アブソリュート・エゴ・レビュー

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男はつらいよ 葛飾立志篇

2010-09-22 20:27:03 | 映画
『男はつらいよ 葛飾立志篇』 山田洋次監督   ☆☆☆★

 『寅次郎夢枕』に続いてシリーズ16作目、『葛飾立志篇』。これはまったくの初見じゃないけれども、ほとんど覚えていなかった。大昔にテレビで一部観た、という程度だったかも知れない。出来としてはまあまあ。水準作だと思う。

 マドンナは樫山文枝。あんまり知らない女優さんだ。それほど美人じゃないが、庶民的な感じで好感が持てる。役柄は考古学の研究者で、とらやに下宿することになる。マドンナがとらやに下宿する作品は他にも色々あるが、寅との絡みがたっぷり愉しめるし、おなじみのメンバーに「家族の一員」的にマドンナが参加する幸福感があり、ファンとしては嬉しいパターンだ。それからおなつかしや、桜田淳子さん。セーラー服が似合っていてとても可愛らしい。メインのストーリーにはほとんど絡まないのが残念だ。彼女はいつも仕送りをしてくれる寅をお父さんだと勘違いしてやってきて、とらやに騒動を巻き起こす。寅は彼女の母親のお雪さんから昔親切にしてもらったことが忘れられず、ずっと仕送りを続けていたのだった。仕送りと聞いて「そりゃ寅のはずがない」とおいちゃんが言い、いつも5百円と聞いて「やっぱり寅ちゃんかねえ」とおばちゃんが言うところがいい。

 それにしても、桜田淳子が突然「お父さん」と呼びかけると、ニコニコしている寅の顔が急にこわばり「知らないな、おれは」。ここの渥美清の演技が実におかしい。

 ところで、今回のテーマは学問である。人間はなぜ学問をするのか。旅先で寅は大滝秀治扮する坊さんに会い、学問とはおのれを知ること、と教えられる。それから柴又に帰って来て学問をしようと決心し、うまいぐあいに下宿していたインテリのマドンナ、礼子に勉強を教わることになるわけだが、もちろん寅には学問の何たるかなんて分からない。学問とはおのれを知ること、というセリフをなんとかの一つ覚えで繰り返し、礼子や御前様に感心されるが、おのれを知るとはどういうことかろくに考えてもいないようだ。目も悪くないのに眼鏡をかけて、さくらや博と口論になったりする。

 しかし最後、結婚問題で悩んでいる礼子を見て、寅はさくらに言う。「こっちに学問があったらなあ…上手い答えをしてやれたんだけど…。学問がないってことは悔しいよ。なんかしてやろうとしたって、どうしょうもないもんな。俺のできることは、ハチミツと果物でも買っていくのが関の山だい」そしてまた、一人旅立って行く。

 寅にとって結局学問とはおのれを知ることでもなく、まして立身出世の手段でもなく、それがあれば愛する人を幸福にしてあげられる何かなのだった。私達が寅を愛するのは、彼が時折見せるこのような無垢ゆえである。

 さて本作における最大の見所は、やはり小林桂樹演じる田所博士だろう。田所博士は大学の教授で、礼子の指導者である。いつも地面を掘り返しているので小汚い格好をしており、最初とらやにやってきた時は道路工事の労働者と間違えられた。彼を見たさくらは「ちょっと安心した」と言う。博が「なんでだ?」と聞くと、「礼子さんいつも田所先生の話をするから、ひょっとしたらステキな独身の大学教授で、礼子さんは田所先生を好きなんじゃないかと思ったけど、先生を見たら全然そんなんじゃないと分かった」と答える。さくら、それはちょっとひどいと思うぞ。

 ところがそんな田所博士もまた、教え子である礼子に恋をしていた。ここまでの展開で観客は間違いなく、礼子は田所博士と一緒になり、その結果寅は失恋する、と思うだろう。実際そんなような展開になり、寅は旅に出る。ところがこれは寅の勘違いで、礼子は田所博士の方も断ってしまったのだ。いつものパターンを逆手に取った展開である。

 それにしても、「男はつらいよ」シリーズには博のさくらへの告白をはじめ感動的な告白シーンがいくつもあるが、この田所博士の礼子への告白もまた、とても美しい告白シーンのひとつである。他の告白シーンと異なり、これは手紙だ。おとなの田所博士には、若さゆえの不器用な告白は似合わないと山田監督は考えたに違いない。不器用ではあるのだけれど、田所博士がすべての思いを込めて礼子に渡した手書きの詩には、人生をくぐり抜けてきたおとなならではの知性と真情が溢れている。ちなみにこの詩は、山田監督の直筆らしい。

 礼子から断りの電話をもらった時の田所博士のリアクションもいい。自分のことだけ考えて失意をひけらかすような若者とは違い、相手を思いやる気持ちと照れくささのまじりあった、なんともいえない味のある受け答えだ。この田所博士があまりにも愛すべき人物なので、映画がエピローグを迎えた時は実に寂しかった。これは私だけではないだろう。だからエピローグでもう一度、寅と田所先生が一緒に現れる時、私達はなんとも嬉しい、幸福な気持ちになるのである。

(追記)
 
 この記事を書いた直後、小林桂樹氏の訃報を知った。本作はもちろん、『小早川家の秋』『椿三十郎』『マルサの女』、そして大好きな『めし』など、色んな素晴らしい映画で味のある演技を見せてくれた、個人的に大好きな役者さんだった。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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