江戸観光案内

古地図を片手に江戸の痕跡を見つけてみませんか?

大仏

2012-03-03 | まち歩き

“大仏”と聞いたら大抵の人は奈良か鎌倉の大仏様を想像することと思いますが、実は江戸にもかつて高さ約7mの大仏が存在しました。信じられないかもしれませんが本当の話です。場所は徳川家の菩提寺である上野の寛永寺の境内で、現在の上野恩賜公園のところです。試しに古地図[1]を開いてみると、確かに寛永寺の中に「大仏」の文字が見て取れます。文字の近くに描かれている建物はおそらく大仏殿でしょう。


最初に大仏が建立されたのは寛永八年(1631年)で、越後村上藩主、堀直寄が、寛永寺が建つ以前に自身の屋敷が在った地に建立した漆喰製の大仏でした。しかし大仏は後年の地震により倒壊。代わって今度は青銅製の大仏が再興され、およそ40年後には大仏殿も建てられますが、今度は火災により大仏、大仏殿共に損傷。その後、堀尚寄の子孫に当たる越後村松藩主、堀直央の寄進により大仏が新鋳再建され、大仏殿も再建されますが、安政二年(1855年)の安政大地震により頭部が落ち、再び堀直央の寄進により修復されます。しかし、大正十二年(1923年)の関東大震災で頭部が落下した後は、寛永寺が破損した大仏を保管するものの、第二次世界大戦でお顔を除く部分が軍需金属資源として供出される不幸も重なり、とうとう元のお姿での再建は果たせぬまま、現在はお顔だけのお姿となっています。


この大仏は、池波正太郎著「越後屋騒ぎ」(剣客商売(七)に収録、新潮社)の中でさりげなく登場しています。気にせずに読み進めてしまうくらい僅かな登場ですが、古地図好きにとっては、他の作家先生が気にも留めてくれないこの大仏を、池波先生のような大先生が取り上げてくれていることを嬉しく思います。


何度も落ちた大仏の首も、もう二度と落ちることが無いことから、現在は「落ちない=合格大仏」として受験生には人気だそうです。一方、大仏様のお心を計り知る由はありませんが、大仏様自身が江戸から平成へと時代が移ろう中で、何度も震災を経験なされて来ただけに、慈悲の眼差しは受験生だけでなく、東日本大震災の被災地の方々にも必ずや向けられていることと思います。


[1] 御江戸大絵図、天保十四年(1843年) ※人文社から復刻地図が出版されています。


上野大仏(上野恩賜公園内) 東京都台東区上野公園四丁目

JR・東京メトロ銀座線・日比谷線 上野駅から約650m 徒歩約9分


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