アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

恐怖の存在

2007-11-01 21:29:44 | 
『恐怖の存在(上・下)』 マイクル・クライトン   ☆☆☆

 クライトンの小説を文庫で購入。今回のテーマは地球温暖化である。環境テロリストとそれを食い止めようとする人々の戦い。薄っぺらいアクション。ステレオタイプのキャラクター達。スラスラ読めるが、はっきりいって小説としては駄作だと思う。少なくとも人に勧めることはできない。しかし、地球温暖化や環境保護について例によって登場人物が(クライトンの代弁者となって)さまざまな知見を披露するが、その部分は非常に面白く、勉強になった。この小説の価値はそこにある、そしてそこ以外にはない。

 クライトンははっきりと、いわゆる「地球温暖化」説に疑義を呈している。いわゆる「地球温暖化」は存在しないか、存在するとしても原因はもちろん事象そのものについてもはっきりしたことは何も分からない段階であり、陸地が沈むとか気温が大幅に上昇するとか異常気象が壊滅的な猛威をふるうとか、そういう恐怖を煽るような言説には何らかの政治的な意図が隠されている可能性がある、という。いわゆる「地球温暖化」説、と括弧付きで書くのは、19世紀半ばから地球の気温が上昇している事実はクライトンも明白に認めているからだ。けれども彼は、この原因がどこまで人間の活動によるものであるかは誰にもわからない、という立場だ。また百年後の気温上昇幅は1℃以下だろう、とも書いている。

 これを読んで私はたまげた。例の『不都合な真実』のビデオを観ていたこともあり、何とかしないともうすぐ氷河は全部溶けてなくなり、オランダは海に沈むと思っていたからだ。この小説のキャラクターでいうと、主人公の弁護士エヴァンズと同じような認識だった。小説はこのエヴァンズに、政府機関のエージェントであり教授でもあるジョン・ケナーが科学に裏打ちされた実態を解き明かしていく、という形を取っている。もちろんこれは読者に分かりやすく解説するためのクライトンの方便である。

 クライトンの主張、というか、彼が地球温暖化及び環境問題を勉強して至った結論は、ご親切にも巻末に要約して記載されている。これを読めば言いたいことがはっきり分かるという寸法だ。「作者からのメッセージ」で「結論」が箇条書きで記載され、「付録1 政治の道具にされた科学が危険なのはなぜか」で、いわゆる「地球温暖化」説の語られ方に彼が見る危険性をエッセー風に書いている。後者で彼は優生学を引き合いに出して語るが、これは実に見事なエッセーだった。私は「地球温暖化」説の現状がどうなっているのか良く知らず、従ってこのトピックに関する彼の見解が正しいかどうか判断できないが、少なくともクライトンがこのエッセーで語っていることには完全に共感できる。

 クライトンの主張は要するに「先入観を排し、科学的に判断しよう」ということであって、「地球温暖化」説はまだ仮説(しかもかなり根拠薄弱な)でしかない、ということだ。だから本書を読む限り彼の主張はしごくまっとうに思える。やがて研究が進んでやっぱり「地球温暖化」説は正しかった、となるかも知れないが、そうなってもここでクライトンが書いていることが否定されるわけではない。コンピューターのシミュレーションはうさんくさいものであり、根拠にはならないなんて書かれたあたりもうなずける。よく考えてみれば当たり前だが、コンピューターのシミュレーションによれば、なんていってグラフを見せられるとつい信用してしまうようなところがみんなあるんじゃないだろうか。

 そういう本なので、本書のストーリー、キャラクターは完全に議論を展開するための道具と化している。小説としてはひどい出来なのはそのためだ。導入部は世界のあちこちの色んな人物の行動がちょっとずつ思わせぶりに語られるが、わけが分からずまどろっこしいだけで全然効果的ではない。私としては巻末のエッセーが一番面白かった。本書全体を小説じゃなくてノンフィクションかエッセーにしてくれたらよかったのに、と思ってしまう。

 しかし本書の刊行は2004年なので、その後研究が進んで新しい発見があったということもあり得る。2004年当時より今の方が更に「地球温暖化」の危機が叫ばれているような気がするが、実際のところどうなんだろう。ここでクライトンが主張しているように、科学的に立証されたのだろうか。


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