アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

八犬伝(その1)

2013-05-10 22:26:47 | 
『八犬伝(上・下)』 山田風太郎   ☆☆☆☆☆

 私は『南総里見八犬伝』フリークである。好きで好きでたまらない。これほど面白く、奥深く、濃厚で快楽に満ちた物語世界はないと思っている。これは幼少の頃見たNHKの人形劇「新八犬伝」の影響であることは間違いなく、精神の柔らかい幼い頃だったので思い切り刷り込まれてしまったということもあるだろうが、とにかくあの人形劇の面白さといったらハンパなく、もう身もだえしのたうち回るほどで、私はあれによってしびれるような物語の愉悦というものを教えこまれた、と言っても過言ではない。あの神秘の珠を持った八犬士たち、八房と伏姫、役(えん)の行者、玉梓(たまづさ)が怨霊、悪女・舟虫にさもしい浪人・網星左母四郎(あぼしさもしろう)、そして数々の妖怪変化に魑魅魍魎たちが織り成すネバーエンディングな一大伝奇ロマン。波乱万丈、荒唐無稽、神韻渺茫たる和の千夜一夜物語。それを、辻村ジュサブロー氏の芸術的な人形と坂本九の名調子で見ることができるのだ。たまらない。しかし聞けば、この番組の録画テープはもう残っておらず、再見不可能だという。ああ、なんたることか。貴重な文化遺産の大損失である。本当に、心から、残念でならない。

 というわけで、前置きが長くなってしまったが、「八犬伝」と聞くととりあえずチェックしないと気がすまない体質の私がこれまで吟味した「八犬伝もの」の中で、一番面白いと思うのが本書、山田風太郎の『八犬伝』である。『八犬伝』というシンプルなタイトルが、山田風太郎の自信を表わしているようだ。

 同じく風太郎の小説で『忍法八犬伝』というものがあり、これは得意の忍法ものに八犬伝の要素を取り入れた変化球だが、本書は堂々たる直球、まさにあの「南総里見八犬伝」オリジナル・バージョンの面白さを抽出して読者に味わわせ、そこに作者・滝沢馬琴の物語を加えて更なる化学変化を呼び込もうという意欲作である。目次を見ると「虚の世界」と「実の世界」が交互に現れるが、「虚の世界」でオリジナル八犬伝の世界が展開され、「実の世界」でそれを書いている滝沢馬琴の物語が展開する、という趣向だ。

 「虚の世界」はもちろん「八犬伝」の現代語訳なんてものではなく、山田風太郎が原作の面白いところを抽出し、アレンジして語り直す、という作業が行われている。あの八犬伝の荒唐無稽な世界を山田風太郎の文体で読めるのだから、面白くないわけがない。それに原作の膨大なディテールをただ要約するのではなく、面白い細部は活かし、煩瑣な部分は切り落とすという具合に、考えて再構築されている。たとえば妖犬・八房が狸の乳で育ったとか、自害する前に伏姫がいったん珠を呑み込むとか、そういう細部もきちんと書かれている。

 この「虚の世界」パートはとにかく面白いから読めとしかいいようがなく、不思議な因果で伏姫と犬の八房が夫婦になるプロローグから、八犬士たちが一人、また一人と登場する本編まで、怒涛のようなワクワク感の連続である。りりしくも涼しげなイケメン・犬塚信乃、沈着冷静な犬川荘助、怪しい幻術士・犬山道節、男らしく頼もしい犬飼現八、などが次々に登場し、時にはお互いの素性を知らずに斬り合いをしたりする。悪代官や性悪な権力者に騙され、苦境に落とされつつも胸のすく活躍で切り抜け、あるいはめぐる因果の糸車に導かれて運命的な邂逅へと誘われていく。これは「実の世界」でも書かれているが、作者の滝沢馬琴は細かい伏線を張り巡らせ辻褄を合わせることに命を賭けているような人だったらしい。その人が蜘蛛の糸のように織り上げた巧緻なプロットはやはり見事で、ありとあらゆるテクニックが駆使されている。その後さんざん(他の小説で)使い回されたパターンももちろんあるけれども、今読んでも充分鮮やかだし、おまけに個々のエピソードは冒険活劇チャンバラから怪談、幻想譚、復讐譚、恋愛もの、人情もの、と実にバラエティ豊かだ。

 おまけに、妖怪や魑魅魍魎が登場するのみならず、これは人間と動物たちの因縁が入り乱れる「人獣混合の一大マンダラ」として構想されているということが「実の世界」で明かされる。伏姫と妖犬・八房が婚姻を結んで八犬士を産む「犬」のエピソードはもちろんのこと、怨霊の化身たる狸、河に流される馬、人にのりうつる化け猫、人間の身代わりになって乳母に化ける狐、有力者の奥方に寵愛される猿、屏風の絵から抜け出して暴れる虎、など色んな獣が出てきて人間の世界と交わる。ただのチャンバラ時代劇ではない「八犬伝」の妖気漂う蠱惑性、原初的な神話性は、こういう部分から生まれてくるもののように思う。

 細かい話でいうと、犬塚信乃が持つ名刀・村雨や、犬坂毛野が持つ名刀・落葉のような小道具がまた魅力的だ。村雨は常にしっとりと露を帯びて、人を斬っても水が迸ってたちまち血を洗い流してしまい、斬った跡もとどめないという不思議な刀で、村雨のこの特性は物語の上でもあちこちで活かされている。ちなみに人形劇「新八犬伝」では、信乃が村雨を抜くと、「抜けば玉散る氷の刃!」と九ちゃんの合いの手が入るのがお約束だった。

 それから毛野が持つ名刀・落葉は、これで人を斬ると周囲の木がはらはらと木の葉を落とすという、これまた不思議な刀である。ちなみに、私はこの犬坂毛野が八犬士の中で一番好きなのだが、それについてはまた後で。

(次回へ続く)


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2 コメント

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Unknown (サム)
2013-05-14 01:21:31
NHKの八犬伝は僕も子供の頃観ていました(多分小学生)。白い珠に漢字一字がカクカクした字で書かれているのとか、夕日のオレンジ色が鮮やかだったとか断片的な記憶しかないのですが。もう観られないとなるといっそう観たくなりますね。。。
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新八犬伝 (ego_dance)
2013-05-20 11:16:08
特に着物を着ている女の人形(浜路とか玉梓が怨霊とか)の美しさが印象に残っています。動きもリアルだったし、今見るとまた格別だと思うんですけどね…ホント残念です。
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