藤は今が盛りで、あちらこちらにぶら下がっています。
写真はヤマフジです。これに対して、藤棚などが作られ、園芸に栽培されているのがノダフジ(単に藤と呼ばれるときもあります)です。
両者の違いは、弦の巻き方が違うのと、ヤマフジの方が花の房が短い(小振り)なのと、小葉の枚数(ヤマフジ11枚、ノダフジ11~19枚)だそうです。
最近、ヤマフジを見かけることが多いのですが、山が管理されてないことの現われだそうです。他の木々の上部に茂り、光合成の妨げになるので、管理された森林では、刈り取られるそうです。
【補足】
山が管理されなくなったのは、木材の価格が下落して、林業で生活するのが難しくなったからだそうです。
最近、何かというと「エコ」ですが、その割には、高速道路料金を1000円にして、排気ガスを撒き散らしているのはいいのかなと思ってしまいます。
それはさて置き、「エコ」といえば、レジ袋(エコバッグ)やエコポイント(省エネ家電)とかが頭に浮かびますが、その少し前から、割り箸も糾弾されています。
最近では、オバマ氏と『ちりとてちん』で有名になった小浜市は、塗り箸の産地で、『マイ箸運動』で意気盛んです。
もちろん、私もエコ活動(マイバッグ、マイ箸)に異を唱えるつもりはありません。ただ、それならば、一貫性を持って行動して欲しいなあと思うわけです。
テレビ局も「エコ」「エコ」と連呼するのなら、深夜放送を自粛すべきですし、クリスマスになると、至る所で電飾の花が咲かすのは如何なものなのでしょうか。
あらら、話が横道に逸れてしまいました。
割り箸の話でした。昭和の時代、割り箸はそのほとんどが国産でした。それが、森林破壊につながったかというと、そうではありません。間伐材や建築廃材が主に利用していました。
森林を放置していくと、樹が伸び放題、茂り放題になり、日光が地面まで届かなくなります。地面どころか、下枝辺りも光が差し込みません。そうなると、光合成は樹の上部でしかできなくなり、樹はやせ衰えます。水害や土砂崩れも起こりやすくなります。
そうならないよう、ある程度、樹を間引きして、光の通りを良くしてやるのです。また、それによって、空間的にも枝が伸びる余地ができて、樹木はしっかりしたものになります。(人間が森林に手を加えることが、本当にいいことなのかは分かりません)
その間引き作業を「間伐」と言い、その木材を間伐材と言います。
また、建築廃材も木材の有効利用です。
だから、「割り箸=森林破壊」とは単純に言えないのです。
ところが、資本主義の世界ですから、単価は安い方がいいです。間伐材や建築廃材とは言え、主材料の杉や桧やエゾ松は高価です。また、人件費もかかります。
安価なカナダやチリなど外国産(アスペンやポプラや樺)に押されていきました。(箸としての価値は、アスペンよりは杉のほうが遥かに高いのですが)
その上、木材自体が低価格の外国産に押され、阪神大震災で木材住宅の需要は減り、更に安い中国産の割り箸の進出(現在、世界の割り箸のほとんどが中国産)で、箸製造業者は更に苦しくなっていきました。
アスペンをはじめとする外国産の箸は、一時的に儲ければいいと言う考えで、根こそぎ伐採していきます。「後のことは知ったことではない」のです。
どの分野でもそうですが、「価格破壊」を奨励すると言うことは、今までの社会システムを破壊し、自然を破壊していくことになるのです。
だから、現代においては「マイ箸運動」もその意義は高いと言えます。(ただし、箸を洗浄する水資源も頭に入れる必要があります)
しかし、低価格を追い求めることが、林業を廃れさせ、森や山を荒れさせています。
まあ、そういった堅いことはさて置き、「杉や桧の割り箸=森林破壊でない」ということを、分かっていただきたかったのです。
写真はヤマフジです。これに対して、藤棚などが作られ、園芸に栽培されているのがノダフジ(単に藤と呼ばれるときもあります)です。
両者の違いは、弦の巻き方が違うのと、ヤマフジの方が花の房が短い(小振り)なのと、小葉の枚数(ヤマフジ11枚、ノダフジ11~19枚)だそうです。
最近、ヤマフジを見かけることが多いのですが、山が管理されてないことの現われだそうです。他の木々の上部に茂り、光合成の妨げになるので、管理された森林では、刈り取られるそうです。
【補足】
山が管理されなくなったのは、木材の価格が下落して、林業で生活するのが難しくなったからだそうです。
最近、何かというと「エコ」ですが、その割には、高速道路料金を1000円にして、排気ガスを撒き散らしているのはいいのかなと思ってしまいます。
それはさて置き、「エコ」といえば、レジ袋(エコバッグ)やエコポイント(省エネ家電)とかが頭に浮かびますが、その少し前から、割り箸も糾弾されています。
最近では、オバマ氏と『ちりとてちん』で有名になった小浜市は、塗り箸の産地で、『マイ箸運動』で意気盛んです。
もちろん、私もエコ活動(マイバッグ、マイ箸)に異を唱えるつもりはありません。ただ、それならば、一貫性を持って行動して欲しいなあと思うわけです。
テレビ局も「エコ」「エコ」と連呼するのなら、深夜放送を自粛すべきですし、クリスマスになると、至る所で電飾の花が咲かすのは如何なものなのでしょうか。
あらら、話が横道に逸れてしまいました。
割り箸の話でした。昭和の時代、割り箸はそのほとんどが国産でした。それが、森林破壊につながったかというと、そうではありません。間伐材や建築廃材が主に利用していました。
森林を放置していくと、樹が伸び放題、茂り放題になり、日光が地面まで届かなくなります。地面どころか、下枝辺りも光が差し込みません。そうなると、光合成は樹の上部でしかできなくなり、樹はやせ衰えます。水害や土砂崩れも起こりやすくなります。
そうならないよう、ある程度、樹を間引きして、光の通りを良くしてやるのです。また、それによって、空間的にも枝が伸びる余地ができて、樹木はしっかりしたものになります。(人間が森林に手を加えることが、本当にいいことなのかは分かりません)
その間引き作業を「間伐」と言い、その木材を間伐材と言います。
また、建築廃材も木材の有効利用です。
だから、「割り箸=森林破壊」とは単純に言えないのです。
ところが、資本主義の世界ですから、単価は安い方がいいです。間伐材や建築廃材とは言え、主材料の杉や桧やエゾ松は高価です。また、人件費もかかります。
安価なカナダやチリなど外国産(アスペンやポプラや樺)に押されていきました。(箸としての価値は、アスペンよりは杉のほうが遥かに高いのですが)
その上、木材自体が低価格の外国産に押され、阪神大震災で木材住宅の需要は減り、更に安い中国産の割り箸の進出(現在、世界の割り箸のほとんどが中国産)で、箸製造業者は更に苦しくなっていきました。
アスペンをはじめとする外国産の箸は、一時的に儲ければいいと言う考えで、根こそぎ伐採していきます。「後のことは知ったことではない」のです。
どの分野でもそうですが、「価格破壊」を奨励すると言うことは、今までの社会システムを破壊し、自然を破壊していくことになるのです。
だから、現代においては「マイ箸運動」もその意義は高いと言えます。(ただし、箸を洗浄する水資源も頭に入れる必要があります)
しかし、低価格を追い求めることが、林業を廃れさせ、森や山を荒れさせています。
まあ、そういった堅いことはさて置き、「杉や桧の割り箸=森林破壊でない」ということを、分かっていただきたかったのです。
これはヤマフジだったのですね。
山が管理されてないことの現われ・・・そうなんだぁ。。。知りませんでした。
綺麗でとても目の保養になったけど
普通は刈り取られてしまうものなのですね。
勉強になりました。写真いつもだけど・・
綺麗です
山が管理されないようになったのは、木材の価格が下落したからだそうです。
そのことに関して、思い出したことがあるので、本文に補足します。
食品偽装などのように、ごまかそうとする企業が出てくる。とにかく、価格破壊=環境破壊に陥ると思います。