江戸観光案内

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湯島聖堂

2012-02-25 | まち歩き

さだまさしさんの名曲「檸檬」の歌い出しで歌われるのが、今回御紹介する湯島聖堂です。場所的には秋葉原から神田川北岸に沿って御茶ノ水へ向かう緩い坂道の右手に在り、道を挟んで北隣が神田明神です。湯島駅近くの湯島天神と混同される方もいらっしゃるようですが、湯島天神が神社であるのに対し、湯島聖堂は神社でもお寺でも無いので、全く関係は有りません。


それでは湯島聖堂は何かというと、一言で言えば学問所です。元禄三年(1690年)に五代将軍徳川綱吉が儒教の振興を図るために、上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾を現在地に移したのが湯島聖堂の始まりで、およそ100年後の寛政九年(1797年)には、時の政府である幕府が直轄学校として昌平坂学問所をここに開設しました。

侍の時代が終わり明治に入ると、学問所は新政府の所管となり、大学校と改称されて在置されるようになりますが、明治四年(1871年)に学問所を廃止して文部省が置かれることになり、ここで学問所としての歴史に一旦幕が降ります。しかしその後、ここには我が国初の博物館が置かれ、明治5年(1872年)には東京師範学校が、明治7年(1874年)には東京女子師範学校が設置されます。そして、それぞれは現在の東京国立博物館、筑波大学、お茶の水女子大学として発展していくことになるのです。このように湯島聖堂は、江戸から明治へと政権が変わっても、学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地となった場所なのです。

学問の聖地とも言える場所ですから、一歩足を踏み入れれば、静かで凛とした雰囲気に包まれます。そしてお寺や神社には無い日本建築の迫力にも気付かされる場所です。


湯島聖堂は、池波正太郎著「或る日の小兵衛」(剣客商売(九))に収録、新潮社)の中で、主人公・秋山小兵衛の乗る駕籠が気の狂った侍に突如襲われる場所として登場します。池波先生の筆では、「聖堂とは、孔子その他の聖賢を祭った祠堂のことだが、五代将軍・徳川綱吉が上野から湯島に移した、この聖堂は六千坪に及び広大な敷地をもち、幕府の学問所が設けられている。」と記されています。


湯島聖堂が登場するその他の作品

  • 藤沢周平著「凶刃 用心棒日月抄」(新潮社)

湯島聖堂 東京都文京区湯島1-4-25

JRお茶の水駅・東京メトロ千代田線 新お茶の水駅より約300m 徒歩約4分


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