江戸観光案内

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足軽長屋

2015-01-10 | まち歩き

今回は久し振りの新発田藩編をお送りします。

足軽長屋は、新発田藩主溝口家の下屋敷である清水谷御殿(現清水園)と新発田川を挟んで向かいに建つ八戸の棟割長屋で、その名の通り、足軽と呼ばれる下級武士が住んでいました。この足軽長屋から100メートルほど北に行った、新発田川と諏訪神社前の通りが交差する辺りに、かつて「上人数溜」と呼ばれる広場が在りました。この広場は、当時の主要道であった会津街道に通ずる要所に築かれたもので、いざという時に新発田城下を守る軍勢が集う場所としての役割があり、足軽長屋はこの上人数溜の外側に配置されました。現在の足軽長屋は、幕末まで残っていた4棟のうちの1棟で、昭和44年(1969年)に国重要文化財に指定される少し前まで、住居として使われていました。

池波正太郎著「雲霧仁左衛門」(新潮社)の中に登場する盗賊・州走りの熊五郎は、雲霧一味の盗賊のうちでも、三本の指に入る男で、元は新発田藩溝口家の江戸藩邸に足軽奉公をしていました。故郷は「越後」としか書かれていませんが、おそらく新発田の人なのでしょう。江戸藩邸に奉公する前は、足軽長屋に住んでいたかもしれないと想像が膨らみます。盗賊仲間の山猫の三次とは故郷が同じなので、三次も新発田の人かもしれません。

池波作品には、良い役から悪役まで、しばしば新発田にゆかりのある人物が登場します。例えば、「堀部安兵衛」(新潮社)の主人公・堀部安兵衛や、剣客商売番外編「ないしょないしょ」(新潮社)の主人公・お福がそうであり、他の剣客商売シリーズにも、新発田に関わりの有る脇役が登場します。池波先生が、取材旅行で新発田を訪れた際のことは、「ないしょないしょ」巻末の解説に記されており、池波先生は新発田の地理にも精通していたようです。足軽長屋は新発田駅からも遠くなく、新発田駅から堀部安兵衛ゆかりの長徳寺やお福の奉公先が在った周円寺裏を訪ねるには、先に記した上人数溜を通ることになるので、池波先生は必ずや足軽長屋や清水園も御覧になっていたことと思われ、だとすれば、州走りの熊五郎を登場させたときには、頭の片隅に足軽長屋のことが浮かんだのではないかと思います。

足軽長屋(清水園) 新潟県新発田市大栄町7-9-32
JR羽越線・白新線新発田駅から約650m 徒歩約9分