アブソリュート・エゴ・レビュー

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天空の舟―小説・伊尹伝

2016-08-08 21:59:31 | 
『天空の舟―小説・伊尹伝』 宮城谷昌光   ☆☆☆★

 短篇集が面白かったため、今度は宮城谷昌光の長編を入手した。伊尹は「いいん」と読む。中国古代、夏王朝が滅んで商王朝が興る時期を背景に、商の名宰相と言われた人物・伊尹の生涯を描く小説だが、この頃の文献や詳しい資料はほとんど残っていないため、物語のディテールはほとんど著者の想像によるものらしい。尚、主人公の伊尹は本篇中では大体「摯(し)」と呼ばれている。この時代は名前のルールも色々難しいようで、小説のあちこちでさりげなく注釈がつくが、そういう蘊蓄もまた愉しい。

 時代は悠久の昔、神話の時代である。王侯は神のごとく君臨し、民は王にかしずく。祭政一致の言葉通り王は神の声を聞く司祭でもあり、儀式や宗教が重んじられる。人々の間には呪いや神罰への怖れがきわめて現実的なものとして存在する。そんな時代に一つの王朝が滅び、新たな王朝が興る。まさに天の入れ替わりを見るような、これはそういう物語である。主人公の摯は大洪水とともに生まれ、母の手によって桑の木の中に入れて流される。そして別の国の君主の娘によって、桑の木の中から拾われる。彼は自然の声を聞くことができ、それによってこれから起きることを予言する能力を持つ。摯は料理人として育てられ、たちまち神童ぶりを発揮する。一人前の料理人にとっても難しいとされる牛の解体を、王の眼前で瞬時にやってのけるである。そして彼の異能に目をつけた王の側近によって王宮に入り、身分の低さにもかかわらず、摯の名前は王侯貴族の間で知られるようになっていく…。

 このあらすじからも分かるように、物語の序盤は特に神話の色が濃く、伝奇小説的である。大洪水。一瞬にして牛を割く神童の技。予言。そして、美しい姫=后女の登場。しかしこの伝奇小説色は後半にいくにつれ薄くなり、次第に国と国の戦争、謀略、権力者たちの駆け引きを描く歴史小説の色が濃くなっていく。私はこの荒唐無稽かつ幻想味たっぷりの序盤が好きで、逆に「偉人伝」色が濃くなる後半はさして印象に残らなかった。権力者たちの個性や多面的な人間像などよく描かれていて、後半も歴史小説としては良い出来だと思うが、物語としてのロマンの香りは序盤の方がはるかに強い。

 特に、お互いにひそかな恋情を抱いている若い摯と后女が、国を滅亡から救うために夜をついて夏の陣中深く忍び込み、横暴な王に面会する場面がなんとも素晴らしい。個人的にはこのシーンが本書のハイライトである。后女は男装していて、最初は誰も彼女が女とは気づかない。王はすでに全員の首を刎ねるつもりで残忍な笑いを浮かべている。摯は言葉巧みに会話を誘導し、一人の女を献上する対価として国を救うことを王に求める。そして、無関心というより嘲笑気味だった王に、一国の命運がかかった一言を言わせることに成功する。「どこに女がいる? 見せてみよ」そして摯がめぐらした幕の中で、后女は女の姿に変わる。幕が下ろされた時、そこに忽然と出現するのは息をのむほどに美しい后女の姿。一同の目が驚愕に見開かれる。この瞬間、国は救われる。

 しかし、当然これによって后女は夏王の妾とならなければならず、摯とは離れ離れになる。摯はその後新興勢力の商の王、湯に気に入られ臣下となり、そこから商が夏王朝を討つまで叙事詩的な物語は展開していくが、摯の心の中に常に棲み続けるのは若くして離れ離れになった后女の姿である。この悲恋と切ない感傷が、この雄渾な叙事詩的物語に嫋々とたなびく抒情性をもたらしている。

 ただ、摯と后女は最終的にもうひと絡みあるだろうと期待していたのだが、そうはならなかったのが残念だった。后女の胸中とその後の思いは、読者が想像するしかない。

 ただし、小説全体から見るとこの摯と后女のエピソードはほんの一部であり、若き日のエピソードの一つというに過ぎない。あくまでメインは、摯と商の王、そして夏の王たちの宿命的な因縁であり、歴史の変転である。そんなわけで、伝奇小説を歴史小説より好む私は短篇集『沈黙の王』の方が好みだったが、英雄たちを描く歴史小説が好きな人は十分愉しめるだろう。



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