幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 アンミカさん」 ”人生をよくするためのヒントがたくさん!”

2018-07-21 08:32:32 | 生き方/考え方
パリコレで活躍したモデル。
いつも明るくて、皆を支えている方。ファッションモデル。しゃべらない仕事が本業がしゃべっている。
1972年生まれ。四条一間に7人家族が生活。容姿以上にトークが話題。
アンミカさんがプレゼンすると売れ行きが続出するテレビショッピング。
波乱の人生を明るくプレゼン。

商品のプロジュース4品。大阪弁を全開にしてますます人気。ピーターさんの誕生日に出たら、ミツコマングローブ、マツコ・デラックスの席で1時間だけしかいられなかったので、しゃべったら、ゲストに呼んでもらった。大阪でのテレビショッピングで人気が出ていた頃。

六畳に家族7人で暮らしていた頃の曲。
1曲目は「マテリアル・ガール」
ラジオで聞いて、言葉を書きとって初めて歌えた外国の曲。

韓国の済州島から日本に引っ越して来た。他人の家の一室を間借りしていた。
子どもの頃は引っ込み思案。2階から落ちて、口を大きく切ってしまって、恥ずかしくてしゃべれなくなった。母から教えられた魅力をUpする方法を教えられた。背筋をまっすぐに。相手に顔をまっすぐ向ける。どうにか人前で笑顔でいられるようになった。

子ども5人抱えて韓国から来て貧しかったけど、歌を歌っていた。子どもたちの個性を伸ばす母の言葉。子ども一人ひとりの個性を伸ばせる天才だった。厳しかった父だった。資格を取りなさいと。中学3年でモデルクラブに入った。美人でも可愛くもないから、高校でモデルをしたとの経験をしたということで取ってあげた。オーデションを受けまくったが落ちた。当時はもっと太っていて黒かった。黒いのでブライダルモデルもできない。何の実績もなくパリコレに挑戦! 高校を卒業して、お金貯めてパリに行った。

個性が認められればパリコレで採用されると思っていたが、そうではなく厳しかった。他の人はパリコレで落ちると「何で私が落ちた」と思っていた。一緒に受けに行ったら自分だけが落ちることがあった。あえて「うらやましい」と口にする。「ステキ」と言う。そこから学ぶことがある。その人が合格したのだから、やはり素晴らしいところがあったことになる。
1993年の時にあるカメラマンに声を掛けて貰った。1枚の写真がきっかけでモデルとして成功。

パリコレで成功して日本に帰って来たら、人生相談の番組に呼ばれた。辛口人生相談が受けた。当時23歳。29歳まで大阪で仕事をさせてもらった。東京では無口にモデルの仕事。大阪は好きなだけしゃべっても、周りがフォローしてくれる。大阪の番組で鍛えた話術。

当時通販だというと今は売れていない人が出ていることが多いが、今活躍している人が出ても良いのではと、オーディションを受けた。
サワコの衣装を即興でプレゼン。
何の情報もなくても素晴らしくプレゼン。
まだまだ仕事の幅が広がりそう。吉本に行っても大丈夫!(サワコ)
プレゼンの才能も母の教え。他の人がしゃべっている間は、うなづきだと。母を10代、父を20代で亡くした。両親がパリコレのスクラップを。母には間に合わなかった。

2曲目、言葉で言えない感謝。両親への思いを込めた曲。
小田和正の「言葉にできない」
幸せとは何かをたくさん両親に教えて貰った。
だんだんセレブになって来て、「お金でしょ!」とは?(サワコ)
全然そんなことはない。両親に恥じない子でいたい。

感想
アンミカさんの魅力は人間性だと思いました。
彼女と一緒に過ごすことが心地よいのだと思いました。

アンミカさんは努力を、前向きに考え取り組んで来られた結果が今なのでしょう。
まさに人生は変えられると実践されて来られた方だと思いました。

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