

<1>

2001年佐賀市同和教育夏期講座の、岡山の中学校教師・藤田孝志氏による講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体を育てる部落史学習を求めて-』の内容を批判検証していますが、インターネット上で公開された文章は、すべて<著作物>として認められています。

この著作物、不特定多数のために公開されるのが常ですが、藤田孝志氏のこの講演録も、インターネット上の<著作物>として一般に公開されたものです。

<著作物>は、一定の条件のもとで、自由に引用することが許容されていますが、筆者が、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録の内容を<批判・検証>することは、著作権法の許容の範囲です。

さて、岡山の中学校教師・藤田孝志氏にとって、<部落史学習の目的>とは何なのでしょうか・・・?

筆者が、あらためて、このような問いを立てるのは、藤田孝志氏が、その講演において、その講演の聴衆である、佐賀市の小学校・中学校の教師の方々に対して、<部落史学習の目的>を、「明確に・・・自覚」することの「大切」さを力説しておられるからです。

部落史学習において、その目的をどのように設定するか、藤田孝志氏は、「すごく問題であり、大切なことだ」といいます。

筆者、無学歴・無資格、教育学・歴史学の門外漢であり、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の教育学・歴史学領域の専門用語を理解するに疎いものでありますが、部落史学習だけでなく、その他の授業科目の学習内容においても、授業の「目的」は、常に明確にされた上で、授業が行われていると思っていますが、しかし、藤田孝志氏の言葉によりますと、「目的」を持たないで、あるいは、「目的」を明らかにしないでなされる部落史学習も少なくないようです。

「目的」のない部落史学習とは、どのようなものなのか・・・?

筆者の、部落史研究・部落史教育の「師」である、元山口県文書館の研究員・北川健先生も、部落史学習に際して、「その目的と課題を明確に確認し、また学習の内容が充分それに相応したものとなっているかどうか不断に吟味検討していくこと」の大切さを唱えておられます(《郷土に関する近代部落史学習の意義と課題》)

部落史学習においては、「「何のためにこの史実をとりあげるのか」「この史実を通していったい何を云おうとするのか」、そういったことが具体的、真剣に検討されなければならない。」といいます。

なぜ、部落史学習に際して、あえて、学習の目的と検証が要求されるのか・・・?

北川健先生は、それは、部落史学習が「双刃の剣」になる可能性があるから・・・、といいます。教師自身によって、「差別解消」のために部落史の学習を実践していると自覚されていても、その自覚に反して、その部落史の学習がそのまま、差別的授業・・・、と受けとめられる場合も少なくないからです。

北川健先生は、「たとえば、歴史を踏まえての問題提起がなされても、郷土の歴史が広く明らかにされえない山口県の状態では、「あんなことはよその地方の、それも極端にひどい例だ。山口県ではそんなことはない」などというような、何の根拠もなく問題を矮小化する云い方が結構まかり通っているという事態がある・・・」といいます。

部落史学習が、「差別解消」ではなく、差別の拡大再生産に堕さないためにも、部落史学習の「目的」を明確にすると同時に、その部落史学習の授業実践において、どのような指導がなされ、生徒にどのような知識と意識の変革をもたらしたのか、常に「検証」が必要になってきます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、部落史学習の目的は、その講演題にも示されているように、「差別解消の主体を育てる」ことにあります。

「差別解消の主体を育てる」とは何を意味するのでしょうか・・・?

2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録を読む限りでは、「差別解消の主体を育てる」という<課題>は、中学校における部落史学習の指導の<主体>である教師・藤田孝志氏と、その指導に服することになる、部落史学習の指導の<客体>である、そのクラスの生徒に<共通>した課題のようです。

藤田孝志氏は、その生徒に先立って、「差別解消の主体」者になっている・・・。その知識と経験を生かして、藤田孝志氏は、部落史学習の授業を通して、そのクラスの生徒を、「差別解消の主体」になるべく<招いている>と思われます。

藤田孝志氏は、その部落史学習の授業実践において、生徒たちに、このように話しかけるといいます。

「差別を僕といっしょになくしていこうや」。

藤田孝志氏が、部落史学習の先進的指導者として、「差別解消の主体」であるという自負心のもとに、そのクラスの、被差別部落出身の生徒やそうでない一般の生徒を含めて、藤田孝志氏と同じような「差別解消の主体」になりましょうと、呼びかけているのです。

講演録によりますと、藤田孝志氏の「差別解消の主体」というのは、<部落解放の主体>になることを意味します。

藤田孝志氏が、そのクラスの被差別部落出身の生徒に、<部落解放の主体>になることをすすめるのはなにとなく理解することができますが、被差別部落出身ではない、一般の生徒に対しても、同じ指導をされることは、どうように解釈すればいいのでしょうか・・・。そんなこと、可能なのでしょうか・・・?

岡山の中学校教師・藤田孝志氏によると、岡山の中学校においては、その部落史学習の授業において、被差別部落出身ではない、一般の生徒に対して、<部落解放の主体>になるように指導することが許容されているようです。

このことに含まれている問題は、あとで詳細に論じるとして、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のいう部落史学習の目的としての「差別解消の主体を育てる」こと、その中で使用されている「差別」について、藤田孝志氏がどのように認識されて、部落史学習の授業実践をされているのか、批判・検証してみることにしましょう。


部落史学習と近世政治起源説 5

2008年09月15日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その2 部落史学習と近世政治起源説)

<5>

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、語調を強めて語る、「誰がしたいと思いますか。誰もしたくないですよ。」という、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の職業・・・。

藤田孝志氏は、「職業」・「仕事」・「生業」という言葉を恣意的に使用しています。「生業」という言葉は、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の「仕事」・「職業」を指す言葉として使用されていますが、「生業」の属性としての「仕事」ないし「職業」にどのような意味の違いがあるのか、釈然としません。

藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演で、「仕事」ないし「職業」という言葉をどのように使用しているのか、抽出してみましょう。

藤田孝志氏は、「教師という仕事」という表現と、「教師という職業」という表現を併用されています。藤田孝志氏にとっては、「仕事」「職業」は、相互に交換可能な言葉であるようです。藤田孝志氏にとっては、「仕事」「職業」であるといってもよいでしょう。

藤田孝志氏は、自分の職業についてだけでなく、その父親の職業について語るときも、「仕事」「職業」というふたつの言葉を同様に使用しています。佐賀で講演したときには、「父の仕事を尋ねられるたびに・・・」と表現しますが、大分で講演したときには、「父の職業を尋ねられるたびに・・・」と表現します。

つまり、藤田孝志氏にとって、その職業・教師について語るときも、「教師という仕事とゴミ取りという仕事を比べ、父の仕事を軽蔑し、人にゴミ取りの子どもと思われるのが嫌でひた隠しに生きてきました。父を見下し蔑んでいた・・・」と父親の職業「ゴミ取り」について語るときも、「仕事」「職業」は、相互に置き換え可能な言葉として使用されています。

藤田孝志氏にとって、「仕事」「職業」は、同一概念であると想定しても間違いではなさそうです。

筆者、便宜上、「職業」という概念を使用することにします。

藤田孝志氏は、佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で、近世幕藩体制下においては、「職業の貴賤は当然のことだった・・・」と語ります。それにひきかえ、現代は「職業の貴賤がない・・・」社会であるといいます。

藤田孝志氏、近世においては、「職業の貴賤」が存在し、近現代においては、「職業の貴賤」が存在しないと言明されているのですが、近世幕藩体制下の「職業の貴賤」においてのみ、ある職業は<貴い職業>とされ、ある職業は<賤しい職業>とされたということを意味します。

<貴い職業>とは何なのでしょうか・・・? また、<賤しい職業>とは何なのでしょうか・・・?

藤田孝志氏、現代社会においては、「職業の貴賤」はないといわれます。 ほんとうにそうなのでしょうか・・・?

尾高邦雄氏は、《職業と階層》についてこのように記しています。「職業は人々の社会的役割」であり、「各役割にはそれぞれ一定の社会的な評価や尊敬が結びついており、これによって各役割、したがって各職業は、それに従事する人々の社会的地位の高さを決定する。よく<職業に貴賤上下の別なし>などといわれるが、これは要するに職業にたずさわる者の心得を説いた一つの教訓であって、事実上は職業に結びつけて考えられる社会的地位が、あるものは高く、あるものは低く評価されることは誰でも知っているとおりである」。

尾高邦雄氏、1952年の「職業格付け調査」の中で、社会的に高く評価される職業の最高位が、中学校の教師を含む「専門的・技術的職業」であり、社会的に低く評価される職業の最下位が、藤田孝志氏がいう「ゴミ取り」などの「単純労働者」であると紹介されています。尾高邦雄氏の文章は、藤田孝志氏が小学生の頃、よくよまれた文章の一節ですから、藤田孝志氏が、「生ゴミの袋を手に持ち、破れた袋から流れ出た汚い液体を体に浴び、黙々とゴミを片付けている父」親の姿を見て、「汚いものでも見るように遠ざけ」逃げ出した時代・・・、というのは、建前では、<職業に貴賤なし>といわれながら、事実上は<職業に貴賤あり>の時代です。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「誰でも知っている」、職業に関する一般説・通説を否定され、現代社会においては、「職業の貴賤」はないと主張され、「職業の貴賤」を近世幕藩体制下の時代や社会に固有のことがらとして還元するのは、あまりにも強引すぎるのではないでしょうか・・・?

戦前も戦後も、学校教育を通して、生徒は教師から、「職業の貴賤」感覚、少しでも勉強・努力して、<貴い職業>を身につけるよう指導・誘導されてきたのではないでしょうか・・・。藤田孝志氏が、小学生のとき、父親の職業を蔑視していたのは、その時代の学校教育の負の遺産でしょう。

筆者、藤田孝志氏が、2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演の中で、自らが、小学生・中学生のとき、どのような教育、<反差別教育>ではなく、<差別教育>を受けてきたのか・・・、ほとんど言及されていないのは、とても不思議に思います。

藤田孝志氏、現代社会においては、職業は、「貴賤」によってではなく、「社会に役立つ仕事」あるいは「尊敬される仕事」という表現によって選別されるといいます。<自然結合>を適用しますと、藤田孝志氏の理解する現代の「職業」は、4種類に分類できます。

①社会に役立ち、尊敬される職業
②社会に役立つが、尊敬されない職業
③社会に役立たないが、尊敬される職業
④社会に役立たないし、尊敬もされない職業

藤田孝志氏、<社会に役立つ職業>あるいは<尊敬される職業>というのは、「現代の価値観」であり「江戸時代の価値観」ではないと力説します。「現代の価値観で江戸時代のことを解釈すべきではないと考えます。」といいます。

そう言明する、藤田孝志氏、近世幕藩体制下において、「被差別身分」(穢多・非人)が「押し付けられた仕事」「首を切り落とす罪人を押さえたり、あるいは死体を処理する仕事」は、「社会に必要不可欠な仕事」(藤田孝志氏のいう「社会に役立つ仕事」)であるが、それが<賤しい仕事>であるがゆえに「誰もしたくない」仕事であると・・・、藤田孝志史が否定したはずの「現代の価値観」で江戸時代の「被差別民」について言及しています。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の文章・論文・講演・・・、それらを精読していますと、いたるところで、こういう論理的矛盾に遭遇します。ものごとを<二分法>で整理しながら、その<二分法>が、藤田孝志氏固有の恣意的な要素を多分に含んでいるため、同一文章、同一論文、同一講演の中ですら、矛盾が発生するのです。

しかも、藤田孝志氏、近世幕藩体制下の「被差別身分」である「穢多・非人」の職業を論じるに、近世幕藩体制下の司法・警察である「非常民」としての広範な職務の中から、極めてセンセーショナルな職務だけをとりあげて、それが、「被差別身分」である「穢多・非人」の職務の全体・本質であるかのような表現をし過ぎます。

そのため、藤田孝志氏、「近世政治起源説」を否定しながら、「近世政治起源説」の、藤田孝志氏がいう「マイナス」の資産の継承者に成り果てているのです。藤田孝志氏は、日本法制史上における「穢多・非人」の関与を極端に矮小化し、マイナスのイメージを押しつけます。藤田孝志氏、「近世政治起源説」を否定しながら、「近世政治起源説」の負の遺産だけは、しっかりと継承されているようです。

無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者の目からみますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、部落史の、2流・3流の学者・研究者・教育者でしかないのでしょうか・・・?

『部落学序説』とその関連ブログ群の筆者である私は、<広義の政治起源説>に依拠しています。なぜ、<広義の政治起源説>に依拠するようになったのか、それは、山口の小さな教会に赴任してであった、当時、山口県文書館専門研究員の北川健先生にであったからです。彼は、<広義の政治起源説>の支持者・・・。当然、自称<北川門下生>の筆者も、<広義の政治起源説>の支持者です。

その北川健先生の論文に、『同和問題認識の諸段階と部落史学習の課題』があります。

その中で、「同和問題の認識の三段階」として、次のように図式化します。
①差別をするのはあたりまえのことである。
②差別をするのはいけないことである。
③差別をなくしていなかければならない。

①は<偏見>の段階、②は<同情>の段階、③は<連帯>の段階・・・。①から②へ移行するためには、<偏見の除去>が必要であり、②から③へ移行するには、<連帯の認識>が必要である、といいます。

③の「差別をなくしていく」段階では、次のことが、「学習の要件」になるといいます。

(イ)部落差別はそもそも一般民衆をこそ抑圧支配するために設定されたものであること、
(ロ)部落差別が存続利用されることによって一般民衆もまた抑圧されていくこと、
(ハ)であればこそ、部落解放はひとり同和地区住民のみならず国民一般の生活と権利の向上と確立につながるものであること、の3点を明らかにすることが必要である。

いいかえれば、部落差別の社会的な構造と機能を具体的な事例でもって明示し、部落問題を国民全体の、自分の問題として受けとめていくという「連帯」への認識を可能とすること、これが学習の要件となる。

北川健先生は続けてこう語ります。

部落史学習で、(イ)部落差別は一般民衆をこそ抑圧支配するためにこそ設定され利用されてきたものであることと、(ロ)水平運動の歴史を通してその運動論の発展の意味を明らかにすることは、同和問題の解決を「国民的課題」としていく上で不可欠の課題である。・・・(部落史学習の最終段階においては)水平社以降に提起されてきた・・・部落差別を社会的構造との関連でとらえることによって・・・(部落史学習の)認識段階は成立する。すなわち、そこでは、差別を単に個人の意識や観念の範囲にとどめて問題にするのではなく、部落差別を民衆抑圧の手段として温存利用してきているものこそを「差別の元凶」「真の差別者」として告発する。つまり民衆に対する搾取と抑圧の体制、社会的関係をこそ問う」。

北川健先生は、『郷土に関する近代部落史学習の意義と課題』においてこのように記しています。

「部落史の学習は、あくまでも部落差別をなくしていくためのものでなくてはならなし。そのためには、①部落差別はどうして作られたのか、また②どうして今日までの部落差別が存続してきているのか、③部落差別をなくしていくためにどのような努力がなされてきたか、ということが部落史学習の主要な課題となる。民衆の遅れた意識(差別意識)を支え、あるいは利用してきた、そして民衆の社会的な覚醒を抑圧し屈折させてきたものこそが究明されなければならない。・・・民衆を規制づけてきた社会的な諸関係を抜きにして民衆の遅れた意識(差別意識)のみをあげつらうのでは、いわゆる心がけ主義の学習にとどまる。・・・部落の歴史は「日本史全体の流れのなかでとらえられなければならない」というのは、要は民衆全体の歴史の中でという意味内容のことである。もしも民衆史としての日本史の学習を進めてきてもいないなかで部落の歴史が扱われるとしたら、それはまさにとってつけたような部落史の叙述、と云うよりは同和関係事項の説明でしかない。民衆全体とのかかわりが明確にされていない部落史の学習であるならば、それこそ「特殊な歴史」としての部落史の扱いにほかならない」。

筆者、<広義の政治起源説>自体が間違っていたのではない・・・、と思います。<広義の政治起源説>の主張しているところを、小中高、大学の学者・研究者・教育者が充分に同和教育・部落史教育において指導できなかった、授業実践が的を外したものであったことに原因があります。それは、とりもなおさず、小中高、大学の学者・研究者・教育者の、日本の歴史学に内在する差別思想である賤民史観」に原因があるのですが、筆者の目からみますと、岡山の中学校教師・藤田孝志氏をはじめ、藤田孝志氏を支援する多くの、部落史の学者・研究者・教育者の<傾向>は、民衆の差別意識にすべての責任を転嫁し、国家・権力・政治の責任を免罪しようとする<保守反動>の<妄説>であると思われます。

部落差別の原因を民衆の差別意識にのみ収斂させて、どのような解決がなされるというのでしょうか・・・?

筆者の『部落学序説』とその関連ブログ群・・・、山口県文書館の元研究員・北川健先生の<広義の政治起源説>という温床から芽生え、育ち、実を結んだものです。


部落史学習と近世政治起源説 4

2008年09月10日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その2 部落史学習と近世政治起源説)

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藤田孝志氏の代表的な著作物『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』・・・、どこからどこまでが、一般的な学校同和教育の「時分の花」で、どこからどこまでが、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「時分の花」なのか、無学歴・無資格、しかも教育学・歴史学の門外漢である筆者には、それを切り分けることが困難です。

『部落学序説』で、すでに、藤田孝志氏と同様の論文を出されている方について、<批判>を展開しています。朝治武他篇『脱常識の部落問題』(かもがわ出版)に収録されている『福沢諭吉の「まなざし」から植木徹誠の「まなざし」へ 今後の部落問題学習に第三の視点を』の著者・当時埼玉県の高校教師をしておられた小松克己氏に対する<批判>のことです。

小松克己氏の論文と藤田孝志氏の講演録を<比較>しますと、両者は、部落史学習の前提となる歴史理解の枠組みがほぼ同じものであると想定されます。両者を比較して、共通部分を、一般的な学校同和教育の「時分の花」、埼玉の高校教師・小松克己氏と差異がある部分を、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の「時分の花」と想定しますと、無学歴・無資格、学校同和教育とはまったく無縁の筆者にも、藤田孝志氏の主張の<独自性>が見えてきます。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の教説の<独自性>をひとことで表現しますと、<封建的身分の独自の解釈>にある、ということになるでしょうか・・・。

<封建的身分>とは、<封建制度における身分>のことですが、<封建制度>とは何なのか・・・、とあらためて考えますと、またまた、回り道をしなければならなくなります。なぜなら、<封建制度>の定義は、決して一様ではなく、多樣な解釈が存在するからです。

無学歴・無資格の筆者が理解する限りでは、「封建制度」は、「古代社会のあとを受けて近代社会に先行する社会制度」のことで、この「封建制度」という言葉は、「明治以降、西欧史学の導入にあたり、 Feudalismus または Lehnswesen の訳語」として、漢語の「封建」という言葉がわりふられたものです。

つまり、「封建制度」という概念自体が、近代中央集権国家・明治天皇制下における、日本の近代歴史学が創作した概念です。「封建制度」は、「ヨーロッパ中世における Feudalismus または Lehnswesen が土地恩給制度と従士制度(土地を媒介とする私的主従関係)を根幹として、それによって生じる政治形態がきわめて分權的であることに着目したもので、これは諸侯が土地を家臣に分与し、家臣がそれを陪臣に分与するという、土地を媒介にしたピラミッド型の階層秩序をもとにした政治形態をさした法制史概念である」(竹内理三編『日本史小辞典』(角川小辞典))といわれます。

ヨーロッパの歴史的解釈を日本に適用したとき、「鎌倉幕府創設の時点においてこれ(従士制と恩給制、あるいは、家士制と知行制)を認めようとするのが通説である。すなわち、平安時代の後期には、武士の主従関係は、主人の従者に対する所領(土地財産)給与と、従者の主人に対する軍事的勤務・忠誠によって成り立っていた。当時前者を<御恩>、後者を<奉公>といったから、武士の主従関係は<御恩>と<奉公>によって成り立っているということができる」(佐藤進一)そうです。

佐藤進一氏によりますと、「封建制度という語の用法は、学者がこれを学問上の述語として用いる場合にも、けっして一様ではなく、やや極端な言い方をするなら、それぞれの学者が多少とも相異なった封建制度概念を用いて仕事をしている、というのが実情である・・・」そうです。この「封建制度」における、従士制と恩給制・・・、「もっぱら支配階級内部のみについての法秩序を意味するものであり、被支配階級に属する農民の問題は直接的にはまったく含まない概念である。」そうです。

近世幕藩体制下の封建的身分関係においても、「もっぱら支配階級内部のみについての法秩序」と解釈するなら、封建的身分関係が直接適用される身分は、支配階級の「士」みであって、被支配階級の「農・工・商」は適用対象外になります。従来の身分制度の図式「士・農・工・商・穢多・非人」においては、「穢多・非人」は、被支配階級の「農・工・商」のさらに下位に位置づけられることになりますので、「穢多・非人」に対して、支配階級の封建的身分関係、従士制と恩給制を適用することはますます困難になってきます。

そういう意味では、筆者、『近世身分と被差別民の諸相 <部落史の見直し>の途上から』(解放出版社)の著者・寺木伸明氏の「穢多・非人」身分解釈は、衝撃的なものがあります。寺木伸明氏は、支配階級における従士制と恩給制という封建的身分関係を、「士」の世界を越えて、「穢多・非人」に対しても適用されるからです。

寺木伸明氏は、従士制を「役負担」、恩給制を「職業」として表現されます。寺木伸明氏にとって、この「役負担」「職業」は、封建的身分の「本質的規制」であるといいます。そして、「役負担」「職業」は、武士だけでなく「穢多・非人」にも適用された・・・、といいます。

「武士が統治・行政の職業を辞めて農業や商工業に就いたり、役負担である軍役を拒否することは原則として許されなかった。近世部落は死牛馬処理業を返上して百姓・町人身分の者に譲ることはできなかったし、行刑・警察役などのかわた役を返上することも許されなかった」。

寺木伸明氏、武士を<軍事>に関与する身分、「穢多・非人」を、<軍需産業>である死牛馬処理業・皮革業、あるいは、「行刑・警察」、<司法・警察>に関与する身分として、同等の枠組みの中で解釈されます。

筆者、昔、山口県同和教育研究協議会の集会で、寺木伸明氏の講演を聞いたことがありますが、その講演録を作成して、印刷物がよれよれになるほど精読したことがあり、筆者が、『部落学序説』とその関連ブログ群を執筆するとき「武士」と「穢多・非人」の両者を含む上位概念として、「非常民」(<非常の民>という意味)を採用しましたが、それは、「近世政治起源説」の立場からの、部落史の見直しの作業を意味していました。

ただ、筆者、寺木伸明氏と違って、「役負担・職業」ではなく、「役務・家職」という表現を採用しています。「穢多・非人」においても、武士同様、「家」が大きな意味をもっていたと考えたからです。

2001年度の佐賀市同和教育夏期講座で、『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』と題して講演された、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、「近世政治起源説」を誤謬説として、<徹底的>に批判します。無学歴・無資格、歴史学の素養のない筆者の目からみますと、「近世政治起源説」に対する、藤田孝志氏の「独断と偏見」、「誹謗中傷・罵詈雑言」としてしか見えませんが・・・。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、その講演において、寺木伸明氏等が指摘する、近世幕藩体制下の「穢多・非人」の、支配階級である武士身分に相当する封建的身分制の「役負担」「職業」の関係を全面否定するのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、「近世政治起源説」に依拠する寺木伸明氏の「役負担」「職業」にかえて導入する概念が、「役負担」「生業」です。岡山の中学校教師・藤田孝志氏の部落史学習・部落史研究の独自性は、寺木伸明氏のいう意味での「役負担」を否定し、藤田孝志氏のいう「役負担」「生業」を、寺木伸明氏のいう意味での「職業」に還元してしまう、発想です。

「生業と役負担」と題して、藤田孝志氏は、このように語ります。「江戸時代では「仕事」は大きく分けて2つあるんです。ひとつは「生業」、これはご飯を食べるための仕事なんです。もうひとつは「役負担」です。これは身分固有の役で、必ずしもこの役負担をすることによって収入を得てご飯を食べているわけではないのです。しかし、仕事なんです」。

つまり、岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、「生業と役負担」を、寺木伸明氏いう、武士のそれと共有する「穢多・非人」の封建的身分の特質、「役負担」「職業」<御恩>と<奉公>を全面否定するのです。

藤田孝志氏、その根拠を、短く、このように述べています。「江戸時代の差別というのは、上下の差別ではなく、排除の差別である・・・」。藤田孝志氏にとって、近世幕藩体制下の「穢多・非人」・・・、封建的身分から排除された、「人間を人間としてみなさ」れない人々であったようです。なぜ、近世幕藩体制下において、「穢多・非人」は、「人間としてみなさ」れなかったのか・・・? 

藤田孝志氏、藤田孝志氏が語調を強めて語る、「誰がしたいと思いますか。誰もしたくないですよ。そういう誰もしたくない・・・」という「職業」に原因があったと考えておられるようです。


部落史学習と近世政治起源説 3

2008年09月06日 | 付論

部落学序説付論 某中学校教師差別事件に関する一考察
11.ある中学校教師の同和教育の限界・・・(その2 部落史学習と近世政治起源説)

<3>

2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録に掲載されています、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の<近世政治起源説批判>について<批判>するために、無学歴・無資格の筆者が採用する方法は<比較>です。

(1)で、『<差別と人間>を考える 解放教育論入門』の著者・八木晃介氏の説を紹介したのは、八木晃介氏の説は、<近世政治起源説>批判についての時代の思潮と、部落史の学者・研究者・教育者の動向を的確に把握しておられると判断したためです。

八木晃介氏の<近世政治起源説批判>と、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の<近世政治起源説批判>を比較しますと、無学歴・無資格、歴史研究の門外漢である筆者には、八木晃介氏の<近世政治起源説批判>は、部落史の学者・研究者・教育者としての<科学的なクリティーク>であると思われますが、それと比べると、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のそれは、<科学的なクリティーク>からほど遠く、「思いついたことをただいいたてる」(野崎昭弘著『詭弁論理学』(中公新書))ようなところがあります。批判というより、<近世政治起源説>に対する、<誹謗中傷・罵詈雑言>に近いもので、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の<近世政治起源説批判>の種々の言説には、<近世政治起源説>に対する<憎悪>の思いすら感じられます。

2001年佐賀市同和教育夏期講座の講演録『時分の花を咲かそう-差別解消の主体者を育てる部落史学習を求めて-』を読むとき、筆者が注目するのは、藤田孝志氏固有の<近世政治起源説批判>に関する文言です。

筆者、想像するに、岡山の中学校教師・藤田孝志氏が、全国の教育関連機関で、同和教育研修の講師として招かれ、数多くの講演録を残していかれた背景に、藤田孝志氏の<近世政治起源説批判>の固有性・独自性・創造性があるのではないかと思われます。

この項における筆者の執筆上の目的は、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演録を通して、<近世政治起源説批判>を紹介することではなく、藤田孝志氏固有の<近世政治起源説批判>を明らかにすることです。筆者のクリティークの対象は、岡山の中学校教師・藤田孝志氏のひととなりではなく、彼が全国行脚して説いてやまなかった、彼固有の<近世政治起源説批判>そのものです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏の<近世政治起源説批判>は、本質的には、<近世>政治起源説批判ではなく、近世<政治起源説>批判です。藤田孝志氏は、<近世>政治起源説を批判するだけでなく、<政治起源説>そのものを葬り去ろうとします。

藤田孝志氏は、その講演の中で、「権力者が被差別身分をつくることができたのか・・・」という問いを立てたあと、自ら「つくっていない・・・」と、近世幕藩体制下の幕府・諸藩の権力が、「えた・ひにん」身分を創設したのではないことを力説します。

藤田孝志氏、近世幕藩体制下において「権力が部落をつくった」という説、<近世政治起源説>批判を展開するだけでなく、近代中央集権国家・明治天皇制国家によって、部落差別が再編成・強化されたという<近代政治起源説>批判も展開していきます。藤田孝志氏にとって、<近世政治起源説批判>は、近世・近代・現代を通じて、一貫して、権力・国家は、部落差別の創設に関与していないと主張してるのです。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、部落差別成立の歴史的要因として、政治的要因を完全に否定するのです。それは、近世・近代にとどまらず、中世にまで普遍化されます。中世における被差別民の成立過程においても、時の権力は何も関与していないというのです。

筆者、<政治起源説>には、狹義の<政治起源説>(たとえば、小森哲郎著『部落問題要論』(解放出版社)の「どうして賤民はつくられたのか」(66頁)にみられるような、一向一揆鎮圧を契機とする権力の分断支配による「えた・ひにん」という「賤民身分」の創設に関する説)と広義の<政治起源説>(差別の起源には、権力による政治・法システムが深く関与しているという説)とがあると思っていますが、必要以上に<近世政治起源説>を敵視し、憎悪の念をぶつける、岡山の中学校教師・藤田孝志氏は、狹義の<政治起源説>だけでなく、広義の<政治起源説>すら完全否定してしまいます。ぼうずにくけりゃけさまでにくい、というのでしょうか・・・。

八木晃介氏は、「近世政治起源説が動揺しているとして、それであれば、差別は誰がどのようにして設定したのかという素朴な疑問が残る・・・」(1993年)といいます。八木晃介氏、<近世政治起源説>に変わる、被差別部落成立の起源をめぐる新説として、「みんな」がつくったという斉藤洋一・大石慎三郎説、「周辺住民」の歴史的差別意識や差別観念によって創り出されたという吉田栄治郎説を紹介しておられますが、その時期の<近世政治起源説批判>は、「創設」に関する否定であって、近世幕藩体制が、<部落差別>を温存し、政治的に民衆支配の装置として利用、その結果、<部落差別>を全国的に「伝播」することになったことについて責任があることは否定していなかったようです。

しかし、2001年佐賀市同和教育夏期講習における、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の講演・・・、<近世政治起源説批判>から脱皮し、<政治起源説批判>にまで徹底されます。それ以降、岡山の中学校教師・藤田孝志氏、部落差別と政治の関わりを徹底的に排除、そのことによって、2002年3月で終了することになった国の同和行政・同和教育行政以降の<国家権力>の部落差別完全解消への責務を免罪するかのような説を展開していきます。

筆者、岡山の中学校教師・藤田孝志氏の<近世政治起源説>を含む、総合的・包括的な<政治起源説>批判・・・、それは、きわめて、藤田孝志氏固有の<政治起源説批判>であると思います。

藤田孝志氏・・・、その部落史学習の授業において、生徒たちに、<近世政治起源説>は指導しないといいます。部落史の授業において、「史実」をおしえることは「大切ではない」といいます。

「部落とはなにか」、「部落差別とはなにか」・・・、歴史の授業において、それがたとえ中学校の生徒であったとしても、歴史的に正しく把握したいという欲求はめずらしくないと思いますが、岡山の中学校教師、「部落とはなにか」、「部落差別とはなにか」、歴史的起源・由来に関する授業はしないといいます。「部落の起源については授業で語りません。」と断言しています。

岡山の中学校教師・藤田孝志氏、部落創設に関する、直接的歴史資料が存在していないということを根拠に、<近世政治起源説>を否定・・・、「部落の起源については・・・わからない・・・わからないことを語ることはできない」といいます。

それでは、岡山の中学校教師、2001年で、すでに、「10数年間社会科の教員として歴史の授業をしてきました・・・」、「十数年の間、部落史を自分なりに研究してまいりました・・・」という藤田孝志氏、彼が、入手した史料や伝承をもとに、「わかった・・・」と自己認識して、2001年の佐賀市同和教育講習に集まった小中学校の教師を前に語った彼の<教説>、史料とその解釈によって了解された内容をもとに語られた、「差別解消の主体者」としての彼の<教説>はどのようなものだったのでしょう。

『部落学序説』の筆者の視点・視角・視座からしますと、岡山の中学校教師が、自信と確信をもって、「わかった・・・」とみずから了解し、それに基づいて、日本全国、ポスト政治起源説の同和教育・部落史教育の先進的実践者として講演されている内容は、<近世政治起源説>に代わるところの、藤田孝志氏固有の<民衆起源説>と<職業起源説>、そして、その父親の職業を、中学校の教師になったあとも、「ゴミ取り」として差別的に受けとめざるを得なかった、藤田孝志氏の<個人的経験>によって織りなされた、<差別的な教説>でしかなかったように思われます。