布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

竜神信仰と大雨後の布施弁天

2008-09-01 | 歴史
最近は、布施弁天は関東の三弁天のひとつとは、あまり、言わなくなったようですね。今は、看板に見られるのは東日本の代表的な弁天様という表現が多いようですね。
今秋には開基1200年祭を予定している布施弁天東海寺ですが、昨日8月31日は、洗心祭、白蛇公開、光明祭が開催されました。バタじゃが等の露店がいくつか出たようですが、私は雨上がりの早朝、まだ、誰も訪れていない朝6時台に心おきなくお参りしてきました。
今回、訪れた目的のひとつに、春先から境内拡幅で盛られた崖が、この大雨でも、無傷だったかどうかを確認したかったのです。あけぼの山農業公園のアスレチックの下の崖の一部が削られ、土砂が道路に流れ込み、一時通行止めとなっていたからです。
布施弁天の裏側の道路から、拡幅された敷地を支えている急勾配の崖を、ゆっくり見上げながら歩いてみました。大半は無事でしたが、一部、本堂の裏側の崖のうち、下のほうが大きくえぐれていました(写真)。陥没していました。吹きつけられた芝や雑草によって大半は守られていましたが、ここは、6月の梅雨の時、まだ、緑で覆われていない時にも少しえぐられた所です。今回は、泥土が外塀にもちょっと掛かっていました。
次に、上のほう、拡幅された境内が、どうなっているか気になったので、早速、女坂を上って、本堂に向かいました。すると、大日如来堂と消防器具が置かれているところが、妙に明るいではありませんか。しかも、本堂手前の木蓮の木のあたりから、あの大利根有料道路の橋が見えるではありませんか?
そうなんです、裏手にあった木々が切られ、新しく盛り土されたところと旧来の境内敷地の境がなくなり、一体となっているのです。だから、広く、明るくなっていたのです。
しかし、悲しいことも見つけました。麦秋、藤月、芭蕉(?)の俳句の句碑が今まであったところにはないのです。大日如来堂の後ろに3つとも横に転がっていました。もちろん、蛇塚もころがっていました。たぶん、崖を盛土した時にとった竜神の洞穴前にあった赤い鳥居と同じように、これらの句碑も、後で立て直されるものと思いますが。
赤い鳥居は立て直されても、竜神の穴はなくなったと同様に、3つの句碑が立て直されたとしてもこの句碑に込められた先人たちの気持ちを受け継げるかは別問題です。特に、麦秋の句碑は、三重の塔の建設時にここに移され、今度も更に移されるとなると、―――。
なお、拡幅された敷地に、特に崖地のそばに大勢の人たちが、入ってもらうことは、崖下の状態をみると、少し様子を見たほうが良い気がしました。
以前にも書いたが、1200年を前に、新しい布施弁天に生まれ変わろうとしていることは事実だし、その努力も涙ぐましいものがあります。しかし、時間が止まっていた何十年間の針を急速に進めてよいのであろうか、という率直な感想を持つの私だけでしょうか。
また、楼門の下の駐車場に建設中の鳥居は、だいぶ出来上がり、この鳥居の参道には大きな四角形の敷石も敷かれていました。この鳥居、本来は、桜山からの楼門に向う直線の市道に、昔、本多家が寄進したように、立てたかったそうですが、市から許可が下りなかったので、敷地内の駐車場に建たとのこと。
これで、大体の1200年記念に向けての外回り関係は見えてきた、できあがってきましたね。これからは、中身の充実ですね。現世ご利益の神としての布施弁天の信仰の充実の問題ですね。寺檀家でない自分たちが唯一かかわれるのは、この現世ご利益の神としての弁才天へのかかわりしかないのです。お参りしかないのです。
さて、布施界隈のお寺には、山号か寺号のどちらかに必ず龍の一文字が入っている。たぶん、偶然ではないでしょう。具体的には紅龍山東海寺(布施弁天)、普龍山善照寺(古谷地区にある時宗の寺)、飛龍山円性寺(土谷津地区ある真言宗の寺)、竹林山南龍寺(荒屋敷地区にある浄土宗の寺)というように。
これは、川等に起因する竜神信仰とは無縁ではないのでしょうね。特に布施弁天は、寺縁にも紅龍がでてくるくらいですから、今後の現世ご利益の鍵は、この竜神信仰が握っているかもしれませんね。
コメント
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