現在の板橋にある東京都健康長寿医療センターの前身は渋沢栄一も関わった東京養育院で明治5年に設立されていますが、その設立資金は江戸時代の寛政の改革に手腕を発揮した時の老中松平定信が考案した救貧対策の七分積金でした。救貧対策の資金は江戸時代の寛政年間から明治・大正・昭和そして平成へと引き継がれています。しかしその道のりは大変厳しいものでした。江戸から明治へ変わる時も七分積金の取り扱いについて明治政府も財政上、運用上の問題から東京養育院への運用に難儀を示しましたし東京都の財政上の理由から何度も東京養育院の閉鎖が検討されてきました。難しい局面を乗り越えられたのも、そこに志ある旧幕臣の大久保一翁や渋沢栄一がいたからです。お金よりも人物の志が救貧対策を受け継いできたのです。
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