グッチーの日本寸評

「わが日本を少しでもいい国、住みたい国にしたい」との思いから日本の政治、経済、世相を自由気ままに評論する。

原発事故に振り回される日本

2011年05月22日 | 日記
東日本大震災の翌日に発生した福島原発原子炉の水素爆発以降日本は事故対応に振り回されている。
最近は初動措置のベントだか海水注入だかについて官邸の指示があったのなかったのと喧しい。
たしかに初動段階の判断は重要であったろうが今更戦犯探しだけに時間を浪費することは得策ではない。
現状を正しく整理し過不足のない対策を粛々と実践していくことが何より重要だ。
工程表についていえば最終ゴールが9ヶ月先というのはいかにも間延びしている。
果たして海外を含め専門家の助言・意見等をどれだけ取り入れたのだろうか。
東電や安全保安院が事故処理に関する知識や経験を十分持ち合わせているとはとても思えないのだ。
賠償問題についても未だにフレームワークすら見えない。
こちらも議論はほどほどにして実際に対象者を救済していかなければならない。
事故はともかくその後のドタバタで失っているモノも結構大きいのではないか。
事故対応に振り回されることはいい加減に卒業したい。



米大統領の賭け

2011年05月21日 | 日記
米国オバマ大統領が中東和平交渉の再開に向けてイスラエルに国境ラインの大幅譲歩を迫る構えのようだ。
とはいえコトは容易ではない。
現在の国境ラインはイスラエルが全世界の非難を浴びながら侵攻して手に入れたものだし何より40年以上も前に敷かれたものだからだ。
まして交渉相手は名うての好戦的、強硬派首相である。
果たして米大統領はいかほどの勝算を持っているのだろうか。
それともたとえ実現できなくとも意志表示に意味があると考えているのだろうか。
ただ簡単に要求を取り下げるようであればパレスチナ側の失望は大きく逆に不信感を増幅させるだけだ。
我々の身の回りでもよく経験するのだが他人のケンカの仲裁は難しい。
米大統領および米国の真価が問われるときだ。
「中立」をどう全うできるかがカギだろう。
そういえば一昔前クリントン大統領と両国代表者がノーベル平和賞を受賞したと記憶しているがアレは一過性だったのだろうか。

「百里の道も一歩から」

2011年05月20日 | 日記
いささか旧聞に属する話だがソフトバンク・ホークスの小久保選手が去る12日通算400号ホームランを放った。
幾多のケガを乗り越え18年目に達成した本記録に対しあらためて祝意を表したい。
話は大きく変わるが偶々というか小生のこのブログも恐らくその日前後に400回更新を達成したはずだ。
昨年3月に開設以来一日一回を目標に投稿を続け何とか400本に到達した。
いま振り返ってみると400という数字は結構な数だ。
しかしこの400本という数字は通過点でしかない。
これからも一つ一つ積み上げていこうと考えている。
ホームランと同様に一度に10本、20本なんてことはありえないのだから・・・。
まさに「百里の道も一歩から」である。
遅ればせながら読者の皆さんに感謝を申し上げたい。

気になるテレビ受信不良

2011年05月19日 | 日記
昨夜テレビを視聴していておかしな事象に遭遇した。
いくつかのチャネルで電力レベル低下のため画像、音声が著しく乱れるのだ。
過去にもごく稀にこのような現象があったが特定チャネルだけで起きたため送信側に何らかの問題ではと思料してきたが昨日はNHK総合、NHK教育、日テレ、フジなど複数チャネルで同時に同じ現象が起きた。
さらに驚くべきことにその後どのチャネルも画面は真っ暗になり、その状態が数十分続いた。
こんなことはテレビの試験放送視聴開始から全く初めての経験だ。
昨今の節電事情が影響しているのだろうか。
それとも我が家のテレビの具合が悪いのか。
1~2年前に買い換えたもの(勿論地デジ対応)なので製品寿命というのも考えにくい・・・。
一体このトラブルの原因は何なのか。
テレビ放送は今や重要な生活インフラの一部である
とりあえず今は完全に復旧しているが不安な気持ちは全く消えていない。

原発「メルトダウン」に思う

2011年05月18日 | 日記
20年近く前の話になるが奉職先の社長が何かの訓示の中で旧ソビエト連邦の崩壊を指して「メルトダウン」という言葉を使っていた。
その時にはまさか本来の意味での「メルトダウン」をこれほど聞かされようとは夢にも思わなかった。
最近になって福島第一原発1~3号機がかなり早い段階からメルトダウン状態にあった可能性があるとの報道がなされているが内部関係者は薄々感じていてもとてもそんなことを言い出せなかったのではないか。
それほど「メルトダウン」は重大な事象なのだ。
そして結果としてあの工程表を何がしか歪めたものにしてしまった。
繰り返しになるがもはや東電単独で今の原発を修復できない事は明白だ。
多少なりとも公益意識があるのならメンツもプライドも捨て福島原発設計者米国にも協力を求め一から出直すべきだろう。
「脱原発」の議論もあるようだが今の日本は原子力を全否定するほど我慢強くはない。


リビア情勢を憂う(その2)

2011年05月18日 | 日記
ハーグの国際刑事裁判所主任検察官がリビア・カダフィ大佐ほか3名の逮捕状を同所に請求したとのことだ。
カダフィ大佐当人にはもともと亡命などの意志はないだろうがこれで息子や側近の国外脱出可能性もほぼなくなった。
海外資産も主要国で既に凍結されておりカダフィ一族に対する包囲網は着実に狭められている。
そして国連事務総長も騒乱終息に向けて腰を上げた。
隣国であるチュニジア、エジプトなどとは大きく異なる政変劇もいよいよカウントダウンが近づいたようだ。
一体どんな最終決着が待っているのだろうか。
ハード・ランディング?それともソフト・ランディング?
それにしてもここまで来るのにいかほどの犠牲者を生んだのだろうか、一説には双方で数万人の人命が失われたともいう。
もしかしたらもう既に十分ハード・ランディングだといえるかもしれない。




無名の名工の傑作を愛でる

2011年05月17日 | 日記
先日我が住まいに程近い浦賀で咸臨丸の偉業を称えるイベントがあったので足を運んだが時間を割いて近くに点在するいくつかの寺社仏閣を歩いて廻った。
その目的は社殿や本堂の欄間に残る見事な透かし彫りに再会することだった。
全くあの彫刻たちは何度見ても素晴らしい。
寺社彫刻といえば日光東照宮にある左甚五郎の「眠り猫」や「三猿」などが有名だが筆者の審美眼からすればこの人気のない小さな寺社にひっそりとたたずむ武志伊八郎一門の作品の方がどれほど大きな感動をもたらすことか。
彼らはどうしてあのような高い技術を培い、またどのように伝承させてきたのだろうか。
今にも動き出しそうな龍や唐獅子、鳳凰を見るたびに人間の持つ無限の可能性に感じいってしまう。
ちなみに伊八郎は波の表現も巧みであの葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に多大な影響を与えたといわれている。
しかし「波の伊八」と呼ばれた武志伊八郎の名を知る人はさほど多くはいないだろう。

スマホ礼賛

2011年05月16日 | 日記
今年最初の買い物がスマートホンであったことは前にも記したがその後大変満足しつつ利用している。
その昔、外出の際忘れ物がないかをチェックするために「鳩がマメ食ってパー」という言葉があった。
外出必携物の頭文字を並べたもので
ハ・・・ハンカチ
ト・・・時計
ガ・・・がまぐち(小銭入れ)
マ・・・万年筆
メ・・・名刺
ク・・・クシ
テ・・・手帳
パ・・・パス(定期券)
を指すのだがスマートホンを使うようになって今やその言葉は必要がなくなった。
時計も手帳も、場合によっては小銭などもスマートホンの機能がとって代わるようになったからだ。
それ以外に地図やビデオカメラ、FM/AMラジオ、音声レコーダまで付随しておるのだからこれはもうスグレモノというほかない。
特に筆者は見知らぬ土地を徘徊する習癖があってよく迷子になることがあるが「現在位置」を詳細に知ることができるようになってからは心おきなく迷子を楽しんでいる。
今やスマートホンこそ外出に手放せない最大のものになってしまった。

バイク・メーカー、警察に物申す

2011年05月15日 | 日記
その昔「カミナリ族」と称する公道を騒音を撒き散らしながらバイクで疾走する輩がいた。
最近はさすがに「徒党を組んで・・・」という姿はあまり見られなくなったがそれでも時折異常にうるさいバイクに出くわすことがある。
あの騒音は乳幼児連れのみならず一般通行者、近隣住民にとっても迷惑甚だしい。
社会全体でさらに騒音追放に動くべきだと思うがどうだろう。
そもそもあの騒音バイクはもともと出荷されたままの品質なのか、それともわざわざ改造されたものなのか。
もし前者であればバイク・メーカーはもっと騒音低減に意を注ぐべきだろう。
後者であればライダー自身や改造業者のモラルの問題だが結局は警察の取締まりとそれを担保する法改正が必要だ。
いずれにしても社会の静粛さは品格の一要素である。
バイク・メーカー、警察が連携し公道から交通騒音を追放して欲しいと願っているのは筆者だけではないと思う。

飲食事業者の最低限の誠意

2011年05月14日 | 日記
ユッケ食中毒時事件を引き起こした焼き肉チェーン運営会社が治療中の患者達に対し治療費全額の支払いを約束する文書を発送するという。
今回の事件は飲食者サイドに全く落ち度がないためこれは当然の措置だろう。
一つ気になるのは死亡した4人に対する遺族への慰謝料について何も触れていないことだ。
慰謝料算出方法が見当たらないということであれば航空機事故や通常の交通事故でよく引き合いに出されるホフマン方式が参考になるだろう。
当該本人が将来得るべき収入から生計費を差し引き現在価値に引き戻したものといったらいいだろうか。
運営会社は治療中の患者への対応と併せて死亡者の遺族に対する補償について早急に態度を表明すべきだ。
もう一つ気になるのは運営会社の負担能力の有無である。
今回の事故で客の入れ込みどころか営業再開そのものが危ぶまれる。
「ない袖は振れない」のである。
保険などに加入していれば別だが・・・。