『夜の女たち』 溝口健二監督 ☆☆☆
Criterion版のDVDで鑑賞。以前買ったミゾグチ・パッケージの中に収録されている一つだが、これだけまだ観ていなかった。1948年作品。
例によって堕ちていく女の話である。主演は田中絹代。まじめな嫁だった房子(田中絹代)は戦争のせいで夫をなくし、貧乏のせいで子供も死なせてしまう。そして面倒を見てやるという社長の秘書兼愛人となって暮らすが、この社長が房子の妹の夏子にも手を出したのにショックを受け、パンパンつまり街娼に身を落としてしまう。
あの田中絹代のパンパン姿はなかなか強烈である。厚化粧にケバケバしい服。はっきり言って似合っていない。ブサイクと言っても過言ではない。これが山田五十鈴ならカッコよくきめるところだろうが、地味顔の田中絹代では無理だ。が、逆にそれが生々しくて映画のテーマに合っているという見方もできる。痛々しいのである。しかしこの役をやるのは勇気がいっただろうな。もし今リメイクするとしても、ヒロインの街娼姿はどうしてもセクシー路線でカッコよくきめようとするだろう。が、溝口と田中絹代はそうしなかった。私はそこに田中絹代の女優魂を見る。
しかし、似たテーマの『祇園の姉妹』あたりと比べると凄みに欠け、いささか見劣りする作品ではある。話の展開がギクシャクしていて、エピソード間の連携がうまくいっていない。少なくとも、最大限の効果が得られていない。たとえば貞淑だった房子がパンパンになるのがいやに唐突だし、房子と妹の夏子の関係性も変化が慌しい。クライマックスとなる夜の女たちの嘆き場面もあまりにストレートで、悲嘆を雄弁に強調するがゆえにかえって説得力を弱める結果になっている。
一方で、房子の知り合いである久美子が若い男に無理矢理酒を飲まされ、手篭めにされるシーンや、その後女たちのリンチにあう場面は容赦なくて迫力がある。こういうところはさすが溝口だ。ちなみに本作では三人の女、房子、夏子、久美子の遍歴が描かれるが、三人とも、それぞれリンチされる場面がある。こわい。そして三人の女にそれぞれ救いが訪れる結末が、本作の寓話性を強めている。
途中で出てくる施設の人間がいう「君たちは新しい女にならなくちゃいけない」という言葉や、ラストのステンドグラスのマリア像のアップも、やはりメッセージ色を強く感じさせる結果になった。それが溝口監督のパッションを感じさせるという見方もあるかも知れないが、個人的にはそれが多義性を薄め、フィルムから深みとポエジーを奪っているような気がした。
Criterion版のDVDで鑑賞。以前買ったミゾグチ・パッケージの中に収録されている一つだが、これだけまだ観ていなかった。1948年作品。
例によって堕ちていく女の話である。主演は田中絹代。まじめな嫁だった房子(田中絹代)は戦争のせいで夫をなくし、貧乏のせいで子供も死なせてしまう。そして面倒を見てやるという社長の秘書兼愛人となって暮らすが、この社長が房子の妹の夏子にも手を出したのにショックを受け、パンパンつまり街娼に身を落としてしまう。
あの田中絹代のパンパン姿はなかなか強烈である。厚化粧にケバケバしい服。はっきり言って似合っていない。ブサイクと言っても過言ではない。これが山田五十鈴ならカッコよくきめるところだろうが、地味顔の田中絹代では無理だ。が、逆にそれが生々しくて映画のテーマに合っているという見方もできる。痛々しいのである。しかしこの役をやるのは勇気がいっただろうな。もし今リメイクするとしても、ヒロインの街娼姿はどうしてもセクシー路線でカッコよくきめようとするだろう。が、溝口と田中絹代はそうしなかった。私はそこに田中絹代の女優魂を見る。
しかし、似たテーマの『祇園の姉妹』あたりと比べると凄みに欠け、いささか見劣りする作品ではある。話の展開がギクシャクしていて、エピソード間の連携がうまくいっていない。少なくとも、最大限の効果が得られていない。たとえば貞淑だった房子がパンパンになるのがいやに唐突だし、房子と妹の夏子の関係性も変化が慌しい。クライマックスとなる夜の女たちの嘆き場面もあまりにストレートで、悲嘆を雄弁に強調するがゆえにかえって説得力を弱める結果になっている。
一方で、房子の知り合いである久美子が若い男に無理矢理酒を飲まされ、手篭めにされるシーンや、その後女たちのリンチにあう場面は容赦なくて迫力がある。こういうところはさすが溝口だ。ちなみに本作では三人の女、房子、夏子、久美子の遍歴が描かれるが、三人とも、それぞれリンチされる場面がある。こわい。そして三人の女にそれぞれ救いが訪れる結末が、本作の寓話性を強めている。
途中で出てくる施設の人間がいう「君たちは新しい女にならなくちゃいけない」という言葉や、ラストのステンドグラスのマリア像のアップも、やはりメッセージ色を強く感じさせる結果になった。それが溝口監督のパッションを感じさせるという見方もあるかも知れないが、個人的にはそれが多義性を薄め、フィルムから深みとポエジーを奪っているような気がした。
流産に終わってしまったけど、次はきっと産んでみせると.
ジャン=リュック・ゴダールがこの映画を観て感動し、『女と男のいる舗道』を撮りました.
パリの街娼たちを描いた映画で、
『子供が出来たら、彼女たちは墜すと思われがちだが、多くの女性達は父親が誰か分らない子供を産み、実家に預けて仕事を続ける』
と、述べました.