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コミュニティなき日本社会

2004年12月24日 01時59分37秒 | weblog
(この記事はCHU CHO--!!!へのトラックバックです。)

shiroさん、お久しぶりです。とてもいい問題提起をされていますね。

 日本にはコミュニティ(帰る家)がないのは、ご指摘のとおりです。共同体でもないのに共同体のフリをする、似非共同体はごまんと見られますがね。
 ニセモノの共同体では、ホンモノの共同体のもつバランスやある種の寛容さはありません。相互扶助が相互監視→ファシズムに、村おさの配慮は専制政治になっています。
 学校や会社や地域で日々起こっている「人間関係の疲れ」「陰湿ないやがらせ」「浮いたことをすれば何をされても仕方のないムード」なんてのは、共同体ではないのに共同体ぶろうとして、共同体の悪質なパロディを演じているんですよね。
 また、そういった状態を、支配・管理に利用しようとする勢力が、至る所で力を握っているのも確かだと思います。早い話が、従順でピア・プレッシャーにビクビクしている「ヘタレ」を、求めているんですよね(一方では見下すというオマケつきで)。
 
 また、すべてを「自然」または「天然」と思い込むために、新しい共同体ができにくい。あるいは、今ある共同体のルールや方針を変えることもできない。すべて(実は巧妙に作られた場合もある)「空気」や漠然としたイメージ・印象だけで動いており、「誰がこの規則を作ったのか」、「どうすればこの方針を変えられるか」といった議論をやりにくくする「礼儀」がありますからね。
 また、意見を言えばそれだけで人間失格・悪徳のきわみみたいに受け止められ、リーダーの道徳的説教や、フォロアーからの白い目攻撃・仲間はずし(ほとんど面白いゲーム感覚で行われる)もありますよね。
 実は、あるNPOでリーダーの各種の暴走・勘違いを指摘したら、いろいろと嫌がらせを受けたあげく、暴力による脅迫までやってきたので、あわててやめた経験もあります。(ちなみにそのNPOにおいて、リーダーの暴走を注意したサブリーダーのひとりが3ヶ月も寝込むといった問題も生じています。)
 いわゆる「誰も責任をとらないシステム」。
責任をとらない一部の上流・上層のグループが、わがまま・デタラメのし放題になる。一方、大多数をしめる「下」のグループには、ほとんど何の権利もないシステム。人権と特権の区別のつかない混乱した思考。国全体から中間団体にいたるまで、この構図が変わらない。
 それを再生産する学校教育や会社の研修も、わずかの修正があるだけで、抜本的な改革には至らない。
 話を戻します。伝統から切れたアメリカでは、「こんな方針・カラーのコミュニティを作ってみよう!」という参加者が十数名だか数十名も集まれば、現代型の新しいコミュニティを作っちゃうのですね。
 ある知り合いは、十代の半ば、アメリカのヒッピーたちの作った自給自足のエコロジー型のコミュニティに滞在したそうです。自分たちで田んぼや畑を作ったり、豆乳も作ったり、家も建てるなど、自分たちでできることは自分たちでやってしまうところだそうです。
 彼女の滞在する最後の方には、好きでない相手とのセックスをノルマとしてリーダーがフォロアーに強要するなどの問題も出たため、彼女はそこを去ることになりました。
 その後、日本での彼女は悲惨です。なぜならば、日本ではコミュニティがない。居場所がないと言ってもいいでしょうか。
 結局、同棲相手とも話があわず、むしろ彼女の哲学的追求をバカにされるなどして、苦労しています。その同棲の相手というのが、「会社で働いて忙しくなれば『私って何?』といった『自分探し』に悩むことはない」「お前はまだ若い。だからそんなことを言っているんだ。あと数年もすれば観念的でなくなる。」などと、陳腐なことばかり言っているんですよね。まさに日本のエセ共同体「会社」のメンバーの発言です。周りにあわせるばかりで思考停止。人の自律性には嫉妬するかまったくの無理解。
 先日、彼女に電話をしたら、かなり大変そうでした。ものすごく不幸そうな声で話しており、ささいなことにも怒りっぽくなっていました。周りへの不信感、自己嫌悪、そして孤立にさいなまれているのが見て取れました。
 彼女はわたしのことも日本のえせ共同体の人間だと判断しているので、わたしにも辛く当たります。自分にはどうすることもできません。
 多分、彼女からすれば、日本人の大半は、優しさや理解をよそおいながら、実は何も分かっておらず、本当はとても冷たい人間なのでしょう。「人情」や「善意」や「誠意」を押し売りし、人の感情をゆさぶって人をコントロールする陰湿で残酷な人物だと思われているわけです。わたしなりのーーそれは日本流のーー思いやり、気配りは、彼女にとっては身を切り裂く刃であり、神経に盛る毒のようなものなのです。政治的には、表面はリベラルぶったヒューマニストだが、裏面は質の悪い保守主義者で、今アメリカに住んでいれば熱烈なブッシュ支持者としてイメージされているのです。

 上手に設計され維持されている日本庭園のように、人工的なのに自然らしいものがあります。
自然よりも自然らしい風情がある人工物が。日本では人工的な制度も天然のものだと錯覚されています。そのため、本来なら人工的に維持の努力をしなければならない制度を自然なコミュニティだと取り違えているのです。
 中世や江戸時代のムラ社会とも、高度成長期~バブル期の会社共同体とも違う、現代型のコミュニテイを新しく作る必要があります。
 各自の必要に応じて、いろいろなルールや方針の共同体の形成を、試行錯誤するしかないのでしょう。ゆとり教育に肯定的な可能性を探れば、学校→いい会社・役所といった高度成長期的ムラ社会以外の世界とのつながりを作ることだと思います。(1)
 また、交通面での車社会化の解除、ハイパー・モバイル化の規制も必要ですね。田舎のほうでは、地域商店街はご存知のとおり壊滅状態。5軒または10軒に1軒が開店している地域もあるほどです。
 そのかわり、郊外のショッピングセンターは「一人勝ち」しています。
 車を全廃することはできませんが、その比重を減らすことはできるはず。車や飛行機の利用はどうしても必要なときに限定して、路面電車や自転車の通りやすい道路をつくったほうがいい。アメリカの保守と革新の二極化は、車と飛行機中心の移動手段によって起きたとの説もあるそうなので。
 また、小さな自営のお店が身近にたくさんある状態は、監視カメラよりも犯罪抑止効果があるかもしれません。うちの近所も、車社会の進展とともに、ふとん屋、雑貨屋、薬屋などが次々とみせじまいしています。つぶれた店の建物をとりこわして車を通すための新しい道路ができています。 すると、以前はの環境は壊されてしまいました。町のストリートで老人が椅子を持ち出して雑談したり、小さな子どもたちが縄跳びをした、その横をネコや犬もとりまいている。近所の人がだいたいどんな職業や趣味や背景をもっているか、全部知らなくても多少は見通せる。そういったタイプの風とおしのよさも消えました。小さな子どもや女性は、特に夜一人で歩くことを極度に警戒しています。
 こんなことでは「ここはわが町」という安心感や愛着などできません。そこではびこるのはマクドナルドやドトール、セブンイレブンにデニーズです。
 他には何もない、荒涼とした郊外の風景が広がっています。町を歩くだけで雰囲気がギスギスしているんです。
 shiroさんの体験されたベトネムの血縁にせよ、日本の地縁にせよ、「帰る家」があるのは大切なことだと考えるものです。
 政治・軍事・経済・文化・日常世界……。すべてをグローバルな市場原理にのっとられないために、あえて昔ながらの絆を見直すことも一方では必要でしょう。特定郵便局長はいったいどれほど悪いことをしてきたのでしょう? 地域ボスには社会主義的再配分機能もインストールされていた。いざというときのセーフティネットとして、また「心のふるさと」としての血縁・地縁、学閥や閨閥も、グローバル資本の悪と比べた場合、それほどの悪だったのか、見直す作業も必要かと存じます(むろん、腐敗を招いたり不公平を助長したりするなどの問題点もあるのですが)。
 長くなりました。帰る家なき日本社会への問題解決案は、

Ⅰ.新しい共同体・共同性を作る
Ⅱ.古くからの共同体・共同性を見直し、リサイクル・リフォームする
Ⅲ.(自律性のある)共同体を破壊する学校化・車社会化に歯止めをかける

の3本立てでよいのではないでしょうか?

 もちろん、共同体と共同体を個人が自由に行き来できることは必要です。また、共同体の中での寛容も必要です。なお、共同体と市民社会を自由に選べることも必要です。
 具体的には学校に行く・行かないを選べること、車を使うかどうか選べる(環境を作る)ことが必要なのです。

(1)何でも一律のハイアラーキーで決め付ける頭の固い「左」の階層論者の言うことは、単純すぎます。あの人たちときたら、四国八十八箇所をまわるお遍路さんをつかまえて「階層分化が激しくなる。だからお遍路さん制度を廃止しろ。国や自治体葉、お遍路さんを規制する法律を作るべきだ。そんな風に自由に歩いていると交通事故も起こりやすい云々」と吹き上がりかねない勢いです。要するに、あの人たちは一種の学校教育原理主義者なんですよ。だから、ゆとり教育からフリースクールやホームスクールまで攻撃しまくりです(苦笑)。


 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

5 コメント

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TBどうも! (shiro)
2004-12-25 21:57:45
TBありがとうございます。これは自論ですがマズローの欲求段階説ってありますよね。1生理的欲求2安全3親和4自我5自己実現・・・。日本社会では1と2はクリアーしているというのが基本ですが果たしてそうかなあって思います。

 帰る家がないってかなりきついですよね。これって安全が脅かされているんですよ。だって個人と社会の距離が近すぎるって、国王にいつ首を斬られるのかわかんない状態ですもの。

 アメリカ帰りの女性、日本で暮らすのきついと思います。ベトナムでもそうでしたが、とりあえず2つまでの欲求は満たされています。個人が、自由な振る舞いを許されているから。自由な振る舞いをした途端にリンチにあう日本では、生理的欲求さえも失ってしまう鬱病患者生産国です。

 本当になんとかしなければいけないです・・・。
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Unknown (ぱれいしあ)
2004-12-26 01:37:04
 shiroさん、コメントをどうも。



>日本社会では1と2はクリアーしているというのが

>基本ですが果たしてそうかなあって思います。



 賛成します。いじめ・リンチの恐怖が強すぎます。



>個人と社会の距離が近すぎるって、国王にいつ首を

>斬られるのかわかんない状態ですもの。



 実際には、会社の王様・経営者にいつクビにされるか分からない状態です。

 そのほか中間団体のボスや楯突いた(と解釈された)ときの、周囲が一丸となって特定の個人や小グループを酷薄に破壊してゆく様子もおぞましい。

 また近年は、リストラのマニュアルの普及にともない、扇動者が周囲の人間をだましたり抱き込んだりするやり口が洗練されていますね。

 そういうったエセ共同体の人間は、本当の共同体と自律性ある個人を敵視・軽蔑し、物理暴力から隠微ないやがらせまで何でもやります。



 どうすればいいのか、今の自分には分かりません。

だけど、こうしてまずネット上で議論の場を作ってゆくことで、孤立は防げるでしょう。3人寄れば文殊の知恵じゃないけど、きっといい知恵もわくのではないでしょうか? とにかく今はネット上のコミュニティを創設・維持するべく努力するときだと考えています。

 

 



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アメリカの共同体の報告書 (ぱれいしあ)
2005-01-02 13:23:14
 ↓ 彼女はアメリカの共同体に滞在した経験を、自主出版の本に書いています。http://www.jswork.jp/jsindex/jsbookview.asp?NO=2072

 

 
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Unknown (さば)
2005-01-14 08:29:18
こんにちは、トラックバックを返して

いただき、ありがとうございました。



自分でも、少し共同体について書いてみて、

やはり共同体は必要なのではないかと思った

ものの、一方では、ある種の割り切れ無さも

感じています。



共同体というのは、共同体の成員を扶助する

役割と同時に、個人を共同体のルールの枠内で

行動させようと言う傾向を持っていると思い

ます。現在もある程度存続している、最も

基本的な共同体である親族や家族が原因で、

どれだけの人が苦しんでいるかを考えても、

共同体の復権や強化が良いとは、必ずしも

言えないのではないかと、私などは、考えて

しまいます。



ある個人が、同じ程度の重要度を持った

複数の共同体に属し、自由にその間を行き来

することで、同調圧力を回避できるように

なれば良いと思うのですが。



こういうことを考えていると、余り歯切れの

良い言葉が出てこないです。

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違う視点をありがとう (ぱれいしあ)
2005-01-17 09:30:47
 さば さん。いらっしゃいませ。意見をどうもありがとうございます。

 実はわたしの家族も地域もそうとう抑圧的です。

共同体には人を認め愛し助ける機能とともに、個を抑圧する機能があります。



 ふゆ さんの「わたしのアメリカは共同体だった」では、複数のコミュニティを個人が >自由に行き来 できることが書かれています。日本の江戸以降? の閉じ込め型共同体みたいに「ここを出たら生きてゆけないぞ!」という暗黙の脅しと窮屈さがないのですね。

 また彼女はひとつのコミュニティの中での寛容についても記しています。そのヒッピーのコミュニティでは同性愛も隠すことはないし、好きなお酒を飲んだり選んだ相手とデートをすることもできるのです。江戸以降の日本の村社会の特定の酒屋から買わないととやかく言われるとか、デートもはばかられるといった状況とはかなり違います。



>こういうことを考えていると、余り歯切れの

>良い言葉が出てこないです。



難しい問題だけにムリもないことだと思います。shiro さんの歯切れのよさも、さば さんの逡巡もともに議論を豊かにしています。両方とも価値があると思います。
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