アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

ラテンアメリカ五人集

2009-03-12 20:20:33 | 
『ラテンアメリカ五人集』 J.E. パチェーコ他   ☆☆☆☆

 再読。これはラテンアメリカの作家5人をピックアップしたアンソロジーで、短編集というより中編集という方が近い。リョサの「子犬たち」など、他で読めない作品を収めたなかなか貴重なアンソロジーだと思うが、現在絶版のようだ。収録作品は以下の通り。

「砂漠の戦い」J・E・パチェーコ
「子犬たち」M・バルガス=リョサ
「鏡の前のコルネリア」シルビーナ・オカンポ
「白」「青い目の花束」「見知らぬふたりへの手紙」オクタヴィオ・パス
「グアテマラ伝説集」M・A・アストゥリアス

 オクタヴィオ・パスの「白」のみ詩、「青い目の花束」「見知らぬふたりへの手紙」は『鷲か太陽か?』に収録されている散文詩みたいな短篇。他はそこそこ長い作品である。

 リョサの知名度が一番高いせいか、裏表紙の紹介文などではリョサの「子犬たち」メインで宣伝してあるが、私が見たところ本書の目玉はパチェーコ「砂漠の戦い」である。短い十二章からなる52ページのこの作品、解説で「発表と同時に話題をさらった」と書かれていて、メキシコでは映画化されて賞も取ったらしいが確かに傑作だ。私はパチェーコの短編集も持っているがこの「砂漠の戦い」が一番好きである。

 ストーリーは単純で、学校に通う少年(はっきり分からないが15歳以下)が同級生の母親に恋をするというもの。回想記になっていて、「わたし」が30年以上昔の思い出を語っていく。きびきびとテンポが良く、一応リアリズムながらもどこか夢幻的だ。エピグラムにL・P・ハートリーの言葉が掲げられていて、これがまたいい。「過去は外国である。そこでは人は変わった振る舞いをする」

 過去の回想ということで当時の世情、おとなたちの会話、テレビ番組、はやっていた大衆音楽などがたびたび言及される。ノスタルジックなムードと回想記の体裁、そしてラヴ・ストーリーというプロットの甘美さが溶け合って胸を締めつけるほどに抒情的だ。古いボレロの歌詞が、この物語の通低音のように何度も繰り返し引用される。「この世の空がどんなに高くても、海がどんなに深くても、ぼくの深い愛はどんな障害だって乗り越える、きみのために」
 「わたし」はジムの家に遊びに行き、ジムの母親マリアーナ28歳に恋をする。そしてある日学校を抜け出してマリアーナに会いに行き、愛の告白をする。マリアーナは優しく「わたし」を諭し、この告白をなかったことにしようとする。けれども噂は広まり、大騒ぎになる。学校に行けなくなり、牧師には告解をさせられ、不良の兄は「すげえぜ」と感心し、両親は「わたし」の頭がおかしいと思って精神分析医に診せる。「わたし」は考える、ただ単に誰でも恋をするってことにどうしてみんな気づかないのだろう。

 ストーリーのシンプルさが大きな効果を上げている。おそらくはまだ小学生の「わたし」と大人のマリアーナの間に何かが起きるはずもない。結局「わたし」は愛の告白以降一度もマリアーナに会うことはない。彼女は引っ越して行ってしまうのだ。友達からマリアーナが自殺したという噂を聞き、「わたし」が涙を流しながら彼女の家へ駆けつけるシーンがクライマックスで、マリアーナが本当に死んだのかどうかも分からないまま物語は終わる。この潔さ、変にあざとくエピソードを付け足さない思い切りの良さがいい。これだけで充分ロマンティックだ。それから会話と地の文が溶け合ったスピーディーな文体が非常に気持ちいい。マジック・リアリズムではないけれども、時間と空間をすいすい飛び回って物語を紡いでいく濃密な語りは詩人でもあるパチェーコの本領発揮で、マルケスやリョサと同じラテンアメリカ小説家としての「血」を感じる。

 他の作品にもざっと触れると、リョサの「子犬たち」は性器を犬に噛み切られた少年と仲間たちの話で、「ぼく」の一人称であることといい子供の話であることといい、「砂漠の戦い」と似た印象。が、リョサのストーリーテラーぶりが十分に発揮されているとまでは言えず、個人的にはまあまあの出来。「鏡の前のコルネリア」は全篇対話形式で、愛や死や鏡のオブセッションが濃密なイメージとともに語られる非常に散文詩的な小説。雰囲気は感じ取れるがいかんせん抽象的過ぎてよく分からない。パスの短篇二つは既読だったが相変わらず鮮やかな切れ味、しかし詩の「白」は私には評価不能。「これ何?」の世界である。「グアテマラ伝説集」はいかにも幻想的な創作神話で格調高いが、あまりに古色蒼然としたところが個人的にはマイナスポイント。

 かなりマニアックなチョイスのアンソロジーだが、ラテンアメリカ文学に興味のある人なら入手して損はないはずだ。古本屋で見かけた際はぜひ手に取ってみて下さい。


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