橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

「たかが電気」と思いたい。

2012-07-19 20:05:46 | 東日本大震災

「たかが電気」と思いたい。 

今日、猛暑日。NHKのニュースではエアコンを使え使えといって、熱中症が懸念される老人の家を訪ねて取材している。

ひとりは「エアコンの風が嫌いなんだよね・・・」といい
ひとりは「電気代が高いので寝る前1時間しかつけない」という。
お年寄りにとってエアコンは本来やさしくないのである。
なのに、ニュースは、熱中症が心配だからエアコンを上手に使って・・・という。

当面の対応策としてはしょうがないとは思う。
しかし、本当はエアコンを使いたくない人に向かって、「使え」と言うばかりで、根本的な代替案を考えようとはしない。

見れば、お年寄りの住んでいるマンションやアパートは、
今時の厚い耐熱壁に、大きな窓はベランダ方向のみ。
どう考えても風の通りの悪い部屋。これは暑いはずだ。

すぐには無理かもしれないけれど、エアコンを使えと言うのなら、同時にエアコンをあまり使わなくても大丈夫な世の中になる方法にも考えをめぐらせたらどうなのだろう。

現代の、エアコン無しでは暑苦しくてしょうがない建築や町づくりのあり方をなんとかする方法に少しは思いを巡らせるべきだ。
マンション建てる場合はもっと通風を重要視する決まりを作るとか、集合住宅は敷地に必ず緑を植えて共有庭を作るとか・・・。
コストの問題や儲け主義でやってこなかったそういうことを、
考えるべきときなのだ。

そういうことも同時にやってこそ、お年寄りたちに、すぐには無理だからとりあえず今はエアコンをつかって暑さをしのいどいて、と言えるのではないだろうか。

節電を勧めるならば、節電が苦行にならない方法も同時に考えねばならないはずだ。しかし、こと都市計画だの、マンションの計画だのでかい話になると、そんなのもう無理だとばかりに、しょうがないエアコンを使いましょうとなる。結局は電気に縛られた暮し。

本当に思う。私たちは電気に暮しを縛られている。
もはや電気無しでは何もできない。
電力会社とはそんな人の生殺与奪をも握る企業なのである。
一民間企業にそんなものを預けていいものかと思う。
その上、当の電力会社にその自覚は無い。

坂本龍一が「たかが電気」といってバッシングされたが、現在の私たちの生活のあり方が、「たかが電気」と言えないものになっているところが問題なのだ。

「たかが電気」と思いたい。

私たちの暮しが、「たかが電気」とならない限り、こうした矛盾やジレンマは続く。

だから電気を少数の企業に独占させてはいけないのである。
だれでもが発電できて、どこにでもある。
「たかが電気」にしなくてはいけないと思う。

夏の涼しさを電気だけに独占させてはいけない。

今すぐにとは言わない、本当に快適な30年後50年後の都市とはどういうものかを考えながら、ニュースは、節電やエアコンについても発言するべきだと思う。

ちなみに私は、エアコンはまめに止めたりつけたりしているのだが、
特に不便は感じない。あと、図書館とか喫茶店とか公共の場で涼めば、個々が電力使う事もなく、節電になるかなあとも思って、時間に余裕のあるときはパソコンもって流行のノマドしてます。ノマドってなんだよ、不安定な自由業のことじゃんと思ってたけど、みんながノマドしてエアコンつける場所が減るならば、ノマドもいいじゃんと思ったりする今日この頃。

とにかく、電気を使わないで東京電力の収入減らしたいじゃない。
そう思いません?

そして、この蓮の写真のように水辺は涼しい~。
自然の摂理をもっと見直したいものじゃ。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿