アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

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男はつらいよ フーテンの寅

2011-04-29 21:54:47 | 映画
『男はつらいよ フーテンの寅』 森崎東監督   ☆☆☆★

 シリーズ三作目を観た。まったくの初見である。これは山田洋次が監督しなかった『男はつらいよ』二作品の一つで、もう一つは四作目の『新・男はつらいよ』なのだが、そのせいかあまり人気がなく、やっぱり山田洋次作品より落ちるのかなと思ってこれまで敬遠していた。

 ところが実際観てみると、決して悪くない。確かに山田作品とは微妙に肌合いが違うし、独特のアクというか野暮ったさはあるけれども、それを補う長所もちゃんとある。それにいつものパターンとは違うストーリー展開や数々のお約束場面の不在などがファンの違和感を誘うのだろうが、それはそれと割り切って観れば逆に新鮮だ。

 まずいつもと違うのは構成。とらやが出てくるのは最初と最後だけで、あとはずっと寅が番頭をやっている旅館が舞台となる。つまり寅は旅館でマドンナに恋をし、騒動を起こし、やがてふられる。そして旅館を去るが、それでもとらやには帰らない。そのまま旅ガラスとなってしまうのである。山田洋次作品の寅はやたら柴又に帰っている印象があるが、そもそも寅は一年のほとんどを旅の空に過しているわけで、とらやでゴロゴロしているのは例外なのだ。そういう意味で、今回の寅こそが普段の寅の姿と考えられる。だから今回、マドンナ・お志津(新珠三千代)は一切とらやを訪問しない。マドンナがとらやを訪問してその暖かさに触れて感動するとか、マドンナをまじえたとらやの団欒とかの定番シーンがないのである。もちろんさくらとマドンナの絡みもないし、タコ社長がマドンナの美人ぶりに感心したり、寅をからかって喧嘩になるなんてシーンもない。

 しかしながら、名場面は多い。冒頭、寅は柴又に帰って来て、タコ社長のつてでお見合いをすることになるが、その前夜おいちゃんに「どんな女が好みなんだい」と聞かれ、寅が「いや、好みなんてものはないよ、まあ強いて言えば…」と喋る「花嫁の条件」。これは名場面だ。好みはないと言いながらムシのいい注文がぞろぞろ出てくるのだが、酒は人肌じゃなくちゃダメとか、空になったお銚子を置くか置かないかのタイミングですっと次が出てくるのが大事だとか、酒が入って上気した寅の喋りはまさに名調子で、渥美清の至芸を見る思いだ。ただおかしいだけじゃなく、聞き惚れてしまう。

 翌日お見合いでカチンカチンに緊張している寅もおかしいが、見合いの相手が知り合いの女だと分かり、結局女と逃げた亭主の仲を取り持つハメになる。とらやで大宴会を開いて勘定を全部おいちゃんに回してしまったことでおいちゃん達の怒りが爆発し、大喧嘩の末にとらやを飛び出す、という流れになる。

 この喧嘩場面もかなり変則で、まずここまで一切さくらが登場しない。博はいるがさくらがいないのである。そして喧嘩になって寅を殴るのは博だし、しまいには博が寅の腕をねじって抑えつけてしまう。山田作品においてとらやの喧嘩は決してここまで生々しくはならない。

 そして次の場面で初めてさくら登場。朝霧の漂う荒川の土手で「お兄ちゃんは悪いことしたわけじゃないんだものね」と寅に優しく声をかける。荒々しい前場面との対比もあって、この場面はしっとりと癒しに満ちている。この場面のさくらはまるで菩薩のようだ。朝霧のせいで夢見るような雰囲気が漂うこの場面で寅は旅立っていき、(この作品の中では)もう二度と柴又には帰ってこない。とらやの場面にさくらがいないのは寂しかったが、この場面との対比で考えると効果的であり、そのためこれはさくらと寅の関係性をひときわ美しく表現した名場面となったと思う。寅を見送りながらさくらと博がそっと手をつなぐのも、妙に心に残る。

 それから寅は旅先で旅館の女将・お志津に惚れて番頭になり、やがてふられるわけだが、失恋の経緯もいい。お志津が結婚することになったと、旅館の女中(野村昭子)が寅に告げることになる。女中はたとえ話をして寅にお志津を諦めさせようとするが、寅はさっぱり気がつかず「そのバカにおれが言ってやろうか」なんて言い出す(このギャグは『純情篇』でも使われていた)。が、ようやく気づいてショックを受ける。そこに左卜全の「バカはお前よ」でトドメを刺される。この場面は野村昭子と左卜全の連携プレーが見事。

 寅がお志津に最後の別れを言いに来る場面も名場面。寅は障子ごしに「何も仰らねえで下さい」と言ってお志津に別れを告げるのだが、部屋の中で聞いているのは旅館の使用人たち(野村昭子と左卜全含む)なのである。寅が去った後、みんなは無言で顔を上げる。これも滑稽さと哀しさがないまぜになった実にいい場面だった。
 
 そしてなんといっても最後、再びとらやのシーン。大晦日にとらやの面々がテレビを見ていると、なんと寅が映る。寅はインタビュアーに向かって、女房と子供がいるふりをして調子がいいことを喋る。おいちゃんはそれを観ながら、そんなものどこにいるんだ、あのバカ、と言って涙を流すのである。
 
 ところでこの作品では途中ずっととらやが出てこないため、かわりに旅館の中で寅を取り巻く擬似家族的関係が形成される。構成員はもちろん新珠三千代をはじめ野村昭子、左卜全、そして若い娘である。ここに寅が加わった時のケミストリーもなかなかのもので、本作の魅力の一つになっていると思う。特に左卜全がとてもいい。あの「バカはお前よ」の一言で終盤がしまること。

 ところでサブエピソードとして寅が染奴と信夫(お志津の弟)の仲を取り持つエピソードがあるが、いつもと違って寅の介入が成功する。いつもダメにしてしまうのに、これは珍しい。二人の前で染奴の父親の気持ちを代弁してあげるあたりはなかなかかっこいい。が、信夫役の河原崎建三(『新必殺仕置人』の死神である)はどうもぎこちなくていただけない。このサブエピソードはいまいちだ。

 ところで今回、新珠三千代のお志津は寅の気持ちにちゃんと気づいている。気づいているからこそ自分では言えずに野村昭子に頼んでしまうのだが、山田洋次監督の「決して寅の気持ちに気づかないマドンナ」を見慣れていると新鮮である。だからお志津はまったく寅に対する気持ちはないにしても、去っていく寅の姿を車の中から見かけた時、顔を伏せて複雑な表情をする。この表情があるだけで、どこか寅の失恋にも救いがあるような気がするのは私だけだろうか。

 本作は確かにとらやの面々の登場場面が少なく、さくらもあまり出てこない。旅先の寅の孤軍奮闘を描いた一篇という趣きだ。しかしだからこそ、渡世人・寅次郎を大きくクローズアップした作品ということができる。山田洋次作品のフォーマットにこだわりさえしなければ、充分見ごたえのある佳作である。

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