アブソリュート・エゴ・レビュー

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The Dark Knight

2008-08-24 17:29:00 | 映画
『The Dark Knight』 Christopher Nolan監督   ☆☆☆☆☆

 ただいま絶賛上映中のバットマン最新作、『ダークナイト』を観てきた。例によってニュージャージーの映画館でど真ん中の特等席だ。

 前作の『バットマン・ビギンズ』はあんまり面白いと思えず、これだったらティム・バートンの『バットマン』の方が好きだなと思ったものだが、この『ダークナイト』も前作のリアリズム路線を継承しているということで、異常な評判の良さは聞いていたものの半信半疑だった。が、実際に観て度肝を抜かれた。あらゆる点で前作よりはるかに凄みを増している。シリーズ中もっともダークでヘヴィーなバットマンと言われているが、まったくその通りだ。

 とにかく怖い。ホラー映画的な怖さではなく(残酷なシーンもあるが)、話の展開やディテールに、なんというか、容赦なく観客を崖っぷちに追い詰めていくような不安感があるのだ。もちろん、この怖さの大部分はジョーカーの存在によるものだけれど、ヒロインの死やハーベイ・デントの悲惨な運命、偽バットマンの自警団、人殺しに駆り立てられる一般市民など、ストーリー全体に予定調和を排してギリギリまで突き進んでいこうとする強烈な意志と緊張感がみなぎっている。ほとんど偏執狂的ですらある。

 そしてヒース・レジャー演じる、まがまがしく狂気に満ちたジョーカー。『バットマン』のジャック・ニコルスンの強烈な印象を振り払ってまったく異なるジョーカーを創り出しただけでも大変なことなのに、まがまがしさと複雑さとインパクトの強さでニコルソン版ジョーカーを凌駕してしまったのは驚異的としかいいようがない。舌をぺろぺろ出しながら、狡猾な目をきょろきょろさせ、破壊的な笑いを響かせるレジャーのジョーカーはニコルスンのように堂々たるヒールではなく、どこか卑屈さを滲ませ、現れるだけで観るものを不安に突き落とす。半分はがれかかった異様なメイク、裂けた口への執着、札束を燃やしてしまう無目的性、そして人間の暗黒面を容赦なく暴きだすトリックスター性など、レジャーの演技のみならずキャラクター造形や脚本も優れている。

 そしてこの映画は「善とは何か」「悪とは何か」そして「ヒーローとは何者か」という形而上学的問いまで観客に投げかけてくる。ジョーカーとバットマンはお互いを必要とする。バットマンは迷い、「顔のある」ヒーロー、ハーベイ・デントにゴッサム・シティをまかせて消えてしまおうとするが、そのハーベイのとめどない転落、そして勝ち誇るジョーカーの跳梁により観客は更なる迷宮に投げ込まれる。おぞましいトゥー・フェイスと化したハーベイ・デントの「公平」理論も、いわゆる「正義」に突きつけられたナイフの如き懐疑に満ちている。

 こうしたアーティスティックな要素に加え、娯楽映画としてのアクションは強烈でとにかくスタイリッシュだ。こういうアクションがカッコいいんだよ、という確信と気合いに満ちている。ノーラン監督は「製作する側が真剣に作っていない映画を観客が真剣に見るはずがない」と言ってバットマン・ムービーの再生に名乗りを上げたそうだが、確かに本気汁出まくっている。まあ、これでヒットしないわけがない。個人的に一番カッコ良かったのは、バットマン・カーがやられたと思ったら残骸の中からバット・ポッドが飛び出してくるシーンだ。あまりのかっこよさに失禁しそうになった。

 という具合に、隅から隅までぎっしりアンコがつまったタイヤキのような映画だが、それゆえに混乱と危うさをもった作品であり、決してパーフェクトな映画ではないと思う。パーフェクトな映画とはおそらくシンプルで座りのいい、無駄をそぎ落とした映画のことである。この映画は過剰だ。そしてあまりにも荒涼としている。



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