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安倍首相、都議選大敗「深く反省」=求心力に影響必至 ”安倍首相の反省と言う言葉の定義は?”

2017-07-03 19:58:00 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/jiji/politics/jiji-170703X998.html 時事通信

 自民党が歴史的大敗を喫した東京都議選から一夜明けた3日午前、安倍晋三首相(党総裁)は、「大変厳しい審判が下された。自民党に対する厳しい叱咤(しった)と受け止め、深く反省しなければならない」と語った。首相官邸で記者団の質問に答えた。「安倍1強」に揺らぎが生じ、首相は態勢の立て直しを急ぐが、求心力に影響するのは避けられない見通しだ。

 首相は「安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろう。政権を奪還したときの初心に立ち返って全力を傾けていく」と強調。「国政には一時の停滞も許されない。身を引き締め、謙虚に丁寧に、前に進めなければならない」とも語った。

 菅義偉官房長官は記者会見で、「謙虚にぶれずに全力で取り組み、より一層の緊張感を持ちながら内外の諸課題を前に進め、結果を出すことで、国民の信頼回復に努めたい」と述べた。首相の衆院解散戦略への影響については「考えていない」と語った。

 自民党は3日午前、首相も出席して臨時役員会を開催した。首相は政権の信頼回復に向け、「今後どういう対応を取ればいいか、それぞれが検討してほしい」と指示した。下村博文幹事長代行は敗北の責任を取り、党都連会長を辞任する意向を表明した。

 同日昼の政府・与党連絡会議で、公明党の山口那津男代表は「国政課題が山積する中、政府・与党が結束し、国民の期待に応えていくべきだ」と訴え、この後の自公党首会談でも緊密な連携を再確認した。ただ、公明党は都議選で、小池百合子都知事が率いる「都民ファーストの会」と協力しており、次期衆院選に向け、自公の間にしこりが残る可能性もある。 

感想
反省の意味;
 1 自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。
 2 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。
安倍首相は、よく反省と言う言葉を使われます。
「丁寧に説明をする必要があった」
ところが、その後、丁寧に説明をすることは拒否されています。
安倍首相は反省という言葉を、イメージとして使われているのではないかと思ってしまします。

日本の優先課題
1)保育所の問題は2年先送り
2)借金は増えるばかりで財政立て直しの消費税Upは先送り
3)年金の問題
4)引きこもり若者70万人(女性はほとんど数字には含まれていない)
5)母子家庭の貧困率50%。OECD国では日本は貧困国

安倍首相の優先課題
1)秘密保護法
2)集団自衛権
3)共謀罪
4)憲法改正

国民の目は経済が良ければよいと、年金資金を株に投資。暴落したらどうされるのでしょう?
都議選のように、おかしい政治にはおかしいと言わないと、ますます日本はおかしくなっていくのではないかと思うのですが。
他に投票する党がないので自民党に投票する人が多いとか。
今回は都民ファーストに。
野党も国民も考えないといけないのでしょう。


「日本人なら知っておくべき日本人の名前(杉原千畝)」デュラン・れい子著 ”人と人のつながり”

2017-07-03 08:17:28 | 本の紹介
外務省の反対にも関わらず、シベリア鉄道経由して日本へのビザを約6,000人に発行した。ビザがないユダヤ人は強制収容所に送られほとんどが亡くなった。亡くなったユダヤ人は600万人と言われている。
当時の日本の国家予算は、ロシアの1/8.軍事力はロシア113万人、日本23万人。海軍はロシアの合計排水量60万トン。日本は26万トン。
日露戦争を勝ち抜いた裏には、ユダヤ人の力があった。
1,000万ポンドの戦時外債を調達することにした。イギリスは日英同盟があり、500万ポンドを引き受けてくれたが、残りの目途が立たなかった。晩さん会で偶然出会ったユダヤ人のジェイこぶ・ヘンリー・シフが引き受けてくれた。彼は、後に勲二等旭日重光章を受けた。
このことは、夫の杉浦千畝は日本とユダヤの歴史的背景が頭の片隅にあったのかもしれません(妻 杉原幸子)

イスラエル大使館に私も夫と行き、ニシュリ氏に会いました。ニシュリ氏は私の手をとり固く握って涙を流して喜んでくれました。
ビザを受け取り、無事に脱出したユダヤ人たちは、戦後、夫の行方をずっと探し続けていたそうです。夫は自分の名前を「スギハラセンポ」と教えていました。ユダヤ人が外務省に問い合わせても、わからなかったのでしょう。ただ、杉原という名前は3人しかいなかったので、カナウス(リトアニア)の領事だった杉原といえばわかりそうなものなのにと思ったのですが、それがお役所仕事というものなのでしょう。
夫も、ビザを渡したユダヤ人たちがどうなったか心配だったので、一度イスラエル大使館に足を運び、消息を尋ねたそうですが、大使館の人たちではわからなかったそうです。その時に夫が自分の住所を教えていたので、ニシュリ氏も探し出すことができたのだそうです。
ニシュリ(在日イスラエル大使館経済参事官として28年ぶりに赴任)は、杉原が日本の外務省の許可を取った上でビザを発給したとばかり思っていた。
1959年、イスラエルを訪問した杉原は、当時宗教大臣であったバルハフティックからイスラエル政府からの勲章を受けた。この時初めて杉原は、ビザ発給は日本政府の許可なしにやったことを打ち明けたのである。カウナスで杉原からビザをもらった全ての人々が想像もしなかったことで、バルハフティックも大いに驚いたという。
杉原は外務省の意向に背いてビザを発給したため、外務省を首になった。幼い子どもと妻を養うための苦労が覆いかぶさった。

ビザを得て、シベリア鉄道を乗り継いで船で敦賀に降りたった人々の世話を敦賀の人々が行った。また、その時にユダヤ人を助けた日本人がいた。その中でも有名なのが、小辻節三。政府との交渉を神戸ユダヤ人協会からの要請を受けて行った。杉原ビザの日本滞在は日数は10日間だった。ほとんどの人が受け入れ国が決まっていなかった。松岡洋右外相に直接かけあい、ビザ延長の自治体を動かすことができた。外務省は目をつぶることを役策させた。この超人的な努力により、ほとんどのユダヤ人が真珠湾攻撃が始まる前に、アメリカや上海に出発することができた。

感想
ユダヤ人が日本人に良い感情を持っているのは、これまでの先人たちがユダヤ人に親切にして来られたからなのでしょう。

国対国、それは一人ひとりのつながりが大きいのだと思いました。

当時、杉原千畝さんはユダヤ人からお金を貰ってビザを発行したと言う人々もいました。
しかし、ユダヤ人は日本政府が了承したと思っていたので、お金を払うなどの意識はなかったのです。

正しいことは伝わりにくく、虚偽に近いことを発言してその責任を取らないことが多いように思います。

福島第一原発の炉心溶融でも、原子力の専門家がそんなことはないと断言していましたが、実際は炉心溶解していました。
専門家の発言ほど、?と思う気持ちが大切なのでしょう。
加計学園問題では、他のTV曲が加計学園の名前を出していましたが、NHKは加計学園の名前を出しませんでした。
強制的に受信料を徴収しているNHKが政府の意向に沿って(忖度?)公平な放送をしないはどうなのでしょう?
情報は様々な情報源から入手することが必要なのでしょう。、