アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

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充たされざる者

2011-04-27 00:05:49 | 
『充たされざる者』 カズオ・イシグロ   ☆☆☆☆☆

 『日の名残り』に続き『充たされざる者』を読了。

 これはまた全然タイプが違う。とても奇妙な小説である。現代文学には「奇妙」といわれる作品も多いが、そんな中でもとびきり奇妙だ。少なくとも私はこれと似た感じの小説を読んだことがない。あえていえばカフカに似ている。不条理な展開、迷宮的なストーリー、堂々巡り。登場人物がやたら長広舌をふるう、というようなところも似ている。しかし例えばプッツァーティやカリンティがカフカに似ている、というような意味とは全然違う。不条理小説の怖さや寓意性は薄く、おかしさが先に立っている。おまけにそのおかしさもわざと不徹底な、微妙なものにとどめられている。そのせいで、パーツパーツはカフカに似ているとしても全体の印象としては相当異質なものになっている。これは非常にユニークな、これまで誰もやらなかったような形でのカフカの解釈なのかも知れない。

 あとがきによれば本書は賛否両論で、傑作だという人もいれば退屈と言う人もいるそうだが、私は面白かった。最初しばらくは戸惑ったが、それは読み方のルールが他の小説と違うからだ。これまでの読書体験があまり役に立たないのである。これはこういうことだろうとか、こうなるだろうとか、この小説の愉しみ方を予測してはいけない。そうすると多分、わけわからなくなってしまう。身をゆだね、虚心に読むしかないのである。

 主人公は有名なピアニストのライダーで、ある町で行われる「木曜の夕べ」のためにやってくる。スケジュールは一杯で忙しいはずなのに、予定はよく分からず、町の人々からヘンな相談や個人的な頼みごとばかり持ち込まれ、その対応で忙殺される。おまけに初めての町なのに、どういうわけか幼なじみや妻や子供までいる。というか、ある母子が初対面のはずなのに妻や子供のように振る舞い始めるのだが、ライダーもそういう対応をする。何がどうなっているのか分からない。

 ヘンなのは人々の行動だけでなく、叙述法もおかしい。基本的に「わたし」というライダーの一人称で書かれているはずなのに、ライダーがいない場所の出来事や、他人の過去や心境まで平然と記述される。

 これがコメディなのかどうかも、長いこと判断がつかなかった。ユーモアが随分と微妙なのである。たとえばライダーが映画館に入ると『2001年宇宙の旅』をやっているが、それにクリント・イーストウッドとユル・ブレンナーが出演している。こう書くとギャグとしか思えないだろうが、実際の書き方は非常に淡々としているので、ライダーの記憶違いなのか、ひょっとしたらイシグロが勘違いしてまじめに書いているのか、とすら思えてしまうほどにオフビートなのである。

 が、読み進めるとこれは他に類を見ないユニークなコメディである、あるいはコメディの側面があることが分かってくる。ケッサクな場面はたくさんあって、たとえばライダーが幼なじみの女性の友人宅を訪問する場面。友人の女性二人はとにかくライダーを崇拝していて、ライダーともうちょっとで会えるところだったということを誇らしげに自慢するが、目の前にいるのがライダーであることに気づかない。そして、ライダーと親しいと主張する幼なじみの女性の言葉を信じず、嘲笑する。ライダーは会話の途中で何度も名乗ろうとするが、女性たちの長広舌に邪魔されたり、咳き込んだりしてどうしてもそれができない。その様子を見て女性たちは「お友だちは大丈夫なの?」などと言い、またライダーの話を続けるのである。

 それから例えばライダーが記者とカメラマンに会う場面。ライダーが挨拶してもぞんざいに会釈するだけで、二人だけの打ち合わせを続ける。「とにかくおだてることだ」「奴はうぬぼれてるからな」などと、ライダーの扱い方をライダーの目の前で打ち合わせるのである。やがて打ち合わせが終わると二人はライダーの方を向き、突然愛想よくなり、打ち合わせ通りにライダーをおだて始める。

 微妙なユーモアが多いが、いくつかの場面では爆笑できる。たとえば後半、「木曜の夕べ」の責任者であるホフマンは奇妙な動作を一人で練習している。ライダーは何度かそれを目撃するが、意味が分からない。そしてある場面で突然その意味が分かる。読者はあまりのことに突発的な爆笑の発作に見舞われるだろう。電車の中で読む時は要注意だ。

 こうしたコメディ的愉しみの他に、ライダーの家族として振舞うゾフィーとボリスの親子や、ピアニスト志望のホフマンの息子に向けられたライダーの複雑な心情が小説の陰影を増している。ライダーの両親に対する思いも、さりげないながらも胸を打つ。

 しかし一回読んでも、一体これはどういう小説なのかよく分からない。ただ上のようなディテールを面白がっていればいいのか。作者は何をしたいのか。全篇に漂うこの居心地の悪さ、座りの悪さは何なのか。他のいかなる小説とも異質と感じさせる、この尋常ならざる異物感は何なのか。

 小説の「型」はもう大体分かった、と思っている人はこれを読んでみるといいかも知れない。

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