英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第16話「さらば父上」

2012-04-22 22:45:47 | ドラマ・映画
  忠盛退場

★忠盛と宗子
「かたじけない」
「かたじけない?」
「ん?」
「妻となって、初めて言われた気が致しまする」
「そうか?」
「はい」
「左様なことはない。有り難いと思うておる。一緒になってから……ずっとな」
 忠盛(中井貴一)の言葉に、戸惑いと恥じらうような表情で、≪ほんとうなの?≫と尋ねるように頷く宗子(和久井映見)。
 それを受けて、にこやかに頷き返す忠盛。
 その忠盛の面持ちに、満ち足りた笑みを浮かべて忠盛を支え寄り添う宗子。


 ドラマ的位置づけとしては3番目かもしれないが、一番心を動かされたシーンだった。良いシーンだった。
 平氏のため武士のため自分を律してきた忠盛、夫のため平氏のため忠盛に尽くしてきた宗子。そんなふたりはある意味仮面夫婦であった。しかし、そうではなかった。忠盛は清盛を後を譲ることを決め、宗子は清盛を後継ぎと認めたことで、ふたりの心を縛りあげてきた鎖が解け、真の夫婦となった。


★忠盛と舞子
 最初の妻で清盛の母でもある舞子(吹石一恵)は、自分の生き方を決めたと言って良い存在。
 武士は何故この世に存在するのか?平氏の存在意義は?自分が武士として生きるのに何の意味があるのか?……朝廷の犬という運命(さだめ)に悩み苦しんでいたが、舞子に出会ったことで、生きる意義(武士の世を創る)を見つけた。
 頼長(山本耕史)の策略により、その心が揺らいだが、再びその心を取り戻した。

★忠盛と清盛
 朝廷内の小競り合いに巻き込まれた平氏と源氏。忠盛に頼長邸を襲えという密命がくだった。
 清盛(松山ケンイチ)は、そんなくだらないことに剣を振るうつもりはないと言い切る。それを受けて、忠盛は武士の世を作るために我らは戦ってきたのだと宣言した。
 忠盛は自分の志を受け継ぐのはやはり清盛であると確信した。

☆その他
 源氏もいろいろ大変そう。為義(小日向文世)も信念を持っているが、自らを小者と蔑んでしまっているのが致命的欠点。
 婚前も結婚後も不遇な由良(田中麗奈)が気の毒。


【ストーリー】(番組サイトより)
 源氏の棟りょう・為義(小日向文世)は摂政・藤原忠通(堀部圭亮)邸を襲撃し、藤原氏の長者の証である家宝・朱器台盤(しゅきだいばん)を奪う。為義に命じたのは、忠通の父・藤原忠実(國村隼)。次男の左大臣・頼長(山本耕史)を氏の長者にするためだったが、そんな藤原摂関家の言いなりになっている父・為義を嫡男の義朝(玉木宏)は、盗賊と同じ行為だと非難する。
 1151年、高野山再建を成し遂げた清盛(松山ケンイチ)には安芸守(あきのかみ)の任が授けられ、父・忠盛(中井貴一)も念願の公卿(くぎょう)まであと一歩となった。御所で忠盛と会った為義は、かつての約束どおり源氏と平氏のどちらが強いかを決めるまで地をはってでも生き残ると宣言する。
 安芸守に任じられた清盛は郎党たちと安芸へ渡り、国府の官人や嚴島神社の社司・佐伯景弘(温水洋一)から歓待を受け、海の幸も、山の幸も豊かなこの地に強い愛着を覚える。一方、忠盛は突然、体調を崩し寝込んでしまう。心配する家貞(中村梅雀)に忠盛は、清盛の実母・舞子(吹石一恵)に言われた「夢中に生きていればなぜ生きているのかがわかる」という言葉を最近思い出すが、その答えがいまだにわからないと告げる。
 朝廷では、藤原摂関家の兄弟争いがさらに過激さを増していた。左大臣・頼長が内覧(ないらん:帝に報告する文書を事前に読んで政務を代行する)となり、大きな権力を持つようになった。頼長の兄である摂政・忠通は美福門院得子(松雪泰子)に弟・頼長への対抗策を相談すると、得子は逆に頼長をもっとあおればいいと告げ、一計を案じる。
 宮中でも藤原摂関家の内紛はうわさになっていた。源義朝の妻・由良(田中麗奈)は、仕えている鳥羽院の皇女・統子との会話で、摂関家の争いで夫・義朝と義父・為義がもめていることを話す。統子は家をまとめるのが妻のつとめと諭す。
 安芸の視察を終えて六波羅にもどった清盛は、出迎えた妻・時子(深田恭子)から、忠盛の病気を聞き、ただちに忠盛の館へかけつけた。忠盛はふだんと同じ様子で清盛を迎え、安心した清盛は安芸で感じた将来の展望を夢中になって語り、忠盛はそんな清盛をまぶしそうに見つめた。
 義朝の館には、由良に招かれた為義が訪れ、孫である鬼武者(のちの源頼朝)に弓を教えた。久しぶりに義朝とも親子らしい会話がかわされ、みなで夕餉(ゆうげ)を囲む。そこへ左大臣・頼長から貴族・藤原家成(佐藤二朗)を襲えという命が届く。家成の家人が頼長邸の前で無礼を働いたというのだ。やめさせようとする義朝をはり飛ばして、為義は家成の襲撃に向かう。落胆した義朝は常盤(武井咲)に会いに行く。義朝が実は父・為義を恋しがっていることを常盤は見抜いていた。慰める常盤を義朝は思わず抱きしめる。
 頼長の命令によって家成邸が襲われたことで、鳥羽院は烈火のごとく怒った。得子を通じて、忠盛に仕返しとして頼長邸を襲えという密命がくだった。これら全て、得子の策略だった。命に従うべきか迷う忠盛に、清盛は摂関家と院の小競り合いに巻き込まれるべきではないと語る。すると、忠盛は武士の世を作るために我らは戦ってきたのだと宣言した。
忠盛の館には平氏一門が集まった。忠盛は自分の身に万一のことがあったときのためとして、平氏一門に遺言を伝える。そして、清盛以下4人の息子たちに形見分けを行ったうえ、その席で、次期棟りょうは清盛だと正式に発表する。
 1153年正月、清盛は安芸へ旅立った。見送りながらよろける忠盛を宗子(和久井映見)が支えると、忠盛はあらためて宗子に今までの感謝の気持ちを伝えた。安芸の浜辺で休むところに突然、あらわれた忠盛と剣をかわす清盛。清盛の成長ぶりに感心した忠盛は、「強くなったな」と告げると、姿を消した。1月15日、忠盛は世を去った。忠盛が清盛や武士に残した功績ははかりしれないものがあった。
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