アブソリュート・エゴ・レビュー

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幻の光

2008-05-19 19:40:50 | 映画
『幻の光』 是枝裕和監督   ☆☆☆☆☆

 是枝監督の劇場映画第一作。ヴェネチアで金のオゼッラ賞を取っている。アメリカ版DVDで再見したが、傑作だ。

 まず、とにかく圧倒的な映像美。映し出されるのは日本的な風物ばかりだが、映像のニュアンスはヨーロッパ映画、特にビクトル・エリセを思わせる。実際是枝監督自身が、江角マキコと浅野忠信が工場のガラス窓越しに見つめあう場面はビクトル・エリセの『エル・スール』の一場面にインスパイアされたと語っている。ミニマリスト的な映像の構成は小津の影響を指摘する人も多いが、私は小津映画はあんまり見ていないのでビクトル・エリセの影響の方を強く感じた。

 映画に映し出される風物はどれもこれもひなびて古い、風情があるものばかり。木造アパート、裸電球、しみのついた壁。是枝監督は明らかに歴史を刻み込んだ古い事物への嗜好を持っている。そしてそれらを片っ端から詩に変えていく確かな技術を持っている。

 物語のアイデアは実にシンプル。ある日突然、人が消える。その喪失感。その謎。人生に侵入してくる捉えがたい神秘の感覚。それだけだ。まず冒頭でお婆ちゃんがいなくなる。次にゆみ子の夫(浅野忠信)が突然自殺する。ゆみ子は再婚し、能登の海辺で静かに暮らす。しかし彼女の心の中からは「なぜあの人は自殺したのか?」という問いが消えることはない。そしてそれがもたらす喪失感も。ゆみ子の新しい夫、民雄は言う、海の沖にきれいな光が見えて、船乗りを呼ぶことがある。誰にでも、そんなことがあるんじゃないか。映画はこのシンプルなプロットの合間を、淡々とした日常描写で埋めていく。だから物語に起承転結などないに等しい。起伏のあるストーリーを求める人には向かない映画だ。

 前半、浅野忠信との夫婦生活は大阪の町中で、木造アパートや工場が舞台になる。内藤剛志と再婚してからは能登へ行って、海辺の自然描写がメインとなる。どっちもいいが、私は前半の方が好きだ。風呂もない木造アパートに住み、テレビもなく、隣のラジオの音は丸聞こえ。それでもゆみ子は幸せだ。世間的に言えば貧乏ということになるだろう生活の中で、多分ゆみ子はそのことに気づいてさえもいない。このしみじみした日々の描写がたまらなく胸を締めつける。そして浅野忠信の見事な存在感。やはりこの人は素晴らしい役者さんだ。彼は前半で姿を消してしまうが、映画全体を通して観客は彼の存在を感じ続ける。

 日常描写が多く淡々とした映画だが、これは最近多い癒し系まったり映画では全然ない。むしろ荘厳で神秘的な映画だ。幻想的と言ってもいい。そういうところもビクトル・エリセの映画と似ている。人生に唐突に、不条理に打ち込まれる喪失という楔を、人智を超えた神秘として描き出している。美しい映像詩である。

 ところでこの映画には原作があるらしい。未読だが、あまりに見事な映画であるために小説の原作があるということが信じられない。この物語はこの映像とともにしか成立しえないような気がしてしまうのだが、これは是枝監督の技量というものだろう。完全に自分のものにしてしまっている。原作は一体どんな小説なのだろうか。


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