OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

風邪を引いたので

2008年01月08日 | 母のこと
1月3日に、タクシーを予約し、母を我が家に連れてきて、12人で盛大に新年会を催すはずだった。
ところが、2日の午後に、弟一家にトラブルが発生、そのあとぐうぜんにもOT園から電話が入り、母が風邪を引いたので外出は中止にして欲しいと言ってきた。
この段階で、予定していた新年会は、もちろん中止となった。

新年に母をひとりぼっちで放っておくのはイヤだ、少なくとも我が家の家族だけは母の所を訪ねていこうと、息子達には予定通り我が家へ来てもらい、OT園へ出かけた。

お正月のOT園は、大きな鏡餅が飾られ、エレベーターの中も、タコや水引細工できれいに飾り付けられている。
母の部屋にも、私が持ち込んだお鏡や盛花が置かれ、何枚かの年賀状も届けられていた。

暮れの内に、「お正月はうちでみんなでごはん食べようねぇ」と、何度も母に話し、母も「楽しみだわねぇ」と言っていたのに、母は「新年会は?」とは尋ねない。
むしろ、子ども達を引き連れて大挙して現れた私を見て、「アラ、今日はにぎやかね、どうしたの?」と驚いている。
つまり忘れてしまっている(と言うか、覚えていない)のだ。

その後も、OT園へ行くけれど、「新年会は?」とか、「お正月なのに、Yちゃん(弟)達はどうしたの?」と聞くこともしない。
部屋には、叔父たちが訪れてくれたのだろう、見慣れないチョコレートやみかんなどが置いてある。
いつ、誰が来て、置いていったのかは答えられない。
目の前にある年賀状の送り主の事は、「○○さんは元気みたいね」と促せば、昔話はいろいろ教えてくれるのに。
目の前に突きつけられたもののことしか、記憶が引っ張り出せなくなっているらしい。

おかげで、私は中止になった新年会の事や、弟一家のことを報告する必要もないし、母から尋ねられることもなく、助かってはいる。
物事には良い面と悪い面が表裏一体で存在することを、いろんな場面で感じてきたけれど、今回の新年会の中止と弟一家のトラブル、母には分からなくて幸いだった。

老人施設にとって、風邪引きは大事件であるらしく(蔓延したら、大変だ!)、熱もなく咳が少々残る状態なだけだが、母はまだ部屋に隔離状態。
三度の食事も部屋で取っているらしい。
「何でもないのよ。風邪なんて引いていないのに!」
部屋から出られないという点で、母は少々ご機嫌斜めである。