布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

明治時代の千葉県議会議員選挙

2007-04-03 | 歴史
3月30日に告示され、4月8日投票日の千葉県議会議員選挙には、定数95人(45選挙区)に対し、158人が立候補している。柏市においては、定数5人に対し、8人がしのぎを削っており、日増しににぎやかになってきている。
さて、最初に千葉県議会議員選挙が行なわれたのは、いつだか、ご存知であろうか?千葉県が誕生したのは明治8年で,最初のその千葉県議会議員選挙は、明治12年に実施されたのである。その第一回選挙に、若干25歳の若さで当選したのは、成島魏一郎である。彼は、嘉永6年(1853年)、布施古谷に生まれ、彼の家は、江戸時代、名字帯刀を許され、名主も務めた豪農である。道路を挟んだ反対側には、創建700年を超える時宗の善照寺がある。もちろん、中世には布施古谷城があった地域であり、更には1705年まで東海寺があった地域でもある。魏一郎は、この初当選から明治23年まで千葉県議会議員を連続して務めている。明治22年には、大日本帝国憲法が発布され、同時に町村制も施行され、布施村は根戸村等と合併し富勢村となっている。この合併で全国に7万以上あった町村が、約1万5千になったという。この明治23年の第1回帝国議会の衆議院総選挙が行なわれ、この選挙で魏一郎は衆議院議員となり、東葛飾地区住民からの県政と国政の期待を一身に背負っていた政治家なのである。特に彼は、たびたび水害に見舞われる郷土に対し、利根川への治水に政治生命をかけたのである。その息子成島勇も父の遺志を継ぎ、昭和12年(1937年)から国会議員となり、戦後まで国会議員を続けるのである。
だが、この成島本家は、今は布施の古谷にはない。跡地には東京の墨田区に本社のある京小町の米菓工場が操業しているが、成島本家とは直接関係ない。1970年頃に魏一郎氏の孫が売り払ったようである。
日ごとに各候補の選挙カーが家の前の道路を立候補者の名前を連呼して通り過ぎて行くが、住民のため、一名をかけて政治活動をした立派な方の家が、このような形になっていることを知ると、今の政治家はなにをしているのかと嘆きたくなるが、皆さんはいかがお思いでしょうか?
なお、ここ布施古谷に中世にあったといわれる布施古谷城と成島本家との関係は後日報告します。
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