アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

警視庁草紙

2015-01-16 21:46:16 | 
『警視庁草紙(上・下)』 山田風太郎   ☆☆☆☆★

 山田風太郎の「明治もの」を再読。私はこれまで風太郎の忍法帖はたくさん読んだが、明治ものはまだこれしか読んでいない。他にどんな作家がこの時代を舞台にした小説を書いているか知らないが、少なくとも私はほとんど読んだことがなく、従って非常に風変わりな小説に思える。ユニークさの理由は主に明治時代独特の和洋折衷ムード、時代劇と現代劇のあいのこみたいなストーリー、そして歴史上実在した人物が大量に登場して交錯するという趣向、である。

 本書に登場する実在の人物とは、たとえば西郷隆盛、川路利良、元新撰組の斉藤一、山岡鉄舟、清水の次郎長、夏目漱石、東条英機、毒婦お伝などで、はっきり言って数え切れない。まあメインキャラとして活躍するのは西郷隆盛や川路利良など一部で、他はほんのちょっとのカメオ出演が多いが、思わぬところで思わぬ人が関係していたり、その後の歴史の展開を踏まえた注釈をつけてあったりして面白い。それにしても、これだけの人物とエピソードを遊び心をもって自在に関連づけていく山田風太郎の教養と博識は、空恐ろしくなるレベルという他ない。おそらく本書のこういう趣向はこの時代の歴史に詳しい人ほど愉しめるはずで、逆にそうでない読者はこの小説の凄さが充分には理解できないのではないかと思う。残念ながら私にはそれだけの知識と教養がないので、本書の凄さを充分に賞味するに至っていない。

 とはいうものの、本書はあくまで上質のエンターテインメントであって、歴史の知識がないと面白くない類のお高くとまった小説ではない。基本的な設定は「ご隠居」こと元江戸南町奉行・駒井相模守、元同心にして芸者のヒモにして若き剣客・千羽兵四郎、元十手持ちのかん八、兵四郎の恋人・お蝶、巾着斬りの吉五郎、などがチームとなって、「明治のフーシェ」とたとえられる川路大警視率いる警視庁に挑む、計略の数々を描いたものである。計略といっても別に犯罪を企むのではなく基本的には人助けで、たとえば捕らえられた女郎たちを牢から救い出すとか、無実の罪で断首されそうになった男を助けるとか、そういう類である。もちろん違法には違いなく、頼み人はあるにしてもやはり彼らの内にある「警視庁を、ひいては明治政府をからかってやろう」という諧謔精神が、すべてのモチベーションになっている。

 要するに、ご隠居や千羽兵四郎のところに持ち込まれる相談ごとをどうやって解決するかというミッション・インポシブル的エピソードの連鎖であり、中には密室殺人の謎解きなどミステリ的なエピソードも含まれている。

 この中に実在の歴史上の人物が絡んでくる面白さのは前述の通りだが、山田風太郎が創造した魅力的な架空キャラももちろん負けずに活躍する。特に印象に残っているのは、盲目の元徳川家お庭番のエピソードや、番外編的に語られる「巾着斬りの吉五郎」の島流しと春画のエピソードである。盲目の元徳川家お庭番のエピソードはその「必殺シリーズ」を思わせる哀しみと、悲惨と、勧善懲悪の結末に涙し、吉五郎島流しエピソードではその奔放と荒唐無稽とすさまじい色欲描写に笑いながら唖然となる。

 さて、こうしたエピソードが連なる前半は痛快な冒険譚であり時にコミカルですらあるけれども、中盤から後半になるにつれ徐々に哀感と悲愴感が増し、ついには美しく壮大で、かつ哀しく、なんともいえない嫋嫋たる余韻をたなびかせる見事なラストに至る。私たちは本書を読み進むことでレギュラー陣であるご隠居、兵四郎、お蝶たちを愛するようになるので、いつまでもこの愛すべきチームの稚気溢れる活躍を見ていたいと願うのだが、激動の時代はそれを許さない。彼らもまた、時代の波に押し流されてゆかざるを得ないのだ。人の世は無常であり、戦いは決して止むことがない。そして歴史は、戦いの中に死に甲斐を見つける男たちと、それを見送る女たちを呑みこみながら、悠々と、河のように流れていく。

 先に時代劇と現代劇のあいのこのようなストーリーと書いたが、たとえば兵四郎が剣をもって悪漢どもをなぎ倒すチャンバラはまさに痛快な時代劇で、元新撰組・斉藤一が兵四郎と対立する警視庁側にいるのもスリリングだ。こうしたアクション面のかっこよさを兵四郎が担当しているとすれば、チームのプランナーとして、また時代を見切る叡智としての役割を持つのがご隠居である。ご隠居はもと江戸幕府の奉行で、つまり明治維新で役職を失った人物だが、奉行所の跡近くに小さな庵を作ってそこに住んでいる人を喰った爺さんで、「この人の夫を牢から助け出してあげて!」なんていうお蝶の依頼に兵四郎が「そんな無茶な」と閉口していると「面白いからやってみろ」とけしかけたりする。マジメ一徹ではなく茶目っ気があり、いつも飄々としているが、その実、世間の裏表を知り尽くしている。なんとも頼もしく、かっこいいじいさんなのである。こんな年寄りになれたらどんなにすてきだろう。

 こういう魅力たっぷりのストーリーに、大気球、テレグラフ、汽船など、文明開化時代のエキゾチックな香りもスパイスとして振りかけられて、この美食家向けの一品『警視庁草紙』は出来上がっている。荒唐無稽度は忍法帖より控えめなので、忍法帖はちょっとケバケバし過ぎるという人におススメだ。もちろん私のような忍法帖ファンも、風太郎のまた違う魅力を発見して感嘆することになるだろう。彼は他にもたくさん「明治もの」を書いているようなので、これから他のものも読んでみたいと思っている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿