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一番の幸せは優しい心とのふれあい。
一番の幸せは・・・いっぱい。
そんな日々つれづれ。

孤高のメス

2010年06月14日 00時00分55秒 | 鑑賞(映画・コンサート)


孤高のメス

2010年 6月11日(金)
大鐘稔彦原作、成島出監督、堤真一、夏川結衣、吉沢悠、中越典子、平田満

最初のシーンが意味不明だったけど観ていくとだんだんわかってくる内容。
母と息子二人の家庭があった。
息子を育てながら母は看護師として家庭を支えていた。
その母が病院で倒れてそのまま・・・
働いている病院で倒れたのに、その病院では処置されず
救急車で他の病院に搬送されなくなった。
その母の葬儀のために成長した息子が戻ったところから始まっていたのだった。
母の自慢った息子は今では医師として働いていた。
葬儀の夜、母の日記を見つけて一気に読みふける。
その日記の内容が映画のストーリーなわけよ。

スクリーンに内臓(臓物)が映し出される・・・あまり気持ちの良いものではないね。
過去にバチスタで心臓が映し出されたこともあったけど
むしろ心臓のほうがきれいかもしれないね。
肝硬変の肝臓は黒い、ちょっとグロテスク。
健康な肝臓は白い、それはそれで気持ちが悪い。
形は大きさは違うけど牛や豚と同じじゃん。
元々フォアグラも苦手だけど余計に食べれんようになってしもうた。

田舎の看護師として働いていたときに一人の医師と出会う母。
恋愛感情でもあるのかと思ったら、それは私の邪推だったみたいで。
人としての生き方みたいなものを学んだ母。
内容は見てのお楽しみだけど・・
映画のラストシーン。
赴任先の病院の院長に挨拶に行ったら・・・
留守だったので待ってる間に机の透明カバーの下に写真があった。
そこには若い頃の母と先生、病院スタッフの写真だった。

肝臓の脳死移植が話題になっている。
まだ脳死が人の死と認められてないころの話。
ここからあくまでの私の意見。
映画の中では母親が脳死の息子の臓器提供を申し出たわけだけど
実際、脳幹部が死んで将来の見込みがないとわかっても
心臓が動いている息子の臓器を取り出すことを選ぶだろうか
私にはできない。
そして移植の相手に選ばれたのは初老の人。
18歳の少年の肝臓が初老の人に移植される。
もっと若い人に・・・せめて同じ年齢層にと思うのは私のエゴだろうか
私は絶対にできないけれど(脳死移植)でも・・・
娘の臓器が誰かの中で生きて働いてくれてたら・・・誰かの目になって
景色を見ることができてたらと思うと涙が出そうになる。
娘は身体の損傷が激しくて、素人の私から見ても誰かに臓器提供という
選択肢がないのはわかった。
目の角膜も乾燥して軟膏を塗ってもらっていた。

脳死が人の死と認められても、実際にはなかなか難しいだろう。
永遠のテーマかもしれない。
私が助かる見込みがなく意識がなくなった場合には臓器提供をしてもいい。
でもそれを娘たちが望むだろうか
娘たちの意思によって母の心臓を止めることを意味するのだから。

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