平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

幣立神社のカラス

2010-09-12 20:01:10 | 古代史と聖書
 熊本の読者夫妻の案内で幣立神社に行ってきました。福岡の読者と四人連れですが、先に高千穂の天岩戸神社に向かいました。その途中、高千穂の意味(奥義)についてピコーンときました。後述しますが、完全解明と言っても良いでしょう。

 天安河原(あまのやすがわら)を巡り、車に戻って走り始めたら、急に雨が降ってきました。暑かったので丁度良い慈雨です。雨が上がった頃に昼食の時間になり、和風カツ定食を頼みました。しかし出て来たものは、親子鍋にカツ丼の具が乗ったままの状態。これならカツ丼を頼んでも同じです。

 昼食後、幣立神社はすぐ近くでしたが、車を停める場所は階段の下がよいか中程がよいかと問われたので、弟子の怒る顔を想像しながら中程にしました。中程と言っても、ほとんど最上段です。恐怖の階段登りはパスしたのです。



 参拝後、元伊勢の方に向かおうとしたら、一匹のスズメバチが案内のご主人を襲いました。ご主人も奥様も、黒っぽい上着を着ていたからです。それで分かったのですが、ご主人と奥様は八咫烏の役を担っていたのでしょう。実際、ご主人が先導で、奥様の方は僕の後ろを歩くことが多かったのです。こうして、僕の公務は続いたのです。

 幣立神社を一通り巡っての感想は、思ったよりも良いところだということです。ネットの影響で若い女性が多いのですが、それを除けば普通に歴史のある神社です。ただ気になったのは、宮司さんが若い女性の相手をする合間、やたらに僕を見ることです。神に仕える人には何か特別なものが見えるのでしょうか。

 幣立神社を後にすると又しても雨。今度は本格的に降り出しました。どうも、僕の本来の土徳とは別に、蛇年生まれと本名に含まれる水から、イエスの象徴である水徳の霊力が目覚めたのかもしれません。今年の伊勢から竹島ルートの後、僕は読者の一人に、もう大きな水害は起こらないだろうとメールしました。潮干珠を手にしたと思ったからです。その後、九州すら雨が降らなくなりました。そして今回は、潮満珠の方を手に入れる旅だったのかもしれません。博多に到着したら雨になりましたし。

 さて、最初に提出した高千穂の奥義ですが、実は、クフのピラミッドと同じなのです。「高」は外輪山と内輪山で形成される阿蘇そのものです。高に含まれる口を火口と見るのです。そして、冂(けいがまえ)は外輪山です。高の旧字のは上の部分が天への階段を意味するのです。そう、ヤコブの階段の最上部が天に向かっているのです。

 ところで、『万葉集』の時代、天皇の住いが「百敷(ももしき)」と表現されますが、なぜ百なのでしょう?ここで高千穂が意味を持ってくるのです。僕が古代史で明らかにしているように、「万(よろづ)」はイエスを指します。要するに天界が万なのです。そして天皇は百ですから、天皇と神との間が千となるのです。千は、神界でもなく、人の世界でもない、天界への最後の階段そのものを表すのです。

 ヤコブの階段と先に書きましたが、ヤコブのエジプト名はクフウ(工夫の語源)です。しかし、クフのピラミッドを象(かたど)った畝傍(うねび)山がクホ山と読めるので、ヤコブがクホと呼ばれていた可能性が高いのです。そして、クホから穂が当て字となり、イエスの奥義は稲に関する言葉で表されるので、「イエスに至るヤコブの最上段の階段」という意味で、高千穂と名付けられたのです。「階段(高)、最上(千)、ヤコブ(穂)」というセットなのです。神話のように高千穂が存在したのではなく、カッバーラでクフのピラミッドと同格の聖地となったのです。

 同行した読者によると1万歩も歩いたそうですから、流石に疲れました。マメも痛いし博多に泊まることにしました。しかし、博多の手前で雨が降り出し、ホテルにたどり着いたら止みました。明日は広島に行きます。八咫烏役と同行の読者もお疲れ様でした。でも、僕の回りでは本当に不思議なことが起こるでしょう。

      エフライム工房 平御幸
コメント
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