橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

そもそも「社会貢献」って何?~「善い行い」をすれば億万長者になれるか?

2014-07-05 04:03:19 | Weblog

『「善い行い」をすれば億万長者に?”社会貢献”を評価軸にした新たな成功の方程式とは?』という記事が私のFACEBOOKのタイムライン上に上がってきました。

http://logmi.jp/16378

私も以前は、善い行いが自分の仕事になればWINWINとか思って、
とある社会貢献を兼ねたビジネス(というほどのものではないが)を
やろうとしたけれど、3・11以降、やはりそれって違うかも…と思って、
やめてしまいました。

この記事のタイトルだけを見て言えば、「善い行い」自体が目的ではなくて、「成功」が目的で「善い行い」をやる人が出て来るのではないかと思えます。

結果的にはそれでも善いことをやるのは同じことじゃないか、と言われそうですが、
多分、その「善い行い」は善行を受ける側のことをあまり考えていない表面的なものに
なりそうです。それは、通常の商売において、儲けるために安かろう悪かろうになる人が結構いることを考えても想像に難くありません。

そもそも「社会貢献」って何でしょう。
本来なら、商売にしろ何にしろ、すべての仕事は社会貢献的な側面をもつはずで、
正直に、自分も欲しいと思えるものを、適正な製造方法で作り提供していれば、おのずとそれは人のためにもなるはず。けれど、個人による実態把握が不可能なまでに拡大し複雑になった経済環境においては、「仕事」でそんなことしていたら商売上がったり…という考えが支配的になり、自分の仕事がそのまま世の中の役に立っているという感覚を得られなくなってしまいました。それで、多くの人がボランティア活動に参加したり、NPOを立ち上げたり。
「仕事」とは別、といわんばかりに、課外活動をやっています。

もちろん、それもいいことだと思います。
けれど、普段の「仕事」の罪滅ぼしを、「社会貢献」で穴埋めするということになってしまっては意味が無いと思うのです。

「社会貢献」=「いわゆる人助け」だけではないはず。
まずは、今自分がやっている仕事を、本当に自分がやっていてよかったと思える仕事内容にして行くことの方が先のような気がします。

無農薬のおいしい野菜を作り、良いデザインと素材で、お針子さんに適正な賃金を払っている服を作り、個性あるくつろげる喫茶店を経営し、人を殺すための道具など作るのをやめる。そして、こうした商品がちゃんと売れれば、いわゆる「社会貢献」など必要なくなると思うのですが、やはり甘いですか…。

なぜ多くの人が、今の自分の仕事の現場で、「仕事は仕事しょうがない…」と考えているのでしょうか…?もちろん私もいろんな妥協をしているわけですが、まずは今の自分の仕事の場で闘うこと(別にけんか腰にということではなくね)が、善い行いの第一歩ではないかとも思います。

「いいね!」のクリックがいとも簡単なように、括弧付きの「善い行い」は、今やっている仕事の中で闘うことと比べたら、意外と簡単なんじゃないでしょうか。

無償の愛とは何ぞや