アブソリュート・エゴ・レビュー

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女が階段を上る時

2014-04-09 21:44:49 | 映画
『女が階段を上る時』 成瀬巳喜男監督   ☆☆☆☆☆

 クライテリオン版DVDを入手して鑑賞。『流れる』のような芸者の世界ではなく銀座のバーが舞台ということで、なんとなくこれまで手を出さすにいたのだが、いやー面白かった。全篇これアイロニーの塊である。成瀬作品の例に漏れず非常に残酷なのだが、たとえば溝口監督のような寓話的な残酷とはまた違う、リアルで、静謐で、透明感のある残酷である。この微妙な匙加減は成瀬監督の真骨頂。

 要するに、銀座のバーで生きる女達、そしてそこに灯りに引き寄せられる蛾のように群がってくる男達の世界を、さまざまなエピソードで描き出す映画である。主人公のバーのママ・圭子に高峰秀子、その片腕のマネージャーに仲代達矢、圭子に言い寄ってくる客達に小沢栄太郎、森雅之、中村鴈治郎、加東大介その他。ホステスや他のママとして団令子、中北千枝子、淡路恵子その他大勢。それぞれ個性的で、芸達者な俳優ばかりだ。特に圭子を取り巻く客たちなんて、名前を見ただけでワクワクする布陣である。

 『流れる』の銀座バージョンみたいな映画だが、ただし圭子は一つのバーを守ろうと悪戦苦闘するわけではなく、最初はあるバーで雇われママをやっているが別のバーへ移り、また独立を計画し、と色々変遷する。だから特定の店の物語ではなく、圭子をはじめとする銀座の女達の生き様の物語である。個々のエピソードは裏切り、幻滅、破滅など、成瀬監督にしては比較的ドラマティックなエピソードが多い。また、言い寄ってくる客の中で圭子は誰のことを好きなのか、誰のものになるのか、あるいはどうやって身をかわすのかなど、細かい部分の見せ方がうまい。ちょっとしたセリフや話の流れに意外性を仕掛けたり、成瀬監督のきめ細かな計算が光る。

 さらに、やり過ぎない、つまりドラマティックにし過ぎないあたりの匙加減が絶妙だ。抑制の美学である。登場人物の感情表現においても、決して説明し過ぎない。常に余白を持たせる。終盤、圭子が大阪に赴任していく銀行の支店長・藤崎(森雅之)を見送りに行くシーンなどその典型だろう。圭子、藤崎ともに、内面描写はギリギリまで抑制されている。こうした精密な演出によって人の心のうさんくささ、怖さ、やるせなさ、あるいは男女の機微が描出されていくのだから、面白くないわけがない。個々のプロットそのもの、たとえば水商売の厳しさ、男の裏切り、女の打算、手のひらを返す人間の非情さなどは、他の映画やドラマでも似たようなものがあるだろうが、それを料理する手並みが優れている。

 それにしても森雅之はうまい。小沢栄太郎と中村鴈治郎は堂々たる貫禄で、びっくりさせる意外な伏兵が加東大介だ。それぞれ持ち味の違う役者を駒のように使って男女の綾を綴っていく成瀬監督の、見事な職人芸を堪能できる。しかしこの映画を観ていると、こういう夜の世界の虚実入り乱れた化かし合いこそが大人の男女の醍醐味なんじゃないかと思えてくるが、そういう考えは危険なので捨てましょう。下手すると大ケガをします。

 ところでDVD特典に仲代達矢のインタビューが入っているが、これもなかなか面白い。この映画で彼が演じた役、マネージャーの小松っちゃんについて、ぼんやりしているようで、クールで、ホットでもある、ああいう役は珍しいと思う、と語っているのが印象的だった。たしかにつかみどころがない複雑なキャラクターだが、こういう曖昧さは成瀬映画の登場人物に共通の特性ともいえる。

 それから当時20代だった仲代達矢、現場では高峰秀子がこわかったと述懐している。こわもてっぽい仲代のキャラを考えるとおかしいが、当時高峰秀子は30代の大女優だ。まあ当然だろう。
 

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