橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

荷物は軽く、人生も軽く

2015-11-12 23:16:01 | こじらせ人生

ここのところ、荷物が軽いと、歩くのがこんなに楽なんだなあと実感している。いつも本やらノートパソコンやら重い荷物を持ち歩きがちだったが、本当に必要なとき以外は、もたないようにしてみた。そしたら、信号を待たずに歩道橋を駆け上がれるし、変わりそうな青信号めざしてダッシュ出来るし、運動のために階段登ろうと思うし、バスの中では立ってつま先立ちしてるし、身体がとっても自由だ。薄手のトートバッグに、財布と携帯とミニタオルと小さいノートにペン1本、文庫本1冊、今日の新聞とエコバッグを入れて。帰りに夕食の買物と12個入りのトイレットペーパーを買って坂を上る。全く苦ではない。

もしかしたら必要かも、電車の中で読めるかも、途中、カフェでPC開いて仕事するかも…。かも、かも、かもの貧乏性。そんな可能性だけで、いろんなものを持ち歩いた結果、肩が凝る、腰が痛くなる。それに、かも、かも、かもは結局やらないことが多い。

もう若くはないし、一日にやれることも多くない。今日はコレと決めて、シンプルに生きる方法を身につけねばいかんな。家の断捨離はなかなかできないが、とりあえず、持ち歩く荷物は極力減らすようにしたい。

荷物を軽くすると、人生も軽くなるにちがいない。

写真は今日持ち歩いたオバマプリントのトート。2009年、大統領就任式に行ったとき買ったもの。Tシャツはもはやちょっと恥ずかしいけど、これは結構、しれっと使える。このところ活躍してます。


リアルタイムが「歴史」になりはじめた~宮沢章夫「東京大学『80年代地下文化論』講義決定版」を買う。

2015-11-12 01:58:35 | こじらせ人生

宮沢章夫が東京大学でやった講義をまとめた本「80年代地下文化論」を買った。80年代のサブカルチャーを語ったもの。80年代は、67年生まれの私にとってど真ん中のリアルタイム。多感な思春期、田舎で「サブカル」のかけらを齧りながら、東京に憧れた。

自分が生きた時代、実際に見聞きしたものが次第に「歴史」になりつつある。今まで「歴史」といえば、まったく知らないものを、書かれた文献や映像から知るものだったが、とうとう、自分も知ってることが「歴史」として目の前に提示され始めた。そんな感慨にほだされて、2500円もする本を手に取ってしまった。

YMO、岡崎京子、ニューウエーブ、セゾン文化、モンティ・パイソン、ラジカルガジベリビンバ…などなど、おなじみの言葉が目次に並ぶ。YMOと岡崎京子は私も大きくはまった。一世代上の宮沢章夫は、田舎でこうした文化に憧れていただけの私のような人間とは違う、まさに作り手の一部である「渦中の人」だ。渦中と周辺ではおなじリアルタイムの体験でもどう違うのか…、それも気になる。

自分が生まれる前の歴史は、実際の空気感など知る由もない。私たちは遺された歴史書(メディア)の切り口や語り口から、その時代の空気を感じ、そういうものだと信じる。しかし、まだ手に取るように鮮明な80年代については、自分にとっては自らの記憶が最も正しいのだ。宮沢章夫が書いた80年代のサブカルチャーの歴史を果たして私はどう受け取るか…?

現役の人間が今の時代をどう評価し、どう語るかで、後世の人間は「この時代」を判断する。そうか、現代を生きた私たちが現代をちゃんと語っとかないと、現代は後世に正しく伝わらないんだな。そんなあたり前のことを、やっとリアルタイムの「歴史」が語られ始めたことで、いまさらながら気がついた。これって年とらないと分からないよね。さあ、日本の最高学府・東京大学で行われた「80年代地下文化論」講義決定版。これから読むゾー。