英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

電王戦……スポーツマンシップ、棋士のプライド……ルール内であれば“正々堂々”と言えるのか? 【5】

2015-04-22 12:33:14 | 将棋
「Ⅰ.“ルール内”ということ」
「Ⅱ.反則周辺のテクニック」
「Ⅲ.将棋における反則や番外戦術など」
「Ⅳ.阿久津八段の戦術の是非」
の続きです。

 スポーツなど勝負を伴う競技は「勝つことがすべてである」とよく言われている。
 ほとんどの競技において、優勝するのが第一義で、優勝と準優勝では雲泥の差で「優勝しなければ1回戦負けと同じだ」という心境の選手も多いだろう。プロであれば、評価(報酬・収入)も大きく違ってくる。将棋界でも名人位につくか挑戦者で留まるかは非常に大きな違いがある。歴代名人として名を連ねるし、「元名人(名人経験者)」という棋歴もつく。「名人挑戦の実績あり」と紹介されても(実際には凄いことだが)、「名人位には就いていない」という裏表の表現になってしまう。
 もちろん、準優勝や3位も評価を得られる(特に五輪のメダル)が、相当な勝利の積み重ねが必要である。このことも「勝つことがすべて」という命題を定理に近づけている。

 しかし、本当に「勝つことがすべて」なのだろうか?
 まず、「競技を楽しむためにプレイをしていて、ゲームの充実感を味わうことができれば、勝利にはこだわらない」という思想。本来のスポーツやゲームの精神と言えるかもしれないが、今一つ、説得力に欠ける。やはり、負けるより勝ったほうが嬉しいはずだから。

 そこで、少しアプローチを変えてみる。
 命題の真偽を検証する方法の一つに、「反例を挙げる」という方法がある。で、反例を挙げる有効な手段に「“極端”な例を考える」がある。
 今回の場合、「勝つことがすべてである」なので、「勝つために手段を択ばない」を徹底的に実践するとどうなるか?

 相撲は「張り手」が横行する。
 野球は「敬遠」「隠し球」「カット打法(ファールで粘る)」「野村監督張りのつぶやき戦術」「じらし作戦」などが増える
 サッカーでは「マリーシア(時間稼ぎなど)」が増える。
 その他、バスケットボールで言う「ファウル」が増え、「審判を欺くテクニック」に磨きがかかり、怪我も多くなるであろう。
 つまり、せこくてダーティーな色合いが濃くなってしまう。(←極端な「勝つことがすべて」を実践した場合です)

 将棋の場合も、盤外戦術が横行し、長時間対局の疲労を軽減するため離席が増え、慣れない和服やネクタイは疲れるとラフな服装になり、コンピュータソフトに教えてもらった手が増える………殺伐とした将棋界になってしまう。

 となると、その競技を観るのも、プレイするのも、面白くなくなり、衰退していく………

 「面白いこと」が重要なのではないだろうか?
 今回の阿久津×AWAKE戦は面白かったのだろうか?

 私は生で観ていないので推測になってしまうが、居飛車党の阿久津八段が飛車を振り、▲2八銀とやや不自然な銀上がりをした時点で、『△2八角打たせ戦法』を狙っているのではないかと囁かれ始めたのではないだろうか。そして、阿久津八段が▲2七銀と上がり、いよいよ誘いの隙を見せた時点で、「AWAKEが△2八角を打つか」っが大注目となり、一旦△5三銀と回避したものの、更に待つ▲9六歩に△2八角と打ち込んだ辺りでは、非常な盛り上がりを見せたのではないだろうか?
 そういった意味では「面白い」と言える。
 また、『勇躍△2八角と打ち込んで、▲1六香とかわされて、角が助からない運命にあることを悟った主人公が青ざめる』といった将棋漫画の1シーンを思わせるような“劇的”な局面とも言える。
 しかし、これらは「見世物としての面白さ」であって、「将棋の面白さ」ではない。

 もちろん、阿久津八段も「面白さ」を求めてこの戦法を採ったのではない。勝利を重視し将棋の正真な面白さを捨てて、一番勝つ確率の高い戦法を選択したのである。
 若干、横道に逸れるが、『2八角打たせ戦法』が阿久津八段が編み出した戦法なら、評価も面白さも違ったものになる。「その4」で、△2八角と打ってくることに気づいた経緯が不確定のような記述をしたが、阿久津八段が「コンピュータに△2八角と打たせる筋は有名であり、それを試したら△2八角と打ったきた」と説明していたらしい。
 これが、貸与されたAWAKEを研究し尽くして発見し、その局面に誘導する戦法を確立したのなら、その努力に感心し感動もしたであろう。
 ソフトの弱点を突く手法を採るならば、『△2八角打たせ戦法』とは違う戦法を披露してほしかった。

 これが可能かどうかについては、次の記事を根拠に挙げる。
 『将棋ワンストップ・ニュース』将棋電王戦FINAL、ハメ手を使用すればプロ棋士側が全勝した可能性の記事で、 指導棋士の田中誠氏「実際の所、三桁以上の、対プログラム必勝局面は存在しています。(誘導出来るかは別ですが)」と、また、やねうらお氏「“プロ棋士レベルの棋力が私にあれば今回の条件なら5つのソフトに100%勝てます!”と私が記者会見で言っても、現時点では誰も信じない……」というツイートを紹介している。
 この記事では、「プロが本気でハメ手を狙い勝ちにこだわれば、今回の電王戦FINALはプロ側が全勝していた可能性があるということになります」と言及している
 これらの言を100%信じるのは危険だとは思うが、弱点を突くならば、未知の戦法を披露するのがプロのプライドだろう。


 で、上記の記事には続きがあって、「なぜプロ側はこれまで負け続けてきたのかという疑問があります。これは私の推測でしかありませんが、やはりプロ側にハメ手を使うことへの葛藤があったのだと思います」の述べている。

 田中誠指導棋士
「さて、更に何故プロが勝ちに拘るのかと言う事ですが、これは、簡単です、“負けた事によって否定された棋士”が居たからです」
「“自分はプロ棋士を否定していない”そう言う方々も居るでしょうが、負けたプロ棋士の存在を否定する方々が居るのは事実です」
「改めて、明言しますが、プロ棋士は戦って勝つ事が仕事です、
 負ければお金も、職も、人生も全てを失う、壮絶な職業です」

と力説している。(この方の、句点にすべきところを、読点を打っているのが、気になってしょうがない)

 これについては、「負けたプロ棋士の存在を否定する方々が居るのは事実です」ということが真実でも(私もその考えに近い)、100%の人から否定されたわけではない。
 さらに「プロ棋士は戦って勝つ事が仕事です。負ければお金も、職も、人生も全てを失う、壮絶な職業です」という言葉には、「将棋界(順位戦)の歪み その9(終) 「昨年度までの5年間の勝率と総括」の記事を反論として挙げておきたい。
 2009年度~2013年度の5年間の成績が4割未満の棋士が40名、3割未満に絞っても20名存在するという事実。この記事では述べていないが、通算勝率が4割前後の棋士でも、何十年も棋士として在籍していられるという事実。………凄い「壮絶な職業」です。


 また、横道に逸れてしまった。


 今回、阿久津八段の手法を「相手の弱点を突くのは当然で正当な手法」という支持と「プログラムの穴をついてまで勝ちにこだわるのはプロのプライドがない」と批判に割れた。おそらく、批判した人は、プロ(競技)にロマンを求めている人(“ロマン派”)なのだろう。
 今回、棋士が勝ち越したことで、「まだまだコンピュータソフトには弱点がある。手法はどうであれ、人間が勝てた」という評価がされた。『ニコニコ生放送』というコンテンツで、非常に盛り上がり、新たなファンも獲得できた。
 しかし、ここ数年の電王戦で、ロマン派の人は、真っ向勝負(ソフト貸与なし、マシンスペック無制限)で敗れ、条件を緩めてもらって(ソフト貸与、スペックを統一)敗れ、「正攻法では勝つのが難しい」という参加棋士のコメントを聞き、大将戦でソフトの穴を突く戦法を採択したこと………これらで毎回、がっかり感を味わされてきた。
 確かに、新たなファンの獲得は大切である。しかし、長年、将棋を愛してきたコアなファンは傷つき消耗してきている。(電王戦だけではなく、「名人戦騒動」「女流棋士独立問題」などで)
 今回の件にしたって、「阿久津八段の手法は正当な手段」と認められても、棋士や将棋にロマンを感じなかったであろう。

 阿久津八段の選択は、非常に残念だった。


【補足ではなく蛇足】
 野月七段の観戦記
「阿久津は△2八角戦法を最終手段として視野にいれつつも、相掛かりや角換わりの戦型で練習を重ねていく。しかし勝率は上がらず、コンピューターの強さを実感させられる事が多かったと言う」
という記述があるが、どのくらいの勝率だったのだろうか?阿久津八段の対羽生戦の対戦成績は1勝13敗、勝率.071。阿久津八段に「羽生名人とAWAKE、どっちが強い?」と訊きたくなった。
 昨年の大将の屋敷九段の対羽生戦の成績は2勝21敗、勝率.087。一昨年の大将の三浦九段の直近の対戦成績は2勝24敗、勝率.077。
 ちなみに、三浦九段、阿久津八段はA級陥落、屋敷九段も昨年の春、陥落している(1年でA級復帰)。電王戦で消耗してしまったのかもしれないが……

 今回、○○手先までしか局面が見えないソフトの視界限界距離や「枝切り」手法によるバグなど、ソフトの未熟さも露見した。それらを考えると、本当に棋士は正攻法でソフトに勝てないのだろうか?
【終】
コメント (7)
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