江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

大川橋

2012-03-24 | まち歩き

東京の新名所、東京スカイツリーのグランドオープンまで2ヶ月を切りました。その日が来るのを楽しみにしている人もきっと多いと思います。

この世界一高い電波塔については、もはや説明する必要は無いでしょうが、地理的な位置については地方に住んでいる人にはピンと来ないかもしれませんので少々説明を加えますと、浅草寺で有名な浅草から隅田川を挟んで直ぐのところに在ります。距離的には地下鉄なら一駅で、歩いても15分そこそこですから今年の春からは東京スカイツリーに上った後に足を伸ばして浅草寺をお参りする人がきっと沢山現れることだろうと思われます。


東京スカイツリーと浅草寺の間を歩いて移動する際に渡ることになるのが吾妻橋で、江戸時代には隅田川が大川と呼ばれていたことから大川橋と呼ばれていました。架橋は安永三年(1774年)で、江戸時代に隅田川に架かっていた五つの橋の内、最後に架けられた橋です。東橋[1]と表記されることもあり、これが転じて後に吾妻橋になったようです。吾妻橋が正式名称になったのは侍の時代以降の明治九年(1876年)で、案外最近のことです。


時代小説の中で大川橋(吾妻橋)は、浅草と対岸の北本所を結ぶ手段として、あるいは両国橋を使わずに対岸に渡る術として度々登場します。例えば池波正太郎著「剣客商売シリーズ」(新潮社)の中では、秋山小兵衛は隅田川東岸の鐘ヶ淵に住まいを構え、息子大二郎は西岸の真崎稲荷近くに道場を構えるため、船や両国橋を使わずに隅田川を渡る場合の手段として大川橋は度々登場しています。


[1] 御江戸大絵図、天保十四年(1843年) ※人文社から復刻地図が出版されています。


吾妻橋西詰 東京都台東区花川戸1-1-1
東京メトロ銀座線 浅草駅よりすぐ 徒歩約1分
東武伊勢崎線 浅草駅より約230m 徒歩約3分


Dsc_1162