橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

8月15日終戦の日の覚え書き

2013-08-16 02:30:41 | Weblog

8月15日終戦の日の覚え書き。

お盆で実家にかえるでもなく、仕事で外に出かけるでもなく、家でテレビを付けて、夏のジリジリした暑さの中で行われる戦没者追悼式を見た。仕事用の背もたれの大きな椅子にもたれて、黙祷。近くのお寺の鐘も鳴っていた。

戦争体験のない自分の頭の中に、ドラマで見たのであろう戦争のシーンが浮かび、そんなもので涙が出そうになる自分のチープさに一瞬ひるみながら、気付いたら1分経っていた。

総理大臣の言葉はいろんな思惑に気付いて欲しいといわんばかりの思わせぶりな文言がちりばめられ、そのスピーチの軽さと、天皇陛下が深々と頭を下げられる姿の重さのギャップに、立場の違いもそうだが、両者の生きた時代の違いも感じた。

新聞も今日は8月15日終戦の日特集で、いろんなところでいろんなイベントも行われている。なのに私は、今朝、あ、今日は終戦の日だ…と気付いた。8月6日の原爆の日から続く、真夏の戦争を考える週間。これまでならばもっと意識に上って来ていた。それが、今日が15日だということをテレビのニュースに言われて気付いている。ちょっとショックだった。

ドミューンでは、大友良英のあまちゃんバンドや詩人の和合亮一が福島でライブと盆踊りをやっていた。やぐらの上で自作の詩を叫ぶ和合亮一が古代の酋長に見えて来て、それをパソコンで見ている自分が嫌になった。やっぱ祭りと民謡だと思った。月がデタデタ歌いたい。

あれからもう2年が経つけれど、直接的な被害を何も受けていない自分が、ここにきて道に迷っている。自分には何がやれるのか、やりたいのか、やるべきなのか…。

つい2、3年前まで感じられていた、時代の空気とか、これから求められるだろうものへの予感とか、そういうものが霧の向こうに見えなくなった。自分の嗅覚が鈍ったのか、それとももはやそれさえ見えない時代となったのかがわからない。もしかしたらそれを希望がない状態というのだろうか。

夜、ラジオデイズの内田樹、平川克美のはなし半分夏休み特別号村上春樹を読むを聞く。村上春樹の小説の中の壁抜けやパラレルワールド的な描写について語る。文学の可能性とは、ありえたかもしれないもうひとつの世界を想像し、行ったり来たりできること。村上春樹こそ、このありえたかもしれない世界を描ける作家であり、それを描くことが文学が現実にコミットできる可能性である…などなど。

今よりマシなありえるかもしれない未来を想像し、そんな未来を目指す。ちょっと前までは自分の中でそれが想像可能だった。しかし、その未来はどっかで何かを掛け違って、来るべき未来ではなくなってしまった気がしている。自分の想像が甘かっただけで、それはマシな未来に繋がらないことが見えて来たのかもしれない。世の中ではいろんな人が、それぞれの自分なりのマシな未来を想像して右往左往しているけれど、私の新たな未来はまだ見えて来ない。

それがなぜなのかはわからない。これまで言って来たことも、今後言い続けるべきなのかもわからない。でも多分、自分自身は何も変わっていない。自分の中深くに眠る考えを、これまでは借り物の言葉で表現していたのかもしれない。言葉に関わる仕事で生きて行こうとしているのに、そこまで本気で言葉に向き合っていなかったことを、いまさらながら感じている。

結局は批判されない言葉を選んでいたのだと思う。いい人と思われようとしていたのだと思う。自分はいい人ではなく、単に臆病なだけだ。世界が殺伐とすることに自分が耐えられないだけだ。

そして、自分はこの先、何をやって食ってくのか。基本的なことを考える。これまでの自分を捨てられるわけではない。これまでやって来たことを元にして何かやるしかない。虻蜂取らずでこれが私の仕事だと誇れるものは無いが、全くなにもやってこなかったわけでもない。やはり「リセット」ではなく、「有効利用」するしかないのだと思う。

こんなことを考えて8月15日は終わった。


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