江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

3・11に寄せて

2015-03-11 | 日記・エッセイ・コラム

このブログを書き始めてから4年と少しが経ち、これまでに多くの神社やお寺を訪ねました。神社やお寺を訪ねる際には、欠かさずにやっていることがあります。「流儀」と呼べるほど恰好良いものではありませんが、ブログに載せる写真を撮らせてもらうので、神様や仏様の前で手を合わせ、「写真を撮らせていただきます」と心の内で許しを請います。自分が写真を撮られるなら、やはり声を掛けてもらった方が安心出来るからと、そんな気持ちで手を合わせます。

4年前に東日本大震災が発生してからは、「一日も早く、震災復興が成し遂げられますように」と祈ることが加わりました。祈るだけで何も出来ていませんが、祈ることで、震災はどこか遠くの世界のことではなく、自らにも関係していることなのだと思うようにしています。「がんばろう日本」のスローガンも、4年前よりだいぶ目にする機会が減りました。電力が不足して街が暗かったことや、水や電池が買えずに苦労した日々は遠くなりつつあります。あの時の切なさを、ともすれば忘れてしまうのではないかと恐れる自分を、祈ることで戒めます。

20年前に阪神・淡路大震災が起こったとき、これほどの自然災害は、生きている間には二度と起こらないだろうと思いました。しかし、4年前にそれ以上の地震が起きてしまい、望んでもいなかったのに、教科書に載るほどの暗い歴史の目撃者に二度もなってしまったことは、ある意味、人生の皮肉です。今は、「二度と起こらないだろう」ではなく、ただただ、「二度と起こって欲しくない」と切に思います。2014年には、広島や御嶽山や白馬で大きな自然災害がありました。小さな自然災害はもっとたくさんあります。人間の力は自然にはかなわず、どんなに知恵を働かせてもすべての自然災害を防ぎきれるものではありませんが、大小の自然災害全てが起きないようにと願います。

太平洋戦争が終わり、70年が経ちました。夏の広島や長崎の慰霊祭をニュースで見ていると、未だに癒されず、心に傷を抱えたままの人が多くいることがわかります。震災で大切なものを失った人の心の傷も、戦争で傷を抱えた人と同じように、ずっと癒えるものではないでしょう。既に頑張っている人に、無責任に「頑張って」とは言いたくはありません。ただ、この先の1年、そのまた次の1年と、被災者の皆様にとって良いことが増えて、それが積り、傷をやさしく覆うような、そんな平穏で心安らかな日々がもたらされることを願います。そして、世界中が、明日を心配せずに、安心して暮らせるようになることを願います。



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