英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『七冠・羽生善治 将棋の宇宙を語る』 1996年2月16日放送

2012-09-25 17:31:03 | 将棋
 先日、NHKのEテレで、羽生二冠が七冠当時のインタビュー番組が再放送されました。
 それについて、ものぐささん(shogitygoo氏)がブログ記事にしていました。その記事に対して、コメントしようとして書き込んでいたのですが、例によって長文となってしまい、気が引けるので、自分の所に載せます。


 羽生さん、若いかったですね(今も若いと思いますが)。声も細くて柔らかでした。
 私が一番心に残ったのは、
①「勝つことだけにこだわると指す手が制約される。プロの世界が進歩すればするほど、制約が大きくなって、つきつめると皆同じような将棋になってしまう」で、
現代将棋を予言したと思える言葉でした。

②また、この対談では、彼自身の将棋に対しての解明度はというと、「ほとんどわかっていない」という感じでした。

 一見矛盾するような、羽生さんの考えです。
 ①についてですが、このインタビュー後の羽生さんを考察してみると、この制約を、氏自身もかなり受けてしまっているそんな印象を受けます。
 たとえば、「可能ならば穴熊に組んだ方がよい」「囲いの最終地点は穴熊」という現代将棋のもっとも顕著な感覚は、氏の将棋にも多々見られます。過去の定跡手順を相当手数まで踏襲することも見られます。ただ、他の一般棋士よりははるかにその制約を抜け出している指し方をしています。
 ここで、②を合わせて考察してみると、定跡や過去の実戦例や研究は碁盤の目のような舗装された道路で、ここを車で走れば、速くて楽です。
 ただ、羽生さんは、その道路の間にある四角い部分(水田や畑、草地、あるいは住宅やビル)の中に、まだまだ沢山可能性が秘められている(車で走れる部分があるかもしれないし、自転車を使って横切った方り自力で走った方が早いかもしれない)と考えていたのではないでしょうか?
 で、羽生さんは、舗装道路を走りながらも草地などを観察したり、時には停まって足を踏み入れたりしていたのではないでしょうか?
 現在行われている王座戦は、いつもと違うアプローチで、いつもと違う将棋の作り方をしているような気がします。
 相手の渡辺竜王は、ガチガチの定跡派ではありませんが、現代将棋感覚においては先頭を走っていると言ってもいいでしょう。また、読みも正確です。羽生さんの新たな将棋観や疑問をぶつける相手としては最適です。


 私は、七冠王時代の羽生さんより、今の方が強いのではないかと感じています。「え?二冠しか保持していないのに?」とか、「名人戦で森内名人に勝てないじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、当時は渡辺竜王はまだいなかったし、森内名人もまだ完成されていなかったように思います。
 この二人だけでなく、棋界全体がレベルアップし、羽生さんも勝ち星を積み重ねることが以前より困難になってきました。この、棋界のレベルアップは、もちろん棋士それぞれが修練を積んだからだと思いますが、羽生さん自身の存在(打倒羽生、羽生将棋を研究)による処も多いように思います。さらに、羽生さん自身もそれを望んでいたように思います。
 もちろん、羽生さん自身も「勝ちたい」「負けると悔しい」でしょうが、それと同じくらい、「将棋を探求したい」という思いが強いように思います。

 当時と比べて、現在はどのくらい将棋を解明しているのかお聞きしたいが、「全然わかっていないことがわかった」と答えられるような気もします。
 今回の王座戦を前にして、エンジンを改良し、タイヤのグリップを強くし、サスペンションを安定させるなど一通りの強化を完了し、羽生さんがいよいよ荒れ地を走りだしたのではないかと期待しています。

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