橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

9・11から10年、3・11から半年に思う。工夫のないタイトルだなあ。

2011-09-11 21:56:58 | 東日本大震災

 

今日は9月11日。あの911から10年が経ちました。この10年は本当に激動の10年というべき10年間で

その最後の打撃が3月11日の震災と原発事故という想像もしなかった出来事でした。

 

想像もしなかったとは書きましたが、心のどこかで常に恐れていたことではあります。

 

きれいに10年ごとに起こる出来事に、そんなものかと驚いていますが、本当に時代の転換点には、象徴的な出来事が起こるのだと超越者の存在を感じずにはいられません。

 

911が象徴したものは

アメリカの終わりの始まりであり、

金融システムの崩壊の予兆です。

 

旅客機がツインタワーに突っ込んだ映像を見た瞬間は冷戦構造的世界観で、当時は、すわ、第三次世界大戦かなんて思った自分がいましたが、それが間違いである事は、比較的すぐに理解されました。この出来事は、そのほぼ10年前に始まった冷戦構造の終わりのフェイズが完全に終わったという象徴でもあったのでしょう。

 

そして、911以降、時代は10年かけてアメリカの終わりを演出してきました。10年間ごまかしごまかし、少しずつ少しずつ、しかし確実にアメリカは衰退に向かい、今、それが誰にも分かる形で顕在化してきました。この10年はテロとの戦いの10年ではなく、アメリカ衰退への10年だったのです。

 

そして、次の10年目の始まりの年に起こったのが、日本における震災と原発事故です。

 

これが象徴するものは、今、誰しもが口にし始めているように自然への回帰とエネルギー転換でしかないでしょう。現時点で、日本ではまだ原発推進派の抵抗が強く、自然エネルギー転換は遅々としていますが、この10年間のアメリカと同じように、しばらくは行きつ戻りつするものの、多分10年後には、自然エネルギーへの転換の道筋は、誰の目にも明らかな状況になっているのではないでしょうか。

 

とはいえやはり、現時点での世の中を見渡すと、無気力無関心に陥ってしまいそうな脱力感が全身を覆っています。震災後に襲ってきた四十肩の痛みと更年期が近づいて体調が万全でないのもあるかもしれませんが、このところマスメディアの報道を負う気力も出ません。

 

今日、311から半年の日、被災地からの中継はやっていても、原発の問題に突っ込んだ報道特別番組は少ない(TBSは昼間にやってましたね。これは録画を見てからまた)。こんな大惨事が起こっても、肝心な部分はさわらないで、周縁部分ばかりをうろうろしている真ん中がぽっかり抜けた感じのものごとへの対応は、日本という国の特徴なのでしょうか。なんとなく、なんとなく時間だけが過ぎていく。物事は人々の意志を超えて、誰が決定するでもなく進んでいく。この夏の暑さで頭がぼーっとする上に、自分の関わっている実感がまったくなくて、自国の事であるという意識さえも無くなってしまいそう。本当に報道を追いかける気力が湧きません。

 

時代や世の中も更年期なのかもしれませんね。

次代への過渡期だから、世の中の体調も悪いのかも。

 

テレビを見ると、岡本夏生があやまんジャパンに「このバブルの燃えカスが~」と罵倒されて雄叫びを上げていました。ああ、「時代は右肩上がり」という幻想は本当にぶち砕かれたんだなあとしみじみ実感しながら、繁栄の時代というのを自らの過去に抱えてしまった人間は未来をどのように捉え進んでいけば幸せを感じられるのだろうかと考えました。

 

そして、現在の岡本夏生の姿を見ながら、答えはこのへんにあるのかなあとか思ったりもするのです。

 

911と311の話の閉めが岡本夏生?と思わなくもないですが、真面目な話は他のかたがいろいろされていると思いますし、今、時代の節目について語るとしたら、今回の節目は、本当に大きな長いスパンの節目であるから、先を予測する事はかなり困難な作業であると同時に、前時代の先入観を捨てて、全く新しい時代について考える夢と楽しみのある作業でもあるのではないかということだけを言いたいと思います。

 

絶望から、どん底からこそ美しい花は咲くと思いたいです。

 

未来は右肩上がりの拡大再生産の時代ではない事だけは確かだと思います。かといって縮小というイメージともまた違う。数値や図形では表せない、新しいイマジネーションの時代だと思います。見えないものを感じる、数えられないものの価値を測る。豊かだけどゴミの少ない世界という感じでしょうか。

ちょっと抽象的な話になってきたので、この辺でやめときます。

 

10年後の9月11日には笑って暮らしていられるために

今やるべきは、今苦しんでいる人を救う事。

 

突然具体的になって恐縮ですが、政府の復興会議のみなさまは、大きなビジョンは声高に叫ぶのではなく、通奏低音として、具体的な施策のベースにこっそり忍ばせて下さい。大きな目標の達成に向けて、今は具体的な目の前の作業を粛々と指示して下さいませ。そうした作業の積み重ねが、新たな理想的通奏低音に繋がっていくと思います。ベースだけが声高に音色を響かせてもオーケストラは人を感動させる事はできないのですから。

 

脱力の残暑。脱力したまま、ぼーっとした頭で、神経を研ぎすまさず垂れ流し的に書きました。これが、今の世の中の気分を表している気もして、だらりとしたままです。