橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

政府とメディアと国民の不安 その2~<3・11>を語り合う会に行った~

2011-06-06 10:21:19 | 東日本大震災

昨日、3・11を語り合うという集まりに行った。

 被災地に行った方の現地の状況報告、被災地出身の方の話、また東京での被災状況など報告があり、今後の地域の防災について語り合おうという有志の会だった。

参加者は、実際に現地に行った方、話を聞きたい方、メディアの方など様々だったがその中で印象に残ったのが、幼稚園ママの話だった。やはり、ちいさい子供を持つ人は、今の放射能汚染の状況に敏感だ。当然だと思う。しかし、状況はそうそう簡単でもないようだ。

何か言いたいことをと問われたそのお母さんは、堰を切るように、こういう話は、お母さん仲間、ママ友の間ではできなくて苦しいと訴えた。

例えば、幼稚園で給食が出るが、食材について心配な方は、お弁当を持たせて下さいと先生の方から連絡があった。しかし、実際にお弁当を持たせたのは、そのお母さんだけだったらしく、後で幼稚園の先生から、やんわりと「お弁当はお宅一軒だけでしたよ」と言われたそうだ。別にダメと言われたわけではないが、彼女はプレッシャーを感じた。それに、一人だけお弁当を持っていった自分の子供の幼稚園での様子を考えるとちょっと心配になったという。


お母さんたちの間では、放射能汚染に対する不安もある反面、いや不安の裏返しなのか、もうこの話はしたくないという空気があるらしい。例えば、持ち家の人や長年その地域に住む人は、簡単に引っ越すこともできないし、放射能汚染の話による風評被害で、その地域の資産価値を落とすということもあり、あまり、東京が危険とは言いたがらないらしいのだ。おたがいそういう空気を察してか、放射能の子どもへの影響が気になっているのにそういう話はタブー視され、危険じゃないと思いこもうとさえしているように見えるらしい。

放射能怖いねという話をすると、どこかでひそひそと非国民扱いされてしまうのではないか、そういって、自粛を促してしまうような空気が社会に広がっている。

まさに戦時中のようだ。

昨日紹介した東浩紀氏のツイッター上では、彼の子どもの通う保育園のママたちは、厚生労働省の配布した安心安全を訴えるパンフに反発しているようだったが、どこもそういう雰囲気というわけではないようだ。

何かどんよりしてしまう。

言いたいことも言えないとストレスを抱えるお母さんたちはその精神的ストレスで病気になりはしないかと心配だ。

これも、原発事故の二次被害と言っていいと思う。


今回の報告でもうひとつ気になった話。

被災地の支援物資配給でよく聞いた話に、全員分ないと不平等になるからと、配られない物資が山積みになっているというのがあった。行政の融通の利かなさが批判され、山積み物資の映像がYOUTUBEに流れた。

しかし、被災地支援に行った人が見たのは、あそこには配られて、なぜこっちにはないんだといって諍いが起こっている様子だったという。避難所暮らしも長引き、多くの人が精神的に不安定になってピリピリしている。普段なら冷静に対応出来ることもできなくなってしまう。そんな中で、物資のちょっとした不平等が、避難所の雰囲気を悪くする。そういう場合には、配りたくても配れないのだそうだ。

ただ、だから配れないとばかり言っていてもしょうがない。そういう中で、不満を抱かせない配布の仕方を考えるのも行政職員の仕事じゃないかとは思う。しかし、一面からだけ見て単純に批判もできない。


そこで考えるのが、東北の人は文句も言わずに素晴らしいという報道を続けたメディアのこと。確かに、東北の人の我慢強さや謙虚な姿勢は本当のことだと思う。しかし、あまりにもこのことばかりが強調され、東北の人をこうした東北人像の枠内に押し込めていはしないか。

彼らの本当の辛さや被害の悲惨さが伝わっていないのではないか。東北の人はそんな自分の辛さを人目に晒す事を良しとはしないと思うが、いい話ばかりをメディアで流し続けるのは、自分たちがそういうものしか見たくないからではないかと邪推してしまう。

そんなにいい話ばかりのわけがない。

私たちが見つめるべき事実とはどこにあるのか。

 平時には不安をあおることを旨とし、しかし有事には大丈夫だ、大丈夫だという。それは国民を舐めてはいないか。



 


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