布施弁天界隈の自然と歴史情報

関東三弁天の一つである柏市布施弁天界隈の城跡、神社、仏閣等の歴史的遺産の紹介とあけぼの山近辺の花情報の提供

近世のお城と中世のお城の違い

2006-11-05 | 歴史
お城というと自分は名古屋城、大阪城、姫路城、松本城、会津城、松江城、松山城等天守閣がある殿様が生活している威風堂々としたお城を想像してしまう。しかし、中世における相馬郡の布施近辺のお城といわれるものは、武士が日常的に生活していた痕跡は見いだせない。松ヶ崎城、布施城、根戸にあった根戸城、そして久寺家城にしても、臨時の防御用の山(小高い丘)に土塁や堀や柵を設けた砦にしかすぎないように見える。ということは、この布施郷には、戦うプロの集団は存在しない。簡単にいうと武士階層はいなかった。もちろん、城下町など存在しえない。
確かに布施城があったといわれる古谷地区には、御城(みじょう)、中城(なかじよう)外城(とじょう)といういわれる区域があり、そこに刀やよろいを持った旧家があることも事実であるので、半農しながら戦う集団がいたかもしれない。それも、1590年北条家の滅亡以降、この近辺の戦う集団は崩壊し、農業に専念していったと考えるのが順当だし、それ以降の布施地域の歴史がそれを物語っている。
そして、徳川幕府のもと、本多侯の庇護により布施弁天と七里ケ渡しにより、江戸時代は繁栄したみたい。写真は、井伊家の彦根城。
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