布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

釣好きの小説家滝井孝作と子の神古墳群

2008-04-11 | その他
先般、我孫子市にある白樺美術館と志賀直哉の書斎の見学に行ったついでに、志賀直哉を大変尊敬していたと言われる小説家でもあり、俳人の滝井孝作の住居跡を訪ねてみました。
滝井孝作は、随分、昔の人かと思っていたら、なんと、最近まで生きていたんですね。岐阜県高山市で1894年4月に生まれ、亡くなったのは1984年11月だそうだから、結構長生きしていたんですね。最初、俳句の道に入るが、後に小説に転じた。志賀直哉に師事し、志賀が奈良に住んでいた頃によく出入りしていたそうです。代表作は『無限抱擁』。私小説作家だが、その多くは随筆と区別がつかない。1974年に文化功労者を受賞し、長く芥川賞選考委員を務めた。この代表作を、志賀直哉にすすめられて、大正11年(1922年)から12年(1923年)にかけて我孫子に移り住んでいる間に執筆したらしいとも言われているが、改造社から発行したのは、1927年(?)。
内容は、いわゆる心境小説で、純粋な若者が、遊びを覚え始めて知り合った遊女が好きになり、なんとか一緒に暮らせるようになるけど、彼女が病気になり死んでしまうという、当時としてはありがちなストーリーらしいのです。その主人公の心の内側の描き方、登場人物の気持ちのやりとりが、非常にリアルに描写されている作品らしい。
さて、滝井が仮に住んだ場所というのが、何回かこのブログで紹介したことがある大黒天が祀ってあり、一茶の句碑もある子の神大権現の近くの野田家に住んでいたと言う。しかし、その家は、今はなく、我孫子市教育委員会の看板だけが建っていた。滝井孝作は、折柴という俳号を持ち、1973年発行の「俳人仲間」では、日本文学大賞を受賞している。また、釣がとても好きだったそうです。
話しは変わるが、この近くには複数時代、古墳時代と弥生時代に人が祀られたと思われる古墳群がある。その名も子の神古墳群。
ここは、東西に長い手賀沼を見下ろす台地のほぼ中央部に位置しており、もとは13基の円墳と1基の前方後円墳で構成されていました。現在は5基の円墳と前方後円墳1基が残っています。
滝井孝作の看板があったのは5号古墳のところでした。この古墳は、6世紀に築造されたようです。
調査は、1958年~1962年(昭和33年~37年)東京大学による発掘調査、そしtて、1979年~1994年(昭和54~平成6年)我孫子市教育委員会による発掘調査が行われています。
更に、1979年~2000年(昭和54年~平成12年)に1、2、4、5、7号墳の発掘調査が行われたようです。廻りに住宅と、我孫子では古い富舛旅館があり、なかなか趣がありますが、どうも、一部が崩れそうで、古墳の保全に関しては、万全とは言えない状態に見えました。
時たま、我孫子を訪れますが、我孫子には何か心ひかれる昔のものが多く残っており、行く旅に、私にとっては、新発見をさせてくれる街です。

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