布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

一茶の友人ろうそく屋彦兵衛

2007-01-18 | 歴史
柏のむかし(柏市史編さん委員会編集、柏市発行)という本の中に「一茶と布施弁天」の項があり、そこに下記の記述があります。
(以下引用文)
一茶と交友のあった俳人として、「布施村ろうそく屋彦兵衛」という名前が見えますが、どういう人なのかは明らかではありません。『柏市史資料編・布施村関係文書』の中に「彦兵衛」という人物を探してみますと、数カ所にその名前があります。その中で、天保十四年(1843)の「あめ菓子、水菓子、白米商い彦兵衛」が、あるいは「ろうそく屋彦兵衛」の子ぐらいに当たるような気がします。以下省略(館野晃)
(以上)
というように、彦兵衛がどのような人物なのかを定かにすることはできませんでした。ところが、平成18年11月に我孫子市史研究センター(昭和50年11月設立の市民団体)が、『いほりのちり─江戸後期下総国布施村中尾嘯花句集』を刊行し、その中で彼がどのような人物かを明らかにしたのです。本当に実在していたので、自分はびっくりし、同センターの調査力に感服しました。同センターのホームページより、以下に引用します。
(以下引用文)
雪月庵嘯花(せつげつあん しょうか)といい、宝暦11年、下総国相馬郡布施村土谷坪(現我孫子市布施)の飯田勘平家の次男として生まれ、同坪の2代目中尾平左衛門(酒造家)の養子となり、分家して彦兵衛を名乗った。俳句を常陸国河内郡若柴宿、風篁庵野口乱竿に習ったが、師の死後、松暁庵麦秋邑より俳諧秘伝を享保3年に授けられた。同年、小林一茶の『享保句帖』11月13日条に、「嘯花、布施ろうそく屋彦兵衛」と記載されている。柏・我孫子市域に名の残された数少ない俳人の一人である。
(以上)
という具合に、ろうそく屋だけでなく、酒造家の中尾氏まで紹介し、更には、私がわからなかった布施弁天境内に句碑のある麦秋まで調べ、麦秋が実在したことも証明している。市井にもすばらしい研究家がいるものだと感心させられるとともに良い勉強になりました。念のため、上記の本(写真)は、書店では販売していないとのこと。


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