アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

聖なる侵入

2012-12-17 20:00:53 | 
『聖なる侵入』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆★

 再読。ディックのヴァリス二部作の二作目、あるいはヴァリス三部作の二作目である。人称が一人称になったり三人称になったりし、現代のカリフォルニアが舞台で、時空を自在に飛び回る実験的なナラティヴが特徴的だった『ヴァリス』と異なり、この『聖なる侵入』はディック本来のパルプSF的語りによるSF作品の体裁を一応取り戻してはいる。が、一見SFの容れ物の中には『ヴァリス』で全開になったディック神学がぎっしり詰め込まれていて、そのパルプSF感覚と神学の異様な、ミスマッチなせめぎあいがこの作品の特徴であり、また破綻であると言っていいかも知れない。

 SFプロットのメインアイデアは、要するに外宇宙で誕生した救世主が邪悪なゾーンに包まれた地球に侵入しようとし、その過程で事故に遭って記憶を失ってしまう、というものだ。記憶喪失になった救世主というアイデアは非常に面白い。この小説の中では、地球はキリスト=イスラム教会と共産党が手を握って支配しているというとんでもない設定で、地球からは神性、すなわちヤーウェが失われている。そして貧しい移民たちが住むCY30=CY30B星系のドームで暮らしているのが主人公ハーブ・アシャー、隣のドームに住むのがリビスである。ハーブは女性歌手リンダ・フォックスのオタクで他人と接触することに恐怖症があるというディック特有の落伍者で、リビスは不治の病にかかっている。二人のドームのそばには山があり、現地人の言い伝えによればその山にはヤーという神が住んでいる。ある日ハープはヤーのお告げを聞き、リビスを助けることを決意する。リビスは処女懐妊しており、その腹にはヤーの分身、すなわり救世主マニーが宿っていた。ハーブはリビスを連れて地球に戻ろうとするが、地球のキリスト=イスラム教会はこの試みを察知し、地球に「悪魔」が侵入しようとしているといって軍を動かし、ハーブとリビス、そしてマニーの侵入を阻止しようとする。

 この部分はサスペンスフルなSFとして読め、かなり面白い。SFと神学がごっちゃになった異様なディック世界観が炸裂する。しかしややこしいのは、これが物語の始まりではなく、回想というか、人工冬眠しているハーブの夢として語られるということだ。物語はすでにマニーが生まれて学校に行き、母リビスは死に、父ハーブは人工冬眠しているところから始まる。マニーはエリアスという預言者に庇護されている。上に書いた過去の経緯はハーブの夢であり、だから夢の中のハーブの耳に、現実で流れている音楽が聞こえてくる、なんてややこしいことが起きる。物語はしばらく、学校に行くマニーの(現在の)話と、ハーブの夢の(過去の)話が平行して進む。

 現在のパートでマニーは記憶喪失になっているが、ジナというやはり異能の少女と出会い、だんだん救世主としての自分の目覚めていく。このマニーとジナの会話はもうほとんど神学論争で、私みたいな読者にはわけが分からない。線形時間軸、世界脳、外的宇宙、云々という言葉が頻出する。こういう部分はSFパートと水と油で、本書の破綻を感じさせる一つの要因になっている。逆に、いかにもディックらしいという見方もできるが。また、ピンクの光線などのディック自身の神秘体験も盛り込まれている。

 途中でハーブが冬眠から目覚め、マニーがジナの誘いに応じて彼女の世界に入ってからはこれまでの世界が大きく変化し、いきなりハーブとエリアスがオーディオ屋になる。物語世界が別の次元に移動するのである。ハーブが店長で、エリアスは店員だ。預言者がオーディオ屋の店員という、これもまたディック・テイスト満点であり、以前の世界と今の世界がぼんやりずれたり重なったりして何が現実か分からなくなってくるというのも、ディック十八番の展開である。ストーリーはというと、これ以降はもうほとんどムチャクチャで、ハーブが歌手のリンダ・フォックスと近づきになって、妙なラブストーリー的サブプロットが出てきたりする。これはこれで結構面白いのだが、中途半端なところで終わってしまうし、キリスト=イスラム教会のハームズとブルコフスキーの権力闘争もなかなか面白そうな設定だけれども、頭出しだけでその後続かない。預言者エリアス・テイトの存在も中途半端である。こうして何もかもが中途ハンパなまま、物語は虚空に吸い込まれるように消えていってしまう。うーん、何なんだろうなこれは。

 個人的には、部分的には面白いところがあるものの、全体としてはやはり破綻していて傑作とは言いがたいと思う。ストーリーが収束せずバラバラになってしまうのもそうだし、SF部分と神学論争部分もうまく噛み合っていない。大体神学論争部分はディックの知識や考察をあまりに生のまま詰め込んでしまった感じで、もともとこっち方面の知識がある人でないと到底ついていけない。一方で、一説によると本書はユダヤ教やグノーシス主義等の知識ががんがん盛り込まれて独特の精緻な神学を構成しているという話もあるので、ついていける人にとっては面白いのかも知れない。しかしまあ、それが小説としての面白さなのかはどうかはまた別の話だが。

 いずれにしろ、ディックにしか書けない異様な小説である。


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