アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

妖魔の森の家

2011-08-25 23:44:56 | 
『妖魔の森の家』 ジョン・ディクスン・カー   ☆☆☆

 カーの短編集を読了。私はエラリー・クイーン、アガサ・クリスティー、ヴァン・ダインあたりは主なところは大体読んでいるが、カーはあんまり読んでいない。というか、「火刑法廷」とか「三つの棺」とか「皇帝の嗅ぎ煙草入れ」とかそれなりに10代の頃に読んだはずだが、内容を全然覚えていない。ということは面白くなかったのだろうが、人気がある作家さんなのでどうも不思議だ。まあ、趣味が合わないということだろう。

 本書は短編集だが、タイトルになっている「妖魔の森の家」はミステリ短編の大傑作と評されている。アマゾンの紹介文には「けだしポオ以降の短編推理小説史上のベスト・テンにはいる名品であろう」とあるし、カスタマー・レビューでも絶賛の嵐だ。クイーンもこの短編のフェアプレイぶりを激賞したそうな。へえーそんなにすごいのか、と思って購入した。

 読んでみると、まあ、確かによく出来ている。カーは密室ものばかりを書く作家だがこれも密室もので、扉に内側から鍵のかかった屋敷から一人の女が忽然と消失する。くしくも彼女は少女時代に同じように屋敷から忽然と消失し、また忽然と現れたという事件を起こしていた。これをメルヴィル卿が解決するのだが、解決は無理なく筋が通っているし、何よりも解決への手がかりがあちこちにばらまかれている。クイーンが賞賛しているのもこれで、確かに読み返すとここにチラ、あっちにチラと真相をほのめかす描写がある。

 個人的に感心したのは、カーのミスディレクションのうまさである。これは本書の他の短編を読んでも思ったことだが、そもそも密室のトリックなどというものはパターンが限られており、もうすっかり分類され尽くしている。だからそれを知っていれば大体分かりそうなものだが、それでもなかなか分からないのはそこに作家のミスディレクションが加わるからだ。この「妖魔の森の家」も、最初からこれこれの状況で女が消えた、さてトリックはなんでしょう、という問題の出し方をすれば大体の人は見当がつくんじゃないかと思うが、物語形式でだんだんと情報を提供されることで、ある先入観を持つように誘導されてしまう。この短編で言うと、少女時代の失踪事件がポイントだ。あれのせいで読者は、ある根本的な思い違いをしてしまう。

 という風になかなかよく出来ているとは思ったが、やはりそこまですごいとは思えなかった。確かに不可能犯罪がきれいに解明されるのは手品の種明かしを見ている気分になるが、しかし手品の種明かしというのは実はそれほど面白いものではない。なあーんだ、とがっかりしてしまうこともある。この短編も「なるほどね」とは思うが、だからなんなのかという気がしないでもない。個人的な嗜好かも知れないが、私は「これは実はこうでした」と説明されても面白くないのである。よっぽど驚天動地の真相ならともかく、当てずっぽう推理じゃつまらない。やはり、なぜそういう結論が出てくるかというロジックが欲しい。メルヴィル卿の説明にはそれが欠けている。
 
 あと思ったのは、ピクニックから戻る時にメルヴィル卿がある異変に気づかないのは不自然じゃないだろうか。

 他の収録作にもちょっと触れると、「ある密室」はその名の通り密室もので、解決を読むと「ああ、そのパターンだったのか」と思うが、ちょっと卑怯なミスディレクションが使ってある。そんなに都合よくそんなことが起きるか、みたいな。

 中篇「第三の銃弾」はやはり不可能犯罪で、やたら込み入っている。はなれの中に被害者がいて、そこへ殺意を持った青年が走りこみ、それを追って二人の刑事が駆けつける(この時点で部屋は密室)。銃声が二発響く。刑事がとびこむと、被害者は撃たれて死に、青年は拳銃を持ったまま呆然と立っている。青年は逮捕される。調査の結果、部屋の中からもう一丁の拳銃が見つかる。青年の持っていた拳銃の弾は外れているので、もう一丁の銃で殺されたに違いない。しかし、この銃は誰が撃ったのか(機械仕掛けではありえない)。ところが更なる調査の結果、被害者を殺したのはそのどちらでもない、第三の銃から発射された弾だと分かる。第三の銃はどこにあるのか。誰が撃ったのか。どうやって密室を抜け出したのか。もう一発の弾はどこへ消えたのか。

 やたら込み入っているので、これを解決するなんて不可能に思えてくるが、やっぱり最後にはちゃんと解決する。トリックは多少の不自然さはあるものの、言われてみればそうだな、というあっけないものである。 

 やはり私にとっては、トリックよりロジックの方が重要だということを再認識した。



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