幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ヒトラーと哲学者」 イヴォンヌ・シェラット著 ”ヒトラーに協力した哲学者”

2015-05-26 01:41:11 | 本の紹介
ヒトラーが600万人とも言われるユダヤ人たちを殺害しました。
そこに至るには、思想的にユダヤ人を迫害する思想を持つ哲学者たちがいた。

本より;
カント「ユダヤ人には独立した存在として権利を与えられない」と主張した。
ヨーハン・ゴットリープ・フィヒテ
「私にはユダヤインに公民としての権利を与える方法がまったく見当たらない。
ひょっとして誰かが連中の頭を全部叩き切って、新しいものと取り換えるというのなら別だ。
その中にはユダヤ教的な考えがひとかけらもないような新しい頭だ」
ヘーゲル「他の神々に寛容になれないのが、ユダヤ人だけの民族的な神なのだ。この民族の厳しい神はそれほど嫉妬深い」
ゴットロープ・フレーゲ「ドイツのユダヤ人が『いなくなる、あるいはむしろドイツから消えてくれたらいい』という願望に共感し、それを表明し始める」

協力者
ローゼンベルク「大量虐殺を承認することに結びついていった」
ナチ党の主席人種理論学者と認められた。

アルフレー・ボイムラー「ヒトラーのため、ベルリン大学に政治教育研究所を設立した」
「ドイツ文化による反ユダヤ人闘争同盟」設立。激烈にヒトラーを支持する側に立った。
ローゼンベルクの右腕 大学ナチ化の中心的存在へ。ベルリン大学の哲学教授に。
エルンスト・クリーク「ユダヤ人が信仰生活に及ぼしている影響を根絶すること」
ローゼンベルク第二の腹心。

ヒトラーが権力を掌握した後の1年間でドイツ全土の何百、何千ものユダヤ系学者が職場を追われた。

ヒトラーを支えた方哲学者 カール・シュミット ベルリン大学教授
「私は、アドルフ・ヒトラー総統が『我が闘争』の中でユダヤ人問題について書かれたすべての言葉、とりわけユダヤ的弁証法に関する総統の所説がもっとも読まれるべきとを、声を大にして叫びたい」

ヒトラーの超人 マルチィン・ハイデガー
「ヒトラーを理想的なものとして描き、ヒトラーを礼賛した」
ヒトラーが首相に選出されてから直ぐに、ハイデガーはフライブルク大学の総長になることを承認された。
ユダヤ人を迫害するヒトラーを支援している一方、ユダヤ人の学生だった少女を愛人としていた。

ヒトラーの対抗者
悲劇 ヴァルター・ベンヤミン
「ナチ哲学者に懸念を言葉にした」
ゲシュタポが部屋に踏み込んで来て、ついに毒を「自己解放」の秘薬をあおり亡くなった。

殉教者 クルト・フーバー
学生たちに行動を起こすビラを撒いた。
女子学生諸君! 男子学生諸君! われわれにとって、合言葉はただ一つ。
党と戦え! われわれになおも政治的発言を禁じて、黙させようとする党組織を離脱せよ!
捕えられて処刑された。

戦後、ヒトラーに協力した哲学者は“同調者“という責任が低い位置づけになり、何年かの刑務所の後、自由になった。

感想;
哲学者たちも、権力にすり寄る人、自分の信念を貫く人、さまざまでした。
自分の信念を貫く人はいのちを失うリスクもありました。

ユダヤ人を迫害する思想の理由をヒトラーに与えたり、積極的にヒトラーに協力して迫害を結果的に支援してしまいました。

ヒトラーを産んだ当時の社会情勢、特に高い若者の失業率が社会不安を引き起こしました。
ドイツ人もまさかヒトラーが戦争に走り、ユダヤ人たちを600万人に殺すとは想像だにしなかったと思います。
気が付いた時には、止めることができなくなり、止めようと発言すると殺害されるようになっていました。
ドイツではその反省を自ら行っているそうです。












岩手大学 ”なんじゃもんじゃの木” ”宮沢賢治”

2015-05-25 02:40:50 | 笑顔
岩手大学でセミナーがあり、参加してきました。
なんじゃもんじゃの木が満開でした。初めて実物を見ました。
盛岡と聞くと、石川啄木、宮沢賢治、小岩井農場が浮かびます。
宮沢賢治は岩手大学の前身の一つ、農林高等学校を卒業しています。
ちょうど、宮沢賢治展を行っていて見学しました。
宮沢賢治は石に興味を持っていたようで、石の展示もされていました。
岩手山がきれいでした。








「他人を支配する黒すぎる心理術」 ”笑顔の力 AKB48 前田敦子さんの笑顔”

2015-05-24 03:46:35 | 本の紹介
笑顔は周りの人を明るくすると言います。
仏教の七施の一つに眼施と和顔施がありこれは笑顔でもあります。
意識して口角を少し上げるだけで笑顔になります。
笑顔をすると身体が勘違いして、幸せなホルモンを分泌してくれるそうです。
周りを幸せにするだけでなく、自分も幸せにしてくれるようです。

本「他人を支配する黒すぎる心理術」に笑顔の箇所がありました。

元AKB48の前田敦子さんはオーディションのとき、とても緊張していて歌い終わったときの表情が暗かったそうです。
しかし、質問の最後にニコッと笑った顔がすごくかわいかったとか。
彼女の笑顔は審査員をとりこにし、その笑顔のひとつでオーディションに合格したのです。
そしてご存知のとおり、前田さんは国民的アイドルグループと呼ばれるAKB48で一番の人気者になりました。
魅力的な笑顔を持っているというのはひとつの才能にすら値するのかもしれません。

笑顔のパワーについては、心理学の実験でも明らかにされています。
イギリス・アバディーン大学のリンデン・マイルズ博士は、男女3人ずつのモデルの写真を用意し、それを被験者である男女40人に見せて、反応を調べました。
その結果、写真の顔が笑顔だった場合、写真の顔が無表情だったときの20倍も写真への注目度が高かったのです。
このように、笑顔には人を惹き付ける効果があるわけです。
また笑顔はその人だけでなく、まわりにも伝搬していくものです。

仏教の七施
http://www.hokkeshu.jp/houwa/031.html

一、眼施(慈眼施)
 慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)
 ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)
 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。
 人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)
 わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。

他人を支配する黒すぎる心理術 "人とのコミュニケーションを上手くする方法”

2015-05-23 00:40:00 | 本の紹介

「ロミオとジュリエット効果」
 ある目的に対して障害が多いほど、それを乗り越えて目的を達成しようとする気持ちが高まる

ヒトラー
 ・黄昏効果 思考力が鈍る夕方に演説
 ・単純効果 同じフレーズを何度も繰り返す
 ・誤前提暗示 今を徹底的にこき下ろし、そしてそれをよくすると

色彩調節
 ・暖色系 ポジティブや温かさ
 ・寒色系 冷静さや涼しさ

8つの心の法則
・利得最大の原理 人は自分の「得」になる行動を選択する
・公平性原理 人間社会には「公平さ」が必要不可欠
・返報性の原理 人間は自分ひとりが得をしすぎると不快に思う
・一貫性の原理 人間は一度決めたことは、損をしてもやり続ける
・類似性の原理 人は自分に似た相手に好意を持つ
・社会的証明の原理 多くの人がやっていることが、正しいと思えてくる
・権威の原理 人は権威のある人に強い影響を受ける
・希少性の原理 手に入りづらいものほど、手に入れたくなるという心理

他人を支配する
・声量を使い分けて、相手を丸め込む(低い声でゆっくり話す)
・男性は能力をほめてたらし込む
・女性は行動をほめて、恋心を抱かせる
・無限で聴くだけで、要求を飲ませる 傾聴
・沈黙で恐怖心を植え付ける 
・ピグマリオン効果でほめて育てる
・ほめ殺して、ライバルを手中におさめる
・「オウム返し」で、真剣に聞いているフリをする
・「そうだよね」で相手をつつみ込む 女性は基本的に共感されることを望んでいる傾向が強いもの
・反論したいときは「イエスバット法」で主導権を握る
・あえて「頼みごと」をして味方に引き込む
・「名前」を頻繁に呼んで親密度を増す
・弱みを見せて、少ない報酬で満足感を与える
・「自己呈示」で第一印象をグレードアップ
・「両面提示」で相手を完全に信頼させる 悪い面も提示して相手を信頼させる
・「同調行動」で忍び寄り、親しみを覚え焦る ミラーリング
・「まばたき」をコントロールして相手を信用させる 嘘をついているとまばたきする
・「真摯な相づち」で相手の心をトリコにする
・セクシーさの「ギャップ」で異性を翻弄する
・「ちょい触れ」テクで警戒心をなくさせる 適度なスキンシップは異性だけでなく、同性でも好意を持たせるきっかけになる
・視線をコントロールして、会話の主導権を握る 見つめ合った視線は、先にはずした方が優位に立てるという視線の心理効果がある
・上司の右側から近づいて、安心感を勝ち取る
・入室と退室のお辞儀でデキるヤツと思わせる
・主導権を握る魔法のオープニング握手 3秒くらいしっかりとした握力で握る
・プレゼントで相手をひきつけるオーバージェスチャー
・印象を左右するのは「アゴの角度」にあり  20度快活でよい印象 30度横柄な態度
・右上を見て「思慮深いヤツ」と思わせろ 考えているとのイメージ
 視線が上方は視覚的 水平は聴覚的 下方は内的対話や体感のイメージを膨らませている

アメリカの大統領の勝負服
 白いシャツ、紺色のスーツ、赤のネクタイ

アリストテレス 人を説得する五箇条
①聞き手の注意を惹くストーリーやメッセージを提示する
②解決あるいは回答が必要な問題や疑問を提示する
③提示した問題に対する解答を提示する
④提示した回答で得られるメリットを具体的に説明する
⑤行動を呼びかける

説得の3要素
・ロゴス(論理) 論理的に証明することで説得する
・パトス(感情) 聞き手の感情を誘導することで説得する
・エートス(性格) 話し手の性格や信頼度により説得する

・あなたに関心がない相手を説得する「アンチ・クライマックス法」 最初から重要な話からする
・「誤前提暗示」の罠にはめて相手をコントロールする ありもしない前提を相手に伝えてから
・人の罪悪感を利用した悪魔の「ドア・イン・ザ・フェイス」テクニック
  過大な要求を最初にぶつけて断られてから、本命の要求を持ち出す
 フット・イン・ザ・ドア 小さなお願いから始める
・「接種理論」で競合を蹴落とす マイナス要素をあらかじめ相手に伝えて免疫をつけさせておけば、いざマイナス要素が露呈しても、それを受け入れてもらいやすくすることが可能
・会議を思い通りに操る「スティンザー効果
 ・前に議論を戦わせた人間はその議論相手の正面に座りたがる
 ・ある発言の次に発せられる発言は、反対意見である場合が多い
・会議のリーダーの力が弱い場合は、参加者は正面にいる人間と話したがり、リーダーの権限が弱い場合は隣同士で会話がされる
・「ランチョン・テクニック」でポジティブは会話と錯覚させる
  美味しい食事や楽しい時間のなかで交わされた会話や人物に人間は好印象を抱く
・多数派を服従させる「モスコビッチの方略」 自分の意見・主張をかたくなに繰返し一貫した態度を撮り続ける

ピーターの法則」 有能だった人が昇進して無能になっていく
ディルバートの法則」 無能な者は周りの邪魔とならないように意図的に昇進させられる

うるさい上司を黙らせる「反同調行動
 上司が大声で怒ったら、「部長 大きな声で怒鳴らないでください。周りにも迷惑ですから」
挑発してくる上司は「沈黙」でひるませる

アロンソンの不貞の法則」 関係の浅い人からほめられる方が、より新鮮でうれしく感じる

結婚に至る6段階
・類似性の認知
・望ましい関係を築く
・自己開示
・役割取得 補い合う
・役割適合 補い合うのが上手く行く
・結晶

バーナム効果
誰にでも当てはまるような一般的な曖昧なことを言っても、自分について言われているように信じ込む

吊り橋理論」 揺れる吊り橋を二人で渡ると親しくなる
ボディ・タッチ」 相手の身体に適度に触れるという行為も、お互いの親密度を高める効果がある

感想;
この本に書かれていることを自分に取り入れると、確かに人とのコミュニケーションは良くなるように思いました。
こういうことを意識せずに出来ている人が人ののコミュニケーションが上手いのでしょう。




(ナショナルと戦後の風景:5)革新とは パソコン、幻の試作機

2015-05-22 03:02:21 | 生き方/考え方
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759535.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11759535

創業者たちの言葉

 静かなひと言が、計画を白紙に戻した。

 1980年秋。日差しが照りつけ、暑い夏のような日だった。大阪府門真市の松下電器産業(現・パナソニック)本社の一角にある無線研究所に、社外デザイナーの中禰兼治(なかねけんじ)(64)はいた。広い会議室で、極秘に開発した「パソコン」の説明会が始まろうとしていた。

 机の上には、中禰が手がけた試作機。銀色の四角い本体が三段重ねに積まれ、ブラウン管を備えたモニター画面とつながれていた。B5判サイズの「タブレット」もついていた。専用の電子ペンで画面に文字や図形を描くと、パソコンのモニター画面に表示できた。当時としては斬新な機能だった。

 松下幸之助が部屋にやってくると、室内は水を打ったように静まりかえった。相談役に退いてはいたものの、新製品を世に出すには「創業者の了承」が必須だった。

 研究所幹部の説明を聞きながら、幸之助は自らキーボードに触れて操作を確かめる。終盤にさしかかったときだった。幸之助は説明をさえぎるように言った。「わかった。けど、うちはパソコンはせえへんで」。そして、部屋を後にした。


 ■アップルは着々

 パソコンブームの前夜だった。米国では、スティーブ・ジョブズが自宅のガレージでパソコンを作り、アップル社を起こしていた。頭脳となる半導体の性能の向上はめざましかった。仕事に、遊びに、パソコンの時代が始まろうとしていた。

 松下電器は、創業以来、幸之助の「目利き」が成長の支えになってきた。その代表例が、家庭用ビデオだった。ベータとVHS。どちらの規格を選ぶかが運命の分かれ目だった。日本ビクターが独自に開発したVHSを松下電器は選んだ。ビデオ事業部長だった谷井昭雄(87)は、「社内の反発もあったが、創業者が押し切って採用したことがすべてだった」と言う。

 しかし、コンピューターの分野で幸之助の「目利き」は発揮されなかった。

 幸之助が大型コンピューター事業からの撤退を宣言したのが、64年。開発に資金がかかりすぎる、というのが理由だった。電機メーカー各社が次々とパソコン事業に本腰を入れるようになっても、松下では、グループ会社による参入にとどまっていた。

 中禰は「幸之助さんには、コンピューターの未来が見えていなかったのかもしれない」と話す。家電の覇者は、80年代のパソコンブームの中では埋没し、ヒット商品「レッツノート」が生まれたのは、幸之助の死から7年後だった。


 ■そしてソニーも

 戦後の焼け野原から、いくつもの企業が生まれ、復活してきた。中でも、松下と並ぶ家電の雄のソニーは、特別な存在だった。

 「モルモット」――。評論家の大宅壮一は58年、「週刊朝日」の記事で、ソニーを実験用の動物に例えた。新しい製品に挑戦するが、成果を他社に奪われることも少なくない状況を皮肉った。

 トランジスタラジオ、高画質の「トリニトロンテレビ」、ウォークマン。ソニーからは、世界をあっと言わせた製品がいくつも飛び出した。大宅の物言いに、当初は反発していたソニー創業者の井深大だが、後の社内報では「決まった仕事を決まったようにやるのは時代遅れ。モルモット精神もまた良きかな」と受け入れた。松下電器はというと、模倣して売るのがうまいとして「マネシタ」と呼ばれた。

 ソニーのモルモット精神を支えていたのは、数多くの異能の技術者たちだった。奇抜な発想を実現すべく、しのぎを削っていた。それを良しとする社風がソニーにはあった。

 しかし、それも、いつのころからか、変わっていったようだ。

 「上からダメだと言われたんですよ」。副社長を最後にソニーを去った大曽根幸三(81)は、現役の技術者が悔しそうに言ったのを覚えている。

 2000年代、米アップルの「iPod」に押されて、ドル箱のウォークマンの販売はどんどん落ちていった。iPodはテープやCDを使わず、パソコンから音楽をダウンロードして聴く新方式。実はソニーも99年末には先行して商品化していた。だが、ソニーのやり方は「使いにくい」と評判が悪かった。音楽会社を子会社に持つことから、上層部は使い勝手よりも著作権の保護を優先したようだ。

 大曽根は言う。「誰がなんと言おうと、自分が使ってみたい、欲しい、と思うものをつくる。そのための技術であり、その結果がイノベーションなんだ」

 経済学者のシュンペーターが唱えた「イノベーション」は、技術的な革新にとどまらず、世の中に普及する新しい概念を広く指す。しかし、戦後の日本では、専ら「技術革新」と訳された。その言葉の下、欧米から新しい技術を取り入れていった。

 しかし、いちばん大事なのは、技術をもとに、世の中に受け入れられるモノやアイデアを生み出すことだ。日本のメーカーの多くは、そこを見失った。

 松下電器でオーディオ商品企画のベテランだった戸田一雄(74)にも、30年以上前の忘れられない失敗がある。

 スピーカーとアンプをFM波でつなぎ、コードがいらないステレオセットの企画を担当したときのことだ。どこにでもスピーカーが置ける。前評判は悪くなかったが、まったく売れず、ほどなく生産中止となった。東京・秋葉原の電気街に立つと、理由は明快だった。お客はちょっとした見てくれではなく、音質が一番良いものを求めていた。

 「どんな技術を使ってどんな喜びを与えられるのかを考えるのが後回しになった。独りよがりの技術革新だった」

 2012年。デザイナーの中禰が手がけた扇風機が、大阪の中堅電機メーカーから売り出された。羽根を横にだけでなく、真上にも向けることができる。室内の空気をうまく循環させることができるので、冬にも使える。ヒット商品になった。

 中禰はいまも、自分の試作機を受け入れなかった幸之助の判断を思う。あれはあれで正しかったのかもしれない。「でも、あのとき、松下が本気でコンピューターに取り組んでいたら、ひょっとしたら、松下がアップルのように変わっていたかもしれない」

 あるいはそうかもしれない。しかし、そんな「もしも」に現実感が持てないところに、私たちはいる。
 =敬称略、おわり (内山修)

感想;
創業者の先を見る目と商品イノベーションで企業は急成長してきました。
ところがその創業者の先を読む力が徐々に衰えてくることもあるようです。

ホンダの本田宗一郎は空冷式に拘っていたそうです。
技術者がいくら訴えても、水冷式にGoを出してくれません。
困った技術者は本田と二人三脚でやってきた副社長の藤沢に訴えました。
藤沢は本田に「経営者で行くのか?技術者で行くのか?」と二者択一を迫りました。
本田は技術のことは技術者に任せる選択を行い、それ以降は技術に口出しをしなかったそうです。

創業者に言える人物がいることも企業成長には必要なのでしょう。
また、聴く耳を持っていた人物だったからこそ成長したのでしょう。