『11の物語』 パトリシア・ハイスミス ☆☆☆★
『太陽がいっぱい』の原作で有名なパトリシア・ハイスミスを初めて読んだ。短篇集である。どれも不快な、薄気味悪い物語ばかりだ。グレアム・グリーンが序文を書いていて、その中でハイスミス文学の特徴を語っているが、グリーンによればハイスミスは「不安の詩人」であり、その作品は読者を捕らえて離さず、またその残忍な魅力はきわめて独特だと賞賛している。グリーンが言外に匂わせているのは、ハイスミスの世界は他の娯楽作家の書くもののように単純でも図式的でもなく、より微妙な灰色の領域に属しているということである。
ただし、書かれた年代を考慮する必要はある。詳しい発表年の記載はないけれども、デビュー作「ヒロイン」が書かれたのは1945年で、この短篇集が刊行されたのは1970年なのでその間に発表された作品集と考えていいだろう。かなり古い。私はそれを知らずに読んだので、冒頭のいくつかの短篇を読んだ時は結構古い感じだなと戸惑った。
先に書いた通りどれも不快な物語という点で徹底しているが、大別すると結末が直接的に暴力的、破壊的で不快にさせるものと、そうでないもっと微妙なものがある。もちろん、小説としては後者の方が良い。たとえば「かたつむり観察者」「すっぽん」「ヒロイン」などは明らかに前者で、結末のショックがストレートな分、今読むと古さを感じるし、驚きも少ない。一方、グリーンのイチ押しである「モビールに艦隊が入港したとき」や「もうひとつの橋」「空っぽの巣箱」などは後者で、単純なショックに依存していない分今読んでも比較的面白い。特に夫を殺した女の内面を回想を織り交ぜて描写した「モビールに艦隊が入港したとき」と、家族をなくした男のイタリア旅行を描いた「もうひとつの橋」は、エンタメというより純文学の領域に足を突っ込んでいると思う。
それから面白いなと思ったのは、二つの短篇でかたつむりを扱っていること。「かたつむり観察者」と「クレイヴァリング教授の新発見」だけれども、これはハイスミス自身かたつむり観察が趣味なのでということのようだ。変わった趣味だが、なかなか面白いのかも、とも思う。私も子供の頃しげしげとかたつむりを観察して飽きなかった記憶がある。あれはかなり不思議な生き物だ。「かたつむり観察者」のラストは大体予想通りで意外性はないが、かたつむりでいっぱいになった部屋の不気味さとかたつむりの奇妙な「愛の儀式」が印象に残る。あの「愛の儀式」は本当にかたつむりの生態にあるものなのだろうか、それともデタラメなのか? こういう風に迷ってしまうのも、かたつむりが得体の知れない生き物だからだろう。
「クレイヴァリング教授の新発見」は要するに巨大な人喰いかたつむりに襲われるという話だが、これも不気味さと奇怪さで強烈な印象を残す。巨大昆虫や巨大クモはホラー映画でありがちだが、やはりかたつむりというのがポイントだ。決して強そうではないし、ノロノロとしか動けないので、主人公も最初は馬鹿にして面白がっている。が、口の中にずらっと歯が並んでいるのが見えたなどという描写はかなり怖い。
その他にわりと面白かったのは、二人の老嬢の背筋が寒くなるような愛憎関係を描いた「愛の叫び」、窓の外でチンピラどもが騒ぎながらキャッチボールをするという直接的に不快な状況を扱いつつも微妙な結末に至る「野蛮人たち」、いくつかのモチーフが絡み合って謎めいた読後感を残す寓話的な「空っぽの巣箱」あたりだった。悪くはないが、やはりグリーンの序文を読むと長編を読みたくなる。ただし代表作である『太陽がいっぱい』は、現在入手が難しいようだ。
『太陽がいっぱい』の原作で有名なパトリシア・ハイスミスを初めて読んだ。短篇集である。どれも不快な、薄気味悪い物語ばかりだ。グレアム・グリーンが序文を書いていて、その中でハイスミス文学の特徴を語っているが、グリーンによればハイスミスは「不安の詩人」であり、その作品は読者を捕らえて離さず、またその残忍な魅力はきわめて独特だと賞賛している。グリーンが言外に匂わせているのは、ハイスミスの世界は他の娯楽作家の書くもののように単純でも図式的でもなく、より微妙な灰色の領域に属しているということである。
ただし、書かれた年代を考慮する必要はある。詳しい発表年の記載はないけれども、デビュー作「ヒロイン」が書かれたのは1945年で、この短篇集が刊行されたのは1970年なのでその間に発表された作品集と考えていいだろう。かなり古い。私はそれを知らずに読んだので、冒頭のいくつかの短篇を読んだ時は結構古い感じだなと戸惑った。
先に書いた通りどれも不快な物語という点で徹底しているが、大別すると結末が直接的に暴力的、破壊的で不快にさせるものと、そうでないもっと微妙なものがある。もちろん、小説としては後者の方が良い。たとえば「かたつむり観察者」「すっぽん」「ヒロイン」などは明らかに前者で、結末のショックがストレートな分、今読むと古さを感じるし、驚きも少ない。一方、グリーンのイチ押しである「モビールに艦隊が入港したとき」や「もうひとつの橋」「空っぽの巣箱」などは後者で、単純なショックに依存していない分今読んでも比較的面白い。特に夫を殺した女の内面を回想を織り交ぜて描写した「モビールに艦隊が入港したとき」と、家族をなくした男のイタリア旅行を描いた「もうひとつの橋」は、エンタメというより純文学の領域に足を突っ込んでいると思う。
それから面白いなと思ったのは、二つの短篇でかたつむりを扱っていること。「かたつむり観察者」と「クレイヴァリング教授の新発見」だけれども、これはハイスミス自身かたつむり観察が趣味なのでということのようだ。変わった趣味だが、なかなか面白いのかも、とも思う。私も子供の頃しげしげとかたつむりを観察して飽きなかった記憶がある。あれはかなり不思議な生き物だ。「かたつむり観察者」のラストは大体予想通りで意外性はないが、かたつむりでいっぱいになった部屋の不気味さとかたつむりの奇妙な「愛の儀式」が印象に残る。あの「愛の儀式」は本当にかたつむりの生態にあるものなのだろうか、それともデタラメなのか? こういう風に迷ってしまうのも、かたつむりが得体の知れない生き物だからだろう。
「クレイヴァリング教授の新発見」は要するに巨大な人喰いかたつむりに襲われるという話だが、これも不気味さと奇怪さで強烈な印象を残す。巨大昆虫や巨大クモはホラー映画でありがちだが、やはりかたつむりというのがポイントだ。決して強そうではないし、ノロノロとしか動けないので、主人公も最初は馬鹿にして面白がっている。が、口の中にずらっと歯が並んでいるのが見えたなどという描写はかなり怖い。
その他にわりと面白かったのは、二人の老嬢の背筋が寒くなるような愛憎関係を描いた「愛の叫び」、窓の外でチンピラどもが騒ぎながらキャッチボールをするという直接的に不快な状況を扱いつつも微妙な結末に至る「野蛮人たち」、いくつかのモチーフが絡み合って謎めいた読後感を残す寓話的な「空っぽの巣箱」あたりだった。悪くはないが、やはりグリーンの序文を読むと長編を読みたくなる。ただし代表作である『太陽がいっぱい』は、現在入手が難しいようだ。
また、映画「キャロル」の成功もあって「太陽がいっぱい」が河出から復刊されましたので、こちらも気軽に試してみてはいかがでしょう。個人的には、ハイスミスの基準・標準となる作品だと思います。ちなみに、既にオススメしたもの以外でこの標準を上回っていると私が勝手に考えているのは、「愛しすぎた男」「殺人者の烙印」「見知らぬ乗客」「プードルの身代金」「ガラスの独房」あたりです。ハイスミスはやはり長編作家だと思います。
レビュー、いつも感心して読んでおります。バルガス=リョサやタブッキ、クンデラなど好みの作家が随分かぶっているのも嬉しい限りです。「つつましい英雄」も少し周りの評判をみてから取り寄せるか、と思っていましたが、ここでのレビュー見て即決しました。
さておき。私も「11の物語」が初ハイスミスでした。悪くはないけれど少しインパクトに欠けるかな、という印象だったのですが、そのあと長編を幾つか読んでハマりました。
ご指摘の「太陽がいっぱい=リプリー」は筆者の代表作で世評もまずまず高いのですが、個人的にはハイスミスの良質な(つまり、何とも言えぬ不快な)部分が際立っているかというと、そうでもない気がします。
それよりも、「ふくろうの叫び」あたりを、これからハイスミスに入る人にはお勧めしたいです。ハイスミスは一時ブームで結構出たのですが、いまはことごとく絶版ですね。手に入れるのが少々大変かもしれませんが、楽しめますよ。レビューをお待ちしてます!