橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

浅田真央礼賛~ソチ五輪後引退報道に思う

2013-04-14 18:49:13 | Weblog

>>最後に、浅田の新しいインタビューを受けての追記あり。

浅田真央、ソチ後引退の報。

浅田真央本人のコメントを見れば、ソチを自分のフィギュアスケート人生の集大成にしたいと言っていた。引退という言葉は使っていない。けれど、報道はすべて「引退」という惹句を使っている。そんなに引退すると言うことがニュースなのだろうか…。まあ、ニュースなのだろう。けれど、ソチ五輪の浅田の演技の瞬間がやって来た時、何がもっとも大事なのかと言ったら、浅田の演技を競技の場で見られるのはこれが最後ということよりも、浅田がどんな演技をするかということである。自らが集大成という滑りに、どんな曲を選び、どんな振り付けをし、どんな技術を盛り込み、そしてどう演じるか。

私の個人的な思いを言えば、あのバンクーバーで見せたフリー演技「鐘」を上回るプログラムを用意し、それをどこまで完璧に演じられるのか…。それが気になる。そのあと引退するかどうかなど、大した問題ではない。私(たち)が浅田に感じている可能性のすべてを出し切り、ああ、やっぱり浅田真央はスゴイ!と感じさせてくれるプログラムを演じてくれるか。気になるのはそれだけだ。

バンクーバー五輪のシーズン、特に五輪後の世界選手権の「鐘」の演技を見た私は、闘う浅田真央の姿に涙した。タラソアが振り付けしたそのプログラムは、少女から大人になろうとしている浅田のさまざまな闘いをフィギュアスケートという形で見せてくれた。その闘いには自分との闘いもあれば、外部との闘いもある。そして彼女がそれから逃げず、果敢に立ち向かっていることを、彼女の演技は物語っていた。それまで妖精のようにふわふわと舞っていた浅田は、天賦の才だけで乗り切れるフェーズを超え、人間浅田真央として氷上で闘っていた。そんな彼女の現状をそのまま表現するような「鐘」をプログラムとして選んだタラソアの選択は、浅田真央の本質を本当に理解した指導者の選択だった。つまり、浅田とは人間とは何かを表現できる希有なスケーターであるという点だ。

そんな彼女の「鐘」の演技は、もはや技術や表現力という枠を超えて、彼女の人生だけでなく、人間が生きるとはどういうことかさえも感じさせるものだった。女性としての美しさなどという陳腐なものではない、人間としての純粋な部分もドロドロした部分も、喜びも悲しみも怒りもすべて抱え込んで乗り越えて行こうとする人間の輝きを浅田真央は表現していた。大仰な言い方になってしまったが、そしてくり返すが、浅田はそんな滑りが出来る数少ないスケーターの一人であることは確かだ。これは浅田より高得点をたたき出すキム・ヨナにもできない。もちろんキム・ヨナのすべりもある意味人生の結晶だが、キム・ヨナは何か別のものと戦っているようで、少しかわいそうな気さえする。国家を代表としたさまざまな方向からの期待である。

もとい。だから、ソチ五輪まであと10ヶ月といわれて気になるのは。浅田がソチで何をどう演じるかだけだ。現在の「I got rhythm」と「白鳥」もいいプログラムだとは思うが、彼女の集大成というにはまだ物足りない。

彼女が目指す集大成の滑りは必ず私たちを感動させてくれるプログラムとなるはずだ。それがあの「鐘」以上のものになるのだとしたら、私の目の前には引退などという文字はちらつかない。その新プログラムがどういうものになるのか。興味があるのはそれだけだ。

人生を変えた一冊の本とか、映画とか、一生のうちで心に深く刻まれる芸術作品がある。私にとって浅田真央のスケートは自分を勇気づけてくれる作品のひとつである。引退とか関係なく、素晴らしいプログラムは一生の思い出として残り、演技を見た時に感じた心の震えはその後の自分を支えてくれる。ほんとに大げさな言い回しだと自分でも思うが、浅田の過去の演技をYOUTUBEでみると、何度見ても涙が出てしまうのだ。

浅田真央はそのくらい凄いスケーターだ。そんな凄いスケーターを、引退するか否かというような演技内容と直接関係ない事象で報じてはいけないのだ。

ソチ五輪を最後だと思って、全精力をそこに注ぐ。そういうことなのだろう(追記:あとで見たインタビューによれば、やはり本当に引退する意向らしいが)私たちはそんな彼女の思いを感じながら、応援するだけだ。ソチ五輪での新しいプログラムの振り付けは今回と同じ、SPがローリー・ニコル氏、FPがタチアナ・タラソアだそうだ。私にとっては引退よりもそのことのほうがニュースだ。真央のことを理解するこの二人が集大成となるプログラムを振付ける。今から楽しみでしょうがない。

表現力とは何か…。それは見る人に生きる希望を与えるものだと思う。そういう意味で浅田真央は最高の表現者だ。

なんか恥ずかしいくらい礼賛しましたが、前回の四大陸ではキム・ヨナも一皮むけていたと思います。最初テレビの放送を見たときは、えっ?と驚きました。これはスゴイかもと。もうこうなるとまさにガラスの仮面、マヤと亜弓さんの対決です。もちろんマヤが真央。

決して頭で考えた表現でなく、身体から湧き出て来るものをそのまま表現できる浅田真央。そんな彼女にぴったりのプログラムを期待します。タラソアよろしくお願いします!

以下、追記>>>

上記を書いた後で、浅田が引退の意向を語っているインタビュー映像を見た。本当に辞めるのね。ふっと思ったと言ってたが、やはり辛いのだろうか。彼女の気持ちはわからないが、少し不安がよぎった。気持ちが弱ってなければいいが。浅田の無限大の可能性を信じたいのは、見る側のエゴなのかなあ…。わからない。でも彼女の演技には本当に無限の可能性を感じる。