アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

近松物語

2007-03-27 19:17:42 | 映画
『近松物語』 溝口健二監督   ☆☆☆☆☆

 溝口健二の『近松物語』を観たくてたまらなかったが、ボックスセットでしか売っておらず、1万5千円もする。『近松物語』を観たいだけなのに、これじゃちょっと辛い。うーむ、ボックスセットが売れなくなったらバラ売りするつもりだな、この野郎。しょうがないから待つか、と思っていたところへ、フランスのxploitedcinema.comで売ってるという情報が入った。検索してみると、やはり観たかったが(別の)ボックスセットにしか入っていない『山椒大夫』とセットになってた。さすがフランス、良心的だ。ということでさっそく入手した。
 DVDのメニュー全部フランス語。まあそれはいいとして、ワイドスクリーンじゃないのが痛い。日本のボックスセットは全部ワイドスクリーンなんだろうか。結局買うことになってしまうのか。

 なんて思いながら、本篇鑑賞。圧巻の一言。『西鶴一代女』の時は微妙についていた疑問符が、見事に吹き飛ばされた。これぞ美の極致。

 しかしこの人、本当に残酷物語が好きなんだなあ。マジメで心優しい人々がどんどん不幸になっていく。駆け落ちものだとは知っていたが、最初から惚れ合った仲で駆け落ちするんじゃなく、誤解の駆け落ちが途中で本当になるという展開とは知らなかった。商家の奥方、おさんと奉公人・茂兵衛。ここの主人がスケベなじじいで、美しいおさんがいながら女中に手を出したりしている。嫌気がさしたおさんは家出、茂兵衛もおさんのために金を工面しようとして折檻されたことから、店を出る。たまたま合流した二人は不義密通の疑いで手配される。この時代、不義密通は重大犯罪。絶望した二人は琵琶湖に船を漕ぎ出し、身投げしようとする。「いまわの際なら許されるでしょう。私はずっとあなた様をお慕い申し上げておりました……」
 この茂兵衛の告白ですべてが変わる。おさんも茂兵衛を愛していた。二人は生きる決心をし、二人で絶望的な逃避行を続ける……。

 例によって緻密かつ豪奢な美術、そしてモノクロの映像美。『西鶴一代女』の時はそれほど感じなかった光と影の絶妙なハーモニーを堪能できる。能を思わせる幽玄な音楽。なるほどなあ。要は愛し合う二人が不幸になっていくというメロドラマなのだが、様式化された映像、音楽、演出のせいで凛とした気品を失わない。カメラの視線が登場人物をきっちり突き放している。

 この様式美に貫かれた残酷物語では、『西鶴一代女』もそうだったが、悪い奴はとことん悪く、卑劣漢はとことん卑劣、そして善人はとことん人がいい。いや、悪い奴でもよく見るとどこかいいところが……なんて相対主義的ヒューマニズムは微塵もない。そもそもすべての始まりは道楽者のおさんの兄がおさんに金の無心をすることから始まり、おさんと茂兵衛は逃避行先からなんとも義理堅く金を送ってくるのだが、その金に手を合わせていたこの道楽者の兄が、最終的に二人を役人に突き出すのである。いやまったくひどい。おさんの旦那のスケベ親父や番頭もひどい連中だが、映画のラストでは店がつぶれ、結局この二人も滅びることになる。

 映画の序盤で、物語とは関係ない男女の引き回しのシーンがあり、茂兵衛はそれを見て「道に外れたことはしてはいけない」と言う。そして最後、縄を打たれたおさんと茂兵衛が同じように引き回されるシーンで映画は終わる。この構成は『アンナ・カレーニナ』と同じ、ミラン・クンデラいうところの音楽的な手法で、見事な効果を上げている(『アンナ・カレーニナ』では前半に鉄道自殺があり、最後アンナは鉄道自殺をする)。この最後の引き回しのシーンで、二人の手がしっかりと握り合わされているのが胸を打つ。 

 おさんの香川京子が美しい。最初はお歯黒をしていて香川京子だと分からなかったが、逃避行をして乱れ髪になるほどに美しく、可憐になっていくのがすごい。茂兵衛の長谷川一夫は当時の二枚目スターらしいが、たしかに中性的な、歌舞伎役者っぽい美男だ。流し目がスケベである。あんまり店の奉公人って感じじゃない。ミスキャストかも知れないが、様式美のこの映画ではそれも許されるわけだ。

 この映画で「世界のミゾグチ」の称号がきっちり納得できた。それにしても、昔の日本映画って凄かったんだな。


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