幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「小保方晴子日記」小保方晴子著 ”早稲田大学、理研の責任も問わないと!”

2018-07-19 01:26:44 | 本の紹介
・「死ぬ気になればなんでもできる」「命までは取られない」「死ぬことを思えばもう怖いものはない」と言って励ましてもらうことが何度もあった。でも私は、そう言われるたびに強い孤独を感じた。このまま生きていることのほうが死ぬことよりもずっと怖い、と思い続けていたから。

・(早稲田大学の博士論文の再審査)「再提出しても、学科内の審査を通るのはとても難しい状況」「最終の合否は多数決で決まるのに、学科内で反対派の先生たちが多数いる」「博士論文に問題があった学生が大勢いて、小保方さんより広範囲に問題があった子もいただんだけど、その子たちは訂正したっている書類にサインすれば終わり、調査委員会が立ち上がって再審査にかけられたのは小保方さんだけ。大変だったね」

・理研が私に論文の投稿料60万円を返還請求することを発表したと連絡を受けた。内臓が突き上げられるかのようにこみ上げる悔しさ、血を逆流させるほどの「信じられない」という思い、抗えない感情の渦は、似た感覚を持った時の記憶を連鎖的に呼び覚まし、苦しみの濁流に変わる。「研究の状況を常識的に考えたら、理研が小保方さんにお金の返還を求めることは絶対にありえない」と私に説明をした理研の事務方の幹部がいた。
マスコミ関係の人から、「払わなかった場合は、『理研が告訴へ』などという見出しが躍る記事がたくさん出ると予想される。憶測に基づく煽り記事もたくさん出るだろう」と言われた。「支払わなかった場合」に対する恐怖心がとめどなく募る。一人で、この濁流に逆らうことなんて無理だ。でも支払うなんて間違っている。やり込められて悔しいのに、非常に弱気である。支払った後、間違った判断をした、とはっきり感じた。本当の自分の思考が、一瞬だけ戻った。押し込めていた本当の自分が、体内でヒステリックな声をあげながら泣いている。こんな恥ずかしい判断をしてしまって死にたい。ただただ悔しく、情けなく、もう生きていても仕方がない、と思った。

・今はこの手記を書くためだけに生きている。原稿が進まなければ。今日生きた意味がないとさえ思う。

・最後に「本学(早稲田大学)としては、小保方氏と争うことは全く考えていません」とあった。私に裁判など起こされたら困るのは大学側なのだから、大学側に争う気がないのは当然だ。このコメントを読んだ人に大学は冷静に対応したとい印象を残す工夫まで感じられた。私がこのコメントから受けた失望は、ある意味では博士号剥奪より大きいものだった。

・「警察から被疑者不詳で書類送検された刑事告発について、『事件の発生自体が疑わしい』という検察の見解が発表になりました」。

・「毎日原稿用紙10枚ずつ書いてごらん。あなたは一人でいるのだから、書くことで感情を発散させたほうがいい。あなたは書ける」と瀬戸内先生から電話のたびに言われていた。

・2017年2月、残る懸念事項だったBPOの結論が発表になった。「名誉棄損の人権侵害が認められる」「放送倫理上の問題も認められる」という判断が発表され、騒動に関する公式な出来事はすべて終わった。

・(瀬戸内)私には人の才能を見抜く力があります。私がものになると言ったら、必ずなる。だから小説を書きなさい。あなたが腹を立てていることを、書けばいい。男のことも。
(小保方)嬉しいです。心から嬉しいです。甦るなんて、思ってもいなかったので、私の人生はこうりsて終わるのだと・・・。
(瀬戸内)いいえ、また花が咲きますよ。根がしっかりしているから大丈夫。見返してやりなさい。でも早くしてくれないと、その姿を見ることが94歳になる私にはできないわ。

感想
小保方さんの本を2冊読みましたが、そこから思ったことは以下でした。

・小保方さんは意図的にごまかそうとしたのではなかった。
・ノートの取り方など、科学者として甘いところがあったが、早稲田大学や理研などは何を指導していたのか?
・ES細胞が混じった経緯はわからない。ひょっとすると若山先生が一番知っているのかも?

そして、博士号を取り消した早稲田大学は、博士号を指導した先生や博士号を認定をした教授会の責任はどうなっているのだろうか?

人は失敗します。
失敗しても復活できる社会であって欲しいです。
小保方さんがどういう形で、これからの人生を生きられるかわかりませんが、良い選択肢をして欲しいと思いました。

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