布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

布施弁天のライトアップ考

2007-04-20 | 歴史
どうやら4月7日・8日のあけぼの山の桜まつりにあわせたかのように、布施弁天のライトアップが始まっていたようです。寺関係者の話によると、当面行なうということであったので、4月18日、午後8時前、見に行きましたら、写真のように本堂が実に煌々とライトアップされておりました。これは、常夜灯をつけ放しのものとは大違いで、暮れから正月にかけてやっていたものを、桜まつり以降午後6時から9時まで行なおうとするもので、お金がかかるものだといえます。布施弁天の意気込みを感じとれます。
このライトアップは、専用の大きなライトがついており、境内には本堂正面に大小で2つ、鐘楼前に1つありますが、周りの崖に4ケ所ついております。まず、布施弁天下の薬師堂から来る突き当たりの弁天様の崖に1ケ。そして、新しく出来たくぐり戸付近の崖に1ケ。更に景勝閣の階段の左右の崖の中腹に1ケずつあり,それぞれ木々とその周りを照らしていました。ランプ自体の周りが緑色になっており、繁っている草と同一色なので、昼間は、良く目を凝らさないと、ライトアップ電球の位置を確認することは出来ません。
ライトアップのねらいは、いうまでもなく、ろうそく立てと同じく、広く市民の方に、夜でも布施弁天を見てもらおうというものではないかと思います。しかし、私が行った時は、雨だったせいか、残念ながら、私たち夫婦以外、誰一人いませんでした、階段にも、そして境内にも。
ちょっと、この誰もいない状況をみますと、本堂前の桜も、木蓮も散って、灯りで見て楽しむべきものが見あたらず、あかあかと照らされて闇の中に浮き出された朱色の本堂も、その扉は午後6時過ぎには閉ざされ、弁天様とのご対面もかなわないともなれば、やむを得ないーー。
先代の住職さんがなくなってから、現在の若い住職さんは、いろいろのことを模索し、試し、新しい布施弁天を作ろうと頑張っています。その動きをここ2~3日、紹介していますが、それでも、なかなか市民ニーズをつかみ切れていないような気がしてなりません。昔は、多くの人が加入する講とそれに答えるかのような護摩焚きが関東三弁天としての布施弁天の繁栄を支えていたのではないでしょうか。多くの田畑を持つ裕福な寺院なら、小作人にそれを貸して、上米で繁栄したろうが、残念ながら、布施弁天はこの田畑がなく、あけぼの山(6ha)等の山林しか持っていなかったのです。それでも、なぜ、繁栄したかをつらつら考えますと、それは現世御利益を願う庶民の切なる願いを聞き届けさせる護摩焚きの行のお布施で繁栄していたものと思われます。それは、本堂の外陣の天井の真っ黒な煤跡に見るとおりではないでしょうか。
たが、時は現代、祈願するといっても、肝心なのは、現代人における祈願対象のニーズをどう押さえるかということでしょう。ここを間違えると、護摩堂を仮に建設しても、祈願者がこない状態を産みだすことは自明。多分、ここが難しくて、1200年祭に護摩堂と建てるという計画が遅々として進まないのでしょう。お金がないというのは理由ではないような気がします。祈願者があとを立たないという見通しさえあればねー。
でも、今後、布施弁天がこの近辺の地域の人たちの心の中で生き続けるには、まず、この問題、布施弁天とはなんぞやを真摯に考えていかなければならないのではないでしょうか。
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