アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

海に帰る日

2011-10-01 22:31:05 | 
『海に帰る日』 ジョン・バンヴィル   ☆☆☆

 ブッカー賞受賞作『海に帰る日』を読了。あのカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』をおさえての受賞である。かなり期待して読んだのだが、それほど良いとは思わなかった。雰囲気は悪くないけれども、そこそこだ。

 一人称「わたし」による回想系の小説である。妻を病気でなくした「わたし」はかつて住んでいた海辺の町に戻ってくる。そして過去に起こったあれこれを回想する。我が家より裕福だったグレース一家、ミセス・グレースへの性的な憧れ、グレース家の子供達=残酷なところがある姉クロエと口をきかない弟マイルス。家庭教師のローズ。「わたし」とクロエの恋愛遊戯。それからまた、結婚したあとの妻との生活のこと。癌におかされた妻アンナのこと。

 ここに、現在「わたし」が宿泊している場所の管理人ミス・Vと彼女に気があるらしい宿泊人、大佐とのやりとりも混入する。つまり「わたし」の子供時代(グレース家とのかかわり中心)、結婚時代(アンナのこと)、そして現在(ミス・Vや大佐)、と三つの時間軸があれこれと前後しつつ、緩い構成の中で回想、叙述される。基本のトーンは静謐、喪失感、物悲しさ。そういう小説だ。

 もともと、こういう小説は嫌いではない。静かな回想系の、緩い構成の、記憶の中をふわふわさまようように語られる小説。そして静かで瞑想的なトーン。『エル・スール』や『インド夜想曲』『レクイエム』などのタブッキ作品もこういう傾向だし、デュラスの『愛人』などを入れてもいいかも知れない。

 この手の小説は、とにかく読みながら雰囲気に酔えるかどうかがすべてだ。音楽と同じである。うまいことその世界に浸れれば至福、でなければ退屈。成功すれば、読者は他人の記憶の中に入り込んで甘酸っぱいノスタルジーに浸っている気分を味わえる。映像には真似のできない、これぞ読書の醍醐味だ。そして、そのために重要なのは文体である。文体がもたらすリズム、トーン、スピード、イメージの豊かさ、それらに大きく左右される。しかし残念ながら、本書におけるジョン・バンヴィルの文章はそこまで私を酔わせてはくれなかった。よく似た印象だったのが『インディアナ、インディアナ』だ。回想系であり、物悲しい雰囲気も似ていて、やはり印象が薄かった。

 ただしこれはあくまで私の好みであって、優れた文章の書き手であることは間違いない。読んでいてうまいなと思うところはあちこちにあった。それでも私にしてみれば、アデライダ・ガルシア・モラレスやタブッキの文体とは雲泥の差がある。こういうのはやっぱり相性だろう。それから私の場合、やはり物悲しさというか、「人生しみじみ哀しいね」という哀感だけではあまり面白くない。『エル・スール』にしてもタブッキにしても、場面場面に漂うムードは物悲しさであっても、作品の核心はそこにはない。必ず硬質な幻想や形而上学があって、作品を支えている。

 結局のところ、私が好きなのはやっぱり幻想小説であり、「身の上話」じゃダメという嗜好の話になってしまうのかも知れないが。


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